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ファッション系やデザイン系のショップが集い、渋谷のなかでも先端的なエリアの一つであるキャットストリート(渋谷川遊歩道)。その界隈を歩くと、古い民家などをリノベーション(改修)し、店舗として流用するショップやレストランが多いことに気付きます。こうした現象は、新旧の文化が溶け合うキャットストリートの魅力を象徴しているといえるかもしれません。このエリアの歴史をひもとくとともに、そこに形成されてきたカルチャーを追ってみました。 かつては伊賀忍者の隠れ里だったエリア

現在のキャットストリート(渋谷川遊歩道)

明治通りと並行して渋谷と表参道を結ぶキャットストリート。なだらかなカーブの歩行者専用道路にトレンドを敏感に反映したショップが軒を連ねますが、このエリアはその最先端の佇まいからは想像も付かないほどの奥深い歴史を秘めています。この地域の生き字引的な存在が、原宿穏田(おんでん)商店会の会長を務める佐藤銀重さんです。

1933(昭和8)年生まれの佐藤さんは、この界隈で生まれ育ち、周囲の劇的な変化を70年近くに渡って目の当たりにしてきました。「現在の渋谷川遊歩道の周辺には、おそらく縄文時代から人が住んでいたようです。あまり知られていませんが、あちこちから遺跡が出土するため、文化財保護区にも指定されていますよ」

「隠田」から「穏田」へ

かつては穏田川と呼ばれ、水車を回していた渋谷川
写真提供:穏田町会

キャットストリートを含む商店街は、現在は穏田商店会と呼ばれています。佐藤さんによれば、「穏田」という地名の由来は、徳川幕府が開かれた400年近く前に遡るとのこと。「家康は信頼していた伊賀忍者の一族郎党を、この辺りに住まわせたそうです。忍者の隠れ里ということで『隠田』と呼ばれましたが、いつからか『穏田』という字を使うようになったようですね」。当時はのどかな農村で、現在のキャットストリートがある場所には渋谷川が流れていました。穏田には渋谷川の水流を利用した水車があちこちにあり、その光景は葛飾北斎によって富嶽三十六景の一つ「隠田の水車」として描かれています。

商店街には青果店の営業も目立つ

佐藤さんが幼少期を過ごした昭和10年代には、穏田には木造の平屋や二階建ての民家が密集し、渋谷川は近所の子どもたちの格好の遊び場となっていました。ウグイをはじめとする魚が泳ぎ回る清らかな小川で、一説には童謡『春の小川』のモデルになったともいわれています。また、キャットストリートと明治通りをつなぐ商店街は、戦前から周辺の住人の“台所”として賑わい、「おかず横丁」と呼ばれていました。「私が物心付いた頃には既に大変な賑わいでしたよ。おそらく渋谷や原宿の界隈では最も古い商店街だと思います」。アパレルショップが建ち並ぶなか、今でも古い青果店や米屋、酒屋などがポツリポツリと残るのはその頃の名残です。しかし、そんな穏やかな住宅街の風景は、1964年の東京オリンピックの開催を境に大きく変わっていきます。 表参道とは違い、ストリート感覚の強いショップが集まる

えさをもらう猫の姿もちらほら

その年、既に周辺の民家からの生活排水で汚染が進んでいた渋谷川は暗渠化され、アスファルト舗装の道路となりました。当時はまだ、この界隈は住宅街で子どもたちが大勢いましたが、周辺に公園がないことが悩みの種だったそうです。そこで、子どもたちの遊び場をつくろうと、現在のキャットストリートがある場所に滑り台やブランコ、砂場などが設置されました。「渋谷から表参道まで、ずっと続いていましたから、随分と細長い公園でしたね。今も渋谷側に少し遊具が残っているでしょ。それは当時の名残ですよ」

やがて公園には、どこからともなく野良猫が集まり始めました。周辺の住人が餌を与えるため、数は増え続け、しだいに猫だらけの公園になっていきます──。「『キャットストリート』という名称の由来には諸説ありますが、そのように多くの猫が集まっていたからというのが最有力の説です」。道路が整備されると、通行人も増え始め、しだいに通りは賑わいを増しました。「神宮でスポーツを観戦後、この通りを歩いて渋谷駅方面に向かう人が通るようになりました。とりわけ早慶戦の日の人波はすごかったですね」

やがて”ファッションの街”へ

ピンクドラゴン

キャットストリートがファッションの街となったきっかけは何だったのでしょうか。「この界隈には昔から、いくつかの洋裁学校がありました。そこを卒業した人たちが自分流の服を作って、この辺りの洋品店に売るようになった。そういう店が段々と増えたのがきっかけの一つだと思います」と、佐藤さんは推測します。さらに1982年には、キャットストリートの渋谷側の入り口付近に「ピンクドラゴン」が誕生。1987年頃からは区の整備事業としてキャットストリート一帯の整備が進み、現在の遊歩道の原型が整えられました。

そして大きな転機となったのが、バブルの頃から表参道に有名ブランドがこぞってショップを出店し始めたことです。その影響でキャットストリートにもショップが増え始めましたが、表参道と大きく異なるのは、ストリート感覚の強いショップが多く集まったことでした。90年代半ばから古着系やインディーズ系を中心とした個性的なショップが集い、「裏原宿」と呼ばれて流行の発信地となったことがそれを象徴しています。さらに並行して、1998年「パタゴニア」、2000年「ユナイテッドアローズ」「hhstyle.com」など、ファッション系やデザイン系の大型ショップもオープン。若者の個性や感性を重視するエリアとして、現在もトレンドの発信力をますます強めています。


渋谷川遊歩道に残る遊具が昔日の面影を伝えている

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佐藤銀重さん 1933(昭和8)年生まれ。神宮前(1965年の住居表示改正までは「穏田」と呼ばれていた)で生まれ育つ。金融系の企業を定年退職後、神宮前6丁目に不動産仲介業の「原宿和光ハウジング」を開業。現在、原宿穏田商店会会長や渋谷区商店会連合会副会長を務める。

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