BUNKA X PERSON

■インタビュー・あの年齢だからこその説得力を持つ歌詞に、素直に泣いちゃいました
・自分たちの世界を作り上げていこうという感性が素晴らしい
・手芸ならば面倒な過程を全部省略しても、面白いモノができる
・求めるのは技術ではなくて個性。子供のような発想が面白さを生む

■プロフィール石澤彰一さん
1963年生。文化服装学院デザイン専攻科卒業、テキスタイル企画会社勤務を経て渡仏。帰国後、フリーランスデザイナーとして数々のアパレルブランドで活躍、1998年「ウルトラ・タマ」を設立。デザイナーとして東京コレクションなどで発表。2003年「押忍!手芸部」を結成。七人の男前手芸部員を中心に活動し、年齢や性別、人種や国境を越えた、おちゃめでキュートな手芸が話題を呼ぶ。現在、ファッション+雑貨+インテリアなどのデザイン、プロデュースのほか、石澤宗彰として茶道裏千家今日庵専任講師としての一面も持つ。

手芸ならば面倒な過程を全部省略しても、面白いモノができる

--ファッションデザイナー、さらに茶道の専任講師としての顔も持つ石澤さんが手芸に出会ったのはいつ頃ですか?

事務所には「押忍!手芸部」から生まれた愛嬌いっぱいの人形たちが並ぶ

もともと母親が布を扱った編んだり縫ったりという仕事をして、子供の頃から手芸的な要素が周りにありました。
服飾学校を出てテキスタイル企画会社へ、それから独立して既製服を作ったりしたんですが「人とは同じものは作りたくない、オリジナルのもので勝負したい」といつも考えていましたね。でもそうすると、既製服としては個性が強くなってしまい、ビジネス的にも成り立ちにくい。だからだんだん既製服を離れ、一点モノやドレスを作るようになりました。その経験を通して、洋服を作る過程の面倒臭さを感じたんですね。デザイン画を描いて設計図を書く。パターン通りに材料を切って組み立てる。この過程を無くして洋服を作ったらどうなるか?それがずっと頭にあったものの、やはり商売を前提としたアパレルの世界では実現できなかったんです。

--その後、「ヤング@ハート」同様に「押忍!手芸部」というサークルを始めたキッカケを教えてください。

スリッパでできたパペット人形「スリッパ・ペット」

今話したようなアイディアを実行したいと思っていた頃、ある出版関係の人と「書店の手芸の本のコーナーって、なんか甘〜い感じがするよね」という話になって。そのときの思いつきで「じゃあ、『押忍!手芸部』っていうのを立ち上げるから本にしよう。男前な手芸を見せるから!」って話をしたんです。それがきっかけです。「押忍!空手部」という漫画があって、それがすっと言葉に出てしまったんですね。読んだことないんだけど。で、それから部員集めを始めました(笑)。
それで「手芸だったら洋服を作る際の面倒な過程を全部省略しても、面白いモノができるんじゃないか」ってひらめいて。ところがメンバーは、みんな手芸がしたくて集まった人間ではなくて、「ちょっと面白いことやるからきてくれない?」といって来てもらった知り合い。だから初めての時は、ちょっとお酒を飲ませて、ホロ酔い気分のまま、手芸にトライさせたんです。そしたら、思った以上に良いものができてしまって。技術が無くてもここまでできるんだ、という自信と方向性がみえてきたんです。「部活」と名付けて以来、かれこれ5年続いていますね。実用的なんだけれど、なんだかくだらなくて、人とコミュニケーションが取れるものを作りたいなと。

求めるのは技術ではなくて個性。子供のような発想が面白さを生む

--手芸部のメンバーはどういう構成ですか?また、活動内容はどのような感じでしょう?

まず7人の男前部員がいて、さらに花組・雪組という女子部員、その下にジュニアとミニという、子供たちもいます。通常は月に一回、主に日曜日、10人くらいで部活をやっています。部員は、ヘアメイク、シェフ、広告代理店、エンジニアなど、モノ作りに携わる人が多いですね。部活は毎回違う、新しいテーマを作ってやっています。ちょっとでも前に進みたい、新しいものを作りたいという気持ちがありますからね。いつもまっさらな状態ではじめるから、部員の個性も出やすいです。
最近は色々なところから声を掛けてもらって、部活(ワークショップ)をすることも増えていますね。今年は特に多くて10回くらいやったし、年末にかけてもまだあります。「押忍!手芸部」には「部活に参加してひとつ作品を作ったら部員と名乗っていい」というルールがあって、ワークショップもよく開催するから、部員は延べ500人以上いるかな。高齢な方といえば、身近なところでは54歳の男性がいて、過去には70歳以上の女性にも参加してもらいました。

--男性中心の部活動の面白さは何でしょうか?

子供っぽいところ、かな。それに細かいところを気にしない。「押忍!手芸部」が求めるのは技術ではなくて個性なんです。ヘタでも子供のような面白い発想ができれば良いと思います。一般的なの手芸のやり方ではないし、子供のころ時間を忘れて遊んだような粘土細工に近いかも。最近「手芸のハードルを下げてくれた」と言ってもらえることがあります。とにかく「針と糸を使って何かを作ってみよう」という意識が、だんだん世間にも広がってきたみたいで。

--「押忍!手芸部」の今後の目標は?

「北島三郎さんの紅白歌合戦用の衣装を作りたい!」って、立ち上げ時から散々言ってて、テレビやラジオでも言っちゃてるんですけど。まったく実現の気配がないですね(笑)。でも、北島三郎大先輩だからって、デザイン画を描いたり型紙を作るとかはしないですよ。それでOKならば、やってみたいですね(笑)。と言いつつ、ワシらの作った衣装を北島さんが本当に着ちゃったら、腰を抜かしちゃうかも。
また個人的な目標では、ワシは「ウルトラタマ」という会社でのデザイナー、「押忍!手芸部」での活動、それから裏千家の講師という3つの顔を持っているんですが、それぞれの場で出たアイディアを別の場所でトライしてみたり、ジャンルの全く違う要素をまとめ合わせたら面白いんじゃないかなと。それを「石澤彰一」という人間の次の行き先にしたいと考えています。ただ、頭の中では大体イメージできているんだけれど、まだ言葉として人には伝えられない状況というか…。申し訳ないですが(笑)。

渋谷との思い出をおしえてください。ワシは品川で生まれて埼玉で育ちました。物心ついてから渋谷に通い始めたのは、高校を卒業した頃からです。公園通りの裏手あたりにはよく来ていましたね。ファッションが好きだったから、色々なファッションブランドや洋服屋さんがある渋谷は、「格好いい街」という印象が強かったです。お店に入るのに勇気が必要だったから、渋谷へ行く時は緊張していたかも。渋谷へ洋服を買いに行くために着る洋服をまず近所で買って、それからようやく行く、って感じでしたね(笑)。びびってたんでしょうね。
10年くらい前には、昼間はアパレルの仕事をしながら、夜は円山町の小さなバーで週1日だけ働いていたんですよ。そこは、日替わりでマスターが変わるスタイルのバーで。ワシは毎週火曜日だったかなぁ、そこでマスターをしていました。仕事関係の繋がりなど、色々な人間関係ができてとても面白い経験でしたよ。

渋谷の街の魅力は?渋谷の魅力って、何なんでしょうね…。最近では、生活、仕事、全般的に渋谷で買い物をします。布屋さん、手袋、靴下屋さんなどを回って部活道具も揃えますし。かれこれ20年、渋谷区近辺で暮らしていて、仕事場も近かったので、どの時代の渋谷にも思い入れがありますね。完全に生活の一部なので「無ければ困る」という感じです。目を瞑っていても歩けるような気がします。 だからというか「いつも一緒にいると見えなくなる良さ」ってあるじゃないですか。そういう感じかな。なんだかもう、長年連れ添った妻のような感じすらしますね。

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