BUNKA X PERSON

「川柳と浮世絵で楽しむ江戸散歩」×大高翔(俳人)

江戸時代中期頃から大流行した川柳と、それぞれの句に関連する浮世絵を展示し、江戸の文化や生活を紹介する「川柳と浮世絵で楽しむ江戸散歩」が、たばこと塩の博物館で開催されています。若手俳人として活躍する大高翔さんに、この展示会をご覧になっていただき、俳人の目から見た川柳の面白さや、江戸っ子の暮らしを垣間見た印象とともに、大高さんが俳人を目指した経緯、さらには新刊『漱石さんの俳句』に込めた思いを伺いました。
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生きることを楽しむコツがたくさん見つかった

--展示をご覧になった感想を聞かせてください。

浮世絵と川柳をセットにした展示が面白いですね。以前、浮世絵だけの展示に行ったときよりも、ずっと浮世絵の面白さを実感できたのは、川柳がまるでマンガの吹き出しのように絵を補完していたからだと思います。俳句は個人の見た風景や心の内を描く傾向が強いのですが、川柳は民衆の声を代表するつぶやきのような性格がある。それだけに、生き生きとした川柳から、江戸っ子のモノの考え方や生活ぶりがとてもリアルに伝わってきました。たとえば、「駿河町とは晴天に名付けたり」という句とともに、日本橋の町並みの奥に富士山を描いた浮世絵が飾られている。「この町は富士山がよく見えるために駿河と冠されたというが、きっと富士山が見える晴天の日に名付けられたのだろう」といった他愛ない意味ですが、誰かが町名の由来を面白おかしく話し、「そうだね」なんて皆で笑っている情景が浮かんできました。忙しくて町名の由来などは気にもかけない現代人と比べると、心が豊かだなあと思いました。

--他に印象に残った句はありましたか。

「追いはぎに逢うたも記す旅日記」という句も江戸っ子の心意気をよく表していますよね。当時は現代とは違い、旅はすごく貴重な体験ですし、カメラもないから、旅日記を細かく書いたのでしょう。そこに、道中で追いはぎに襲われたことまで書いてしまう。だけど、この句に悲壮感はなく、嫌なことも笑い飛ばしているようなたくましいユーモアを感じました。生きることを楽しむコツって、そういうところにあるのかもしれませんね。また、構図が自由自在な広重の浮世絵も、とても印象的でした。たとえば、日本橋を描いた絵はしゃがんで見上げるように、皆が傘を差す往来の風景は鳥瞰するように、そして馬の足を大きく描いた絵は、まるで自分が蟻になったような視点で描かれている。これは俳句にも通じることで、たとえば、数人が囲むテーブルに灰皿が置かれているとしますよね。その光景を「テーブルに灰皿が置かれている」と捉えれば平凡な句しかできない。しかし、天井から見下ろして「灰皿を皆で囲んで話している」と捉えれば、新鮮が視点が生まれ、灰皿も意味深なものに感じられます。そうした意味で、自分がどう見せたいかによって、広重が大胆に構図を変えているところには、句作へのヒントを感じて勉強になりました。

「川柳と浮世絵で楽しむ江戸散歩」展示風景

ある編集者との出会いで、俳句を仕事にしようと決めた

--どのようなきっかけで、俳句を始めたのでしょうか。

俳人である母の影響を受けて中学1年生のときに始めました。最初は母に見てもらっていましたが、母は熱心に指導するあまりに、私の句を自分の言葉に置き換えていたんですね。それが嫌になっちゃって、東京の先生に葉書で見てもらうようになったんです。その先生は、当時、既に70代でしたが、「自分も10代の気持ちになって添削しているんだ」と言って、私の言葉を理解するように努めてくれました。そのおかげで、しだいに楽しくなった感じですね。でも周りには俳句をする子など皆無でしたから、気恥ずかしくて極秘でした(笑)。その頃は趣味というか、「いつやめてもいいや」という軽い気持ちでしたが、高校3年生のとき、担任の男性教師と、とても折り合いが悪く、すごく思い悩んだ時期があって。そのときに、自分の気持ちを俳句や文章にすることによって、とても救われることに気付きました。それをきっかけに、私にとって俳句は趣味ではなく、生きるために必要なものなのだと意識するようになったんです。

--俳句を仕事にしようと決意したのはいつ頃でしょうか。

大学に入学した頃は俳句で食べていけるとはまったく思っておらず、とにかく4年間は好きなことをしようという気持ちでした。両親が教師だった影響で「自分も教師になるのかな」と漠然と思っていましたね。それでも3年生の頃から、いくつかの出版物に俳句や文章を書くようになって、「これくらいの分量を書けば、何とか暮らしていけるんだな」という目安が分かってきた。それから20歳のときに角川書店から第二句集『17文字の孤独』を出版したときの編集担当は、歌人の俵万智さんを見出した方で、引退前の最後の仕事に私の句集を選んでくれたんですね。それまで、マイナーな文学である俳句をやっている自分に自信が持てない面があったのですが、その方は「胸を張って詠め」と励ましてくれた。それをきっかけに、句風も前向きで明るい方向に変わっていったんです。その方との出会いで「俳句を仕事にしたい」と思うようになって、現在まで続けています。

俳句は、自分を見失わないための拠り所

--昨年12月、『漱石さんの俳句』を刊行されましたね。

漱石は小説ばかりが有名で、俳句はほとんど注目されていませんでした。そこに目を付けた編集者から、この本の執筆を持ちかけられたのです。初めは私も知らなかったけど、読んでみるとこれが面白い。そもそも漱石は発表するつもりはなく、友人への手紙や結婚祝いなど、人とのつながりのなかで俳句を詠むことが多かったのですね。だから、良い意味で肩の力が抜けていて、漱石の温かい人柄が伝わってくる。そんな魅力を伝えたいと思い、多くの俳句の中から、歴史的な意味には関係なく、「いいな」と共感できる50句を選んで、解釈と私の句を添えました。小説しか読んだことのない方は、きっと漱石のイメージが変わると思いますよ。私は、とても軽やかで自由な人だったのだなぁという印象を受けました。

--今後は、どのような俳句を詠みたいとお考えでしょうか。

俳句は覚えやすくて、口ずさめるものだからこそ、つねに心の隅に置くことができて、自分を見失わないための拠り所になると思います。これは自作の句ですが、自分に自信を失いそうになったときには、「夏怒涛ひとりでゆけるところまで」という句を口ずさんで自分を鼓舞しています。すると、「できるところまでやろう」と前向きになれる。おまじないみたいなものかもしれません。そのように誰かの心の支えになれる句を詠みたいな、と心から思いますね。今年の3月末、10年ぶりの句集を発行する予定で、今、かなり気合を入れて制作中です。従来の句集とは違い、俳句を知らない同世代が「おしゃれだから持ちたい」と思うようなアートブックっぽい本にするつもりなので、その本をきっかけに、とくに二十代、三十代に俳句に親しむ人を増やせたらいいな、と思っています。

川柳とは?

「前句付」(七・七の題に、五・七・五の句を付けたもの)と呼ばれる俳諧の一種から、五・七・五のみが独立した季語のない短詩。初代柄井川柳(1718〜90)をルーツとすることから、「川柳」と呼ばれるようになった。柄井川柳の弟子である呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)(?〜1788)が川柳の秀句を収録した『誹風柳多留』を編纂して以降、75年間にわたって167編の『柳多留』が刊行され、バイブル的な存在となった。

渋谷との出会いは? 小中学生の頃は、東京に住む大学生の兄に、何度も連れて来てもらいました。だから大人と一緒に来る街というイメージがあって、東京の大学に進学し、いつでも一人で来られるようになったときは、自分の成長を実感して嬉しかった。そして、渋谷の街で“一人で迷子になる権利”を存分に楽しみました(笑)。行き先も決めずにブラブラと細い路地に入って、見知らぬ店や公園を発見する。渋谷は、いつでもそんな出会いをもたらしてくれます。

渋谷の面白いところは?渋谷って“匂い”をたよりに歩ける街だと思うんです。はっきりと道を覚えていなくても、何となく「こっちかな」という感覚で歩いていると、ちゃんと目的地に辿り着くし、ときには新しい場所を発見できたりもして、それはそれで楽しい。私にとっては、五感をフル回転させてくれる街ですね。今では学生時代ほどには訪れませんが、ときどき、NHKの仕事などで立ち寄ると、「ここには友達に連れて来てもらったな」「この店で打ち上げをしたな」などと、いろいろと思い出が巡ります。多少、お店が変わっても、街には記憶が残っているんですよね。だから個人的には、街並みが大きく変わらないといいなと思っています。

大高さんが「渋谷」を詠んだ俳句今までに大高さんが「渋谷」の街を舞台に詠んだ句と、今回の取材の際に作って頂いた一句をご紹介します。

春の雪街が悲しくなるやうな

中学生の春休み、東京に住む大学生の兄と一緒に渋谷に来たら、突然、雪が降ってきた。とっても楽しい気分だったけど、子ども心に「『楽しい』と書いても工夫がないな」なんて、冷めた気持ちで詠んだ句です(笑)。
納まりて紳士のような消防車

大学生のとき、ファイヤー通りの消防署の前を通りかかると、消防車がとても狭いスペースに、バックでスッと入っていったんですね。「カッコいいな」と思って、思わず、この句を口ずさみました。
月代(つきしろ)や渋谷の街といふ異国

大学時代は、よく渋谷で遊んでいたのに出産後は、めっきり訪れなくなってしまった。句会があって久しぶりに夜の渋谷に来たときに、「自分とは遠い町になってしまったのかな」という少し寂しい気持ちで詠みました。
迷子になる自由渋谷の冬天下(とうてんか)

渋谷は、迷う楽しさをくれる場所。冬のきっぱりした青空に見守られながら、迷子になる自由を満喫したくなります。

■プロフィール
大高翔(おおたか・しょう)さん
1977年徳島県生まれ。立教大学文学部卒。日本ペンクラブ会員。13歳から、俳人である母のすすめで俳句を始める。高校卒業と同時に句集『ひとりの聖域』(邑書林)、さらに20歳には第二句集『17文字の孤独』を出版し、若手俳人として話題となる。以来、俳句以外にも、エッセイ執筆やテレビ出演、講演など、幅広く活躍中。NHK-BS2の「俳句王国」では4年間、司会を務めた。近著に「小説宝石」に連載した紀行エッセイ『夢追い俳句紀行』(NHK出版)もある。
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大高さんの最近の活動

『漱石さんの俳句』(実業之日本社)これまで注目されることがなかった夏目漱石の俳句作品から50句をピックアップ。大高さんが解釈を加え、さらに“お返し”の一句を添える。小説からは感じ取れない漱石の素顔を垣間見せる一冊。
「ケータイ写真俳句」毎日新聞社が運営する会員制サイト「まいまいクラブ」の中で、大高さんが選者を務める俳句コーナー。ケータイで撮った写真と、撮影時の気持ちを詠んだ俳句を募集し、大高さんが選句して講評とともに紹介している。(ケータイ写真俳句は、まいまいクラブ会員でなくても閲覧・応募が可能)。
「川柳と浮世絵で楽しむ江戸散歩」
「川柳と浮世絵で楽しむ江戸散歩」 『柳多留』を中心に約200句の川柳を展示。それぞれの句に関連する、歌麿や写楽、北斎、広重らの浮世絵を一緒に出展することで、江戸っ子たちの暮らしぶりを多角的に照らし出している。また吉原遊郭で用いられたキセルやタバコ盆、寺子屋の机や本箱など、当時の文化を伝える近世の遺跡から発掘された考古遺物も展示されている。

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