SHIBUYA BUNKA SPECIAL

映画監督&映画配給というシゴト

映像を通して自分の思いや考えを表現する映画監督と、作品の魅力を広く伝える映画配給会社。私たちのもとに作品が届けられるまでには、この両者の連携が欠かせません。現在、渋谷シネ・ラ・セットで『16[jyu-roku]』が公開中の奥原浩志監督と、この作品の宣伝配給に関わったスローラーナーの田澤真理子さんにインタビューし、映画の制作から公開までの流れを追いました。

1.NO MOVIE, NO LIFE ! 〜映画の街・渋谷を支える才能たち〜

3.映写技師というシゴト

4.映画館スタッフというシゴト

  「自分でも撮れるんじゃないか」と、ふと思ったのがきっかけ

--作品を制作する流れを教えてください。

奥原俺の場合は、企画から脚本、撮影、編集まで、すべてに関わりますよ。企画は自分で練ることもあれば、「こういう作品を撮ってくれ」と持ち込まれるケースもありますね。『16』はちょっと特殊で、タナダユキ監督の『赤い文化住宅の初子』で主演している東亜優という女優で作品を撮ってほしいという依頼でした。予算は限られていたけど、自由度は高かったので俺にとっては良い企画でしたね。まずは彼女に会い、どんな作品にするかをプロデューサーと話し合って脚本を書き、今年2月に一週間ほどで撮影しました。

--さまざまな作業の中で最も楽しいのは?

奥原そりゃ撮影現場ですよ。でも楽しいというか、スリルがあるという感じですね。スタジオではなく、街中で撮ることが多いので、その時々で状況が異なるんですよ。予算が少ないほど時間も限られ、なかなか撮り直しもできないから、与えられた状況から判断してベストを尽くさなければいけない。現場ではトラブルもありますよ。現地の方に「こんな所で撮影するな」とか、文句を言われたり。そんな時はスタッフにわざと長々と事情を説明させて、その間に撮影して素早く撤収してしまいますけどね(笑)。『16[jyu-roku]』の舞台に渋谷を選んだのは、人混みの感じを出したかったことや、夜間に照明を点けなくても撮れる場所があるなど、総合的に判断した結果。いくつか候補地を歩き回って決めました。

--映画監督を目指したきっかけは?

奥原映画館で映写スタッフとしてアルバイトをしていた頃、「自分でも撮れるんじゃないか」と、ふと思ったんですよね。24歳の頃ですね。それで俺が監督、友達がカメラマンという役割で二人で撮り始めたんですよ。中古の8ミリカメラで。何も分からないまま冬の江ノ島で短編を撮って、次の春にはもっと本格的にやろうと思って、『ピクニック』という長編映画を作ったんですね。本格的といってもスタッフは変わらず2人で、役者も友達2人でしたけど(笑)。その頃はPFF(ぴあフィルムフェスティバル)の存在を知らなかったんだけど、カメラを担当した友人から応募してみようと言われて出したら入選できたんです。

「商品」に高められるかどうかがプロとアマの違い

--映画監督を仕事として意識するようになった時期は?

奥原「映画監督になろう」と思ったことはないんですよ。「映画を作りたい」と思って撮っているだけで。もちろん、プロ意識はありますけど、映画監督なんて映画を撮れば誰でも名乗れますからね。とくに最近はプロとアマの境があいまいになっていて、デジタルカメラで簡単に作品が撮れる。それを「商品」にまで高められるかどうかが、プロとアマの違いになるのでしょうけどね。

--映画監督を目指す人へのアドバイスをお願いします。

奥原やりたいようにやれ、に尽きますね。ただし、やるなら本気でやらなければ意味がない。たとえ作品が失敗しても、本気でやったかどうかによって、本人には決定的な違いがあると思いますね。俺自身、これまでに撮ったなかで完全に納得のゆく作品なんて一つもない。脚本を書く段階から狙いがあったりするけど、後から編集すると「ここは失敗したな」なんて思うことばかりですよ。でも本気でやっているからこそ、「次はこんな作品を撮りたい」という考えが生まれてくるんですね。

--次作の構想をお聞かせください。

奥原2004年に撮った『青い車』の原作を初めて読んだ時、「90年代っぽい作品だな」と思ったんですね。でも、脚本を書く時に90年代っぽい箇所は完全に取り除いたんですよ。で、公開からしばらく経って、その箇所をテーマに別の作品を撮ったら面白そうだなと思うようになって。昭和天皇が崩御した日からの10年間をテーマにした、ちょっと大作っぽい作品になる予定です。

映画『16[jyu-roku]』より

映画産業の全体像を見渡せる仕事

--映画の配給会社の仕事内容を教えてください。

田澤制作から宣伝、地方への営業活動まで、映画産業の全体像を見渡せる業務内容ですね。だいたい公開の3、4ヶ月前に劇場が決まるんですね。それで、どのように宣伝するかを劇場側と話し合い、デザイナーを選んでチラシやポスターを作成し、さらに試写会を行ってマスコミに紹介してもらい、公開を迎えるというのが一般的な流れです。映画に関するあらゆる職種の人に会う機会がありますよ。

--仕事上、どのような点で苦労されますか。

田澤苦労というか、つねに葛藤するのは、宣伝の仕方に関して。制作現場に立ち会うと、監督や他のスタッフの方々がどのような思いを持っているかが、ひしひしと伝わってきます。でも、宣伝では、その思いを100%そのまま伝えるのではなく、商業的なことも考えた見せ方をしなければならない。そのバランスにはいつも細心の注意を払っていますね。

大真面目に遊んでいるような現場の緊張感が好き

--配給会社に入社したきっかけは?

田澤学生時代から映画が好きで、大学では芸術学科で映画について学ぶと同時に、友人と映画を作ったりしていました。その当時はメイクや美術をやっていて、卒業後、特殊メイクの助手として映画に関わっていたんです。その仕事も面白かったのですが、しだいに映画制作の全体に関わりたいと思うようになり、制作部につきました。その時にプロデューサーをしていたのが、今の会社の社長だったんです。「製作をやるなら映画に関わる全体を見渡せたほうがいい」と、今の会社に誘ってもらい、現在はおもに宣伝配給に関わっています。

--仕事を進めるうえでの心がけを教えてください。

田澤どのような仕事に対しても全力投球で臨み、いかに作品の魅力を広く深く伝えられるかということを、いつも考えていますね。それから、自分なりの視点だけではなく、「一般のお客さんがどう観るか」ということも頭に置きながら映画を観ることでしょうか。制作現場では、時間や予算が限られているなか、ときにケンカをしたり、いがみ合ったりしながらも、最終的に一つの作品を作ろうと多くの人が必死になっています。大真面目に遊んでいるような緊張感がすごく好きで、愛おしさも感じます。そんな現場にどっぷりと浸かって仕事をできるのですから、毎日大忙しですが、やりがいや充実感はとても大きいですね。

『16[jyu-roku]』
『16[jyu-roku]』 『赤い文化住宅の初子』(タナダユキ/07)のスピンオフとして作られた本作は、主演・東亜優の上京から『赤い文化住宅の初子』の撮影までのエピソードがベースとなる。女優を目指しひとりで歩き始める少女が、少しづつ歩き出していく初々しさと、誰もが経験する、新しい一歩を踏み出すその瞬間。まぶしくて、幻滅して…、少女が経験する希望や淋しさを、『青い車』『タイムレスメロディ』の奥原浩志監督がやさしく描き出す。

場所:渋谷シネ・ラ・セット
日時:2007年5月26日〜7月6日 15:10/19:15

映画について詳しくはこちら

奥原浩志さん

奥原浩志さん1969年神奈川県鎌倉生まれ。大学卒業後、武蔵野映画劇場(現在の吉祥寺バウスシアター)で映写技師として働いたのを機に映画制作を開始。1993年、初めての長編映画『ピクニック』がPFFアワードに入選、翌年には『砂漠の民カザック』で再度の入選を果たす。現在、渋谷シネ・ラ・セット『16[jyu-roku]』を公開中。




奥原さんの「これまでに印象に残った3作品」
『ラ・ブーム』(クロード・ピノトー監督)
中学生の頃に観て、ソフィ・マルソーのかわいさが衝撃的でした。はじめて好きになった映画女優ですね。当時はまだ子どもっぽいけど、あの当時の俺から見たら色気を感じたんでしょうね。

『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(ジム・ジャームッシュ監督)
高校生の頃に観て、「こんな映画は観たことがない」と強い印象を受けた記憶があります。以来、何度となく見返した作品です。

『クーリンチェ少年殺人事件』(エドワード・ヤン監督)
ちょうど映画を作ろうと考えていた頃に観て衝撃を受けた作品です。感化された部分もありますね。
田澤真理子さん

田澤真理子さん1981年生まれ。大学卒業後、特殊メイクのスタッフを経て、2006年に映画の製作から配給宣伝を行うスローラーナーに入社。『16[jyu-roku]』のほか、現在上映中の『赤い文化住宅の初子』など、おもに配給宣伝の仕事に携わる。





田澤さんの「これまでに印象に残った3作品」
『盲獣』(増村保造監督)
こんなに欲に溺れられるんだと、羨ましさすら感じる衝撃的な映画でした。あんなに現実味のない作品なのに、あれほど人の心に残るのは、そのテーマが真実を突いているからではないでしょうか。

『プレイタイム』 (ジャック・タチ監督)
観るたびに味の出る作品ですよね。DVDも持っていて、大学時代から通算10回以上は観ました。仕事で疲れて帰って来て、夜中の3時くらいから、つい見入ってしまうことも。

『お熱いのがお好き』 (ビリー・ワイルダー監督)
実は、ずっとマリリン・モンローを好きではなかったのですが、この作品を観て「こんなに素敵な女性だったんだ」と目から鱗が落ちる思いがしました。以来、モンローが大好きになって、他の出演作品も色々と観るようになりましたね。

1.NO MOVIE, NO LIFE ! 〜映画の街・渋谷を支える才能たち〜

3.映写技師というシゴト

4.映画館スタッフというシゴト


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