BUNKA X PERSON

映画「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」×鈴木邦弘さん(フリーカメラマン)

独自の写真美学を確立し、20世紀最高の写真家の一人と称されるアンリ・カルティエ=ブレッソン。その死の2年前、人前に顔を出すことを極端に嫌った写真家自ら、自分自身の人生と作品を語った貴重なドキュメンタリー「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」が、5月20日よりライズXで公開されます。フリーカメラマンとしてアフリカやアマゾンの奥地を駆け回り、渋谷にある日本写真芸術専門学校の講師も務める鈴木邦弘さんに、カルティエ=ブレッソンの“遺言”とも言うべきこの作品を観ていただき、その感想やカルティエ=ブレッソンへの思いを聞きました。
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ブレッソンの天才ぶりがよく分かる映画

--映画の感想はどうでしたか?

これでもか、というくらい、カルティエ=ブレッソンの作品が映し出されるところが見どころでしたね。しかも本人や関係者による肉声の解説付きですから、写真展や写真集よりも、ずいぶん“お得”だと思いました(笑)。日本では写真や美術に興味のある人を除いてカルティエ=ブレッソンの知名度は高くありませんが、映画で紹介される作品の大半は代表作と呼ばれるもので、どれも強い印象を残す写真ばかり。カルティエ=ブレッソンを知らない人が観ても、きっと、その“すごさ”を感じ取れるでしょう。「いいな」と思う作品が一枚でもあったら、そのイメージを忘れないうちに書店や図書館に駆け込んで、カルティエ=ブレッソンの写真集を探してみてください。そして今度は、気に入った写真を解説なしで穴の開くほど眺めてみる。次に、何が心に訴えかけてくるのかを考えてみる。これできっとアナタも写真が好きになり、もしかしたらカメラマンになりたいと思い立つかもしれません(笑)。

--カルティエ=ブレッソンの“すごさ”とは、どんなところなのでしょうか。

映画の中でも述べられていますが、この人は「構図」をつくる天才なんです。たとえば、だだっ広い場所に大勢の人がいる雑然とした光景でも、カルティエ=ブレッソンのレンズを通すと、まるで映画のワンシーンのように完璧に美しい構図ができあがる。あまりの絶妙のバランスに「あんたはここに立って、あんたはこっちを見て」と配置したのではと疑いたくなるほどです(笑)。カルティエ=ブレッソンは「世界には一瞬だけ秩序が表れる瞬間がある。それを待ち続けて撮るんだ」と話しています。もともと絵を描いていたので、その影響も多分に受けているのでしょう。ルネ・ブリという写真家がカルティエ=ブレッソンに写真を見せたところ、彼はいつまでも写真を逆さにして見ていたそうです。これは、絵画の世界で一般的な、構図の良し悪しをチェックする方法です。実際、カルティエ=ブレッソンの写真集を手にしたら、逆さにして見てください。ムダな空間や邪魔なモノが全くありませんから。そんな写真家、他に見たことありませんよ。


写真の持つ“記録性”と“表現性”

--写真の歴史の中で、カルティエ=ブレッソンはどんな位置を占めるのでしょうか。

ちょっと専門的な話になりますが、写真は“記録性”“表現性”という二つの側面を持ち合わせています。記録性とは写真が持つ情報のことで、これを特に重視するのが報道写真や証明写真。一方、表現性は平たく言えばビジュアルで、造形的なリズムや光と影など、それ自体には意味のない要素で形成されます。そもそも写真は報道目的で発達してきたので、客観的に情報を伝えるための記録性重視の流れが長く続いていました。それに反旗を翻したのがカルティエ=ブレッソンやロバート・キャパらのグループ。彼らは自分たちの美意識を重んじ、表現性を重視した写真を撮り始めた。極端な例えを出すと、記録性重視であれば戦場の悲惨さを伝えるために死体を撮るところを、彼らは戦場に咲く一輪の花に哀しさを感じればそれを撮る。そのような写真家による表現活動を推進するために、写真家集団“マグナム”が結成されたのです。なかでもカルティエ=ブレッソンは突出して表現性を重視する写真家でした。

--カルティエ=ブレッソンの写真には、あまり“記録性”がないということでしょうか?

記録性は写真が持つ宿命なので、どんな写真でも、ある程度は持ち合わせています。実際、カルティエ=ブレッソンがスペイン内戦前夜やガンジーの死を撮った写真は、純粋に記録としても歴史的な意味を持っていますしね。要は、どちらを重視するかというバランスの問題です。その点でカルティエ=ブレッソンは表現性への意識が高く、またその才能も突出していました。逆に、一時期、マグナムに属した写真家で、日本写真芸術専門学校の名誉顧問でもあるセバスチャン・サルガドは、カルティエ=ブレッソンとは異なるタイプの写真家です。カルティエ=ブレッソンとも親交のあったサルガドは、カルティエ=ブレッソンは“点”、自分は“線”を撮る写真家だと言っていました。カルティエ=ブレッソンは「アメリカ」「ヨーロッパ」といった漠としたテーマの中で感覚的に“瞬間”をとり続けました。一方で、サルガドは、たとえば「労働者」「移民」などと狭いテーマを定めて何年も撮り続けています。その記録を線と表しているのです。

撮りたいものがある。それがカメラマンを続ける理由

--鈴木さんは、カルティエ=ブレッソンの影響を受けていますか?

カメラマンになりたての頃は、まさにカルティエ=ブレッソンのような写真を撮ることが目標でした。けれども、だんだんと違和感が生じてきた。というのは構図ばかり気にして、被写体そのものから意識が離れている自分に気付いたのです。ボクはアフリカの奥地にピグミー族の写真を三回、撮りに行ったのだけど、一回目はそんな迷いのある時期だった。そこで撮影するうちに、「構図ばかり考えて被写体を見ていない。これでは遠路はるばると来た意味がない」という思いがよぎったのです。それで帰国後しばらくして、カルティエ=ブレッソンを目指すのはパタリとやめました。自分には合っていないし、ムリだとも思ったから。そして次のピグミー族の撮影では写真を“絵”として捉えずに、人々の髪の毛の一本一本を、刻まれたしわを、身の回りのモノの質感を、克明に“記録”しようと決め、それに適した8×10(エイトバイテン)という大型カメラをかついで訪れました。先ほどの話で言えば、表現性から記録性を重視するスタイルに切り替えたのです。その結果、ピグミー族の写真で第18回伊奈信男賞を受賞することができました。それ以来、現在に至るまで、そのスタイルを貫いています。

--最後に、鈴木さんが写真を撮り続ける理由を教えてください。

撮りたいものがあるから。それに尽きますね。最近は「撮りたいテーマが分からない」と言う学生が多いのだけど、それではカメラマンになっても仕方がないと思う。ボクが写真の道を選んだのは、カメラマンは必ず現場に行く必要があるから。人やモノと対峙することが好きなんですよ。それは自分の撮影スタイルにもなっています。以前に難民キャンプの撮影でレンズを向けたら石を投げられたことがあった。それでもカメラを構えたままの状態で向かって行くと最後にはその人は笑い出し、結局、いい表情の写真が撮れた。今後も、そのように対象と正面からぶつかり合った写真を撮り続けたいですね。

アンリ・カルティエ=ブレッソンってどんな人?

1908年、フランスのセーヌ=マルヌ県シャトーの中流家庭に生まれる。1947年、ロバート・キャパらとともに、写真家集団“マグナム”を設立し、スペイン内戦前夜やパリ解放、ガンジーの死などの歴史的瞬間を撮影して報道写真の先駆者としての名声を高めた。その一方で、1952年に発表した写真集『決定的瞬間』で独自の写真美学を打ち出し、世界中の写真家に影響を与えた。2004年8月、95歳で死去。

INFORMATION
「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」

「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」 監督:ハインツ・バトラー
出演:アンリ・カルティエ=ブレッソン、エリオット・アーウィット、アーサー・ミラー 他
2003年/スイス・フランス/72分/配給:ロングライド

■ストーリーライカで撮影した"スナップショット"を芸術にした、20世紀最高の写真家の1人であるアンリ・カルティエ=カルティエ=ブレッソンが、その死の2年前、チュイルリー公園を望む自宅で過去の作品について語ったドキュメンタリー。青春のメキシコ、助監督もつとめた映画監督ジャン・ルノワールとの出会い、マリリン・モンロー、ココ・シャネルら20世紀の“顔”を撮影したエピソード…
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SUZUKI'S WORKS
鈴木邦弘さんが世界を駆け巡り撮影した作品の中からその一部を紹介します。
「森の人 PYGMY」 '93 「森の人 PYGMY」 '93 「森の人 PYGMY」 '93 8x10(エイバイテン)の大型カメラをアフリカの熱帯雨林コンゴに持ち込み、そこに住むピグミー族の肖像を鮮明に捉えた作品。文明社会への問題提起と、文化人類学の分野からも高い評価を得て、第18回伊奈信男賞を受賞。
「破壊の記憶」ボスニア '96 「破壊の記憶」ボスニア '96 「破壊の記憶」ボスニア '96 旧ユーゴスラビアのクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナを撮影した写真。死と隣り合わせの厳しい生活の中で、再建するために破壊された自分の家に戻ってきた人たち。喜びや悲しみを感じながら“人間の生きる姿”を捉えた作品。
「沈黙の叫び」メキシコ '98 「沈黙の叫び」メキシコ '98 「沈黙の叫び」メキシコ '98 メキシコ政府と対立を続ける同国・チアパス州の先住民組織「サパティスタ民族解放軍(EZLN)」の村と、そこに住むインディヘナの人たちを撮影した写真。村人たちは素顔を公にすると危険を伴うため、カメラの前では顔をバンダナで覆っている。
「灰と記憶」 '05 「灰と記憶」 '05 「灰と記憶」 '05 太平洋戦争中の1944年より開始された「中国人強制連行」。38,935人が連行され、6,830人が死亡したと言われる。日本国内の中国人生存者、労働現場や収容所跡を撮影した作品。

鈴木さんと渋谷との付き合いは?ボクが日本写真芸術専門学校に通っていた頃は校舎が池尻大橋にあり、しょっちゅうメシを食べに来ていました。映画を観るのも、もっぱら渋谷だったな。原宿は子どもっぽくて、逆に青山は大人っぽくて、その中間あたりの渋谷が心地よくて好きだったんですよ。でも今は渋谷で講師をしているにも関わらず、パルコPART1地下の洋書店「ロゴス」など、ごく限られた場所にしか足を運ばなくなってしまいましたね。若者が多過ぎて、ちょっと疲れてしまうので。代わりにオープンカフェや落ち着いたショップの多い代官山方面に行く機会が増えたかな。

今後、渋谷に求めることは?最近の渋谷は、街並みが流行一色に染められている気がする。昔はもっと多様な雰囲気があって幅広い年代の人達が闊歩していたと記憶しています。もともと、渋谷の面白さは独立的なショップの集合にあると思うので、それが失われて欲しくないですね。それから渋谷には、映画館やレコードショップ、洋書店、専門学校をはじめ、文化的なスポットが集中しています。それに吸い寄せられるように、未完成だけど可能性を秘めた若者達も集まってくる。そういう要素を生かし、街として文化的な賞を創ったら面白いのではないでしょうか。渋谷にある企業の協力を募り、二年に一度、賞金200万円くらいのインパクトのある賞を始めれば、注目されると思いますよ。

■プロフィール
鈴木邦弘(すずき・くにひろ)さん
1959年福島県生まれ。84年、日本大学商学部、85年、日本写真芸術専門学校を卒業。写真家樋口健二氏に師事し、以後、雑誌を中心にフリーカメラマンとして活躍する。1993年、アフリカの熱帯雨林に居住するピグミーの人々を撮影した「森の人PIGMY」で第18回伊奈信男賞を受賞。現在は、日本写真芸術専門学校、および日本ジャーナリスト専門学校の講師を兼任する。

日本写真芸術専門学校

日本写真芸術専門学校 住所:渋谷区桜丘町4-16
電話:03-3770-5585
URL:http://www.npi.ac.jp
創立は1966年。カメラマンを志す生徒が全国から集う写真の専門学校。第一線で活躍中のカメラマンが講師として数多く在籍。昼間部4学科、夜間部2学科で専門的なスキルを身に付けられる。また2004年に新設した「フォトフィールドワークコース」では、半年間でアジア全域を巡る海外フィールドワークをカリキュラムに取り入れるなど、より実践的なフォトジャーナリスト育成に力を注いでいる。

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