BUNKA X PERSON

■インタビュー・木々が切り倒される現実は悲しいけれど、自分たちも無関係ではない。
・バオバブを巡る自然信仰は、サーフィンによく似ている。
・海は「人生のすべて」。学校のような場所。
・「Wavement」へ参加はひとつの転機。いい勉強にもなったし、重要な出会いもあった。

■プロフィールプロロングボーダー。1976年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。20歳でプロ転向、1998、2002 年JPSA総合ランキング3位。2008年13位。現在は千葉県南房総市千倉町と神奈川県鎌倉市をベースにプロ活動を続ける。雑誌、テレビで活躍する傍ら、苔を中心に利用した造園業、緑化事業、建設業である (株)コケワークスを2008年10月設立、代表を務める。
coceworks
吉川祐二 オフィシャルサイト

海は「人生のすべて」。学校のような場所。

--サーフィンとの出会いからプロになる経緯を教えてください。

撮影:熊野淳司(オアフ島ハレイワビーチ2009.2.4)

幼稚園の頃から神奈川の稲村ヶ崎に住んでいて、小学生の頃には夏になるとボディーボードを持って海水浴場に行っていました。その頃から、大きくなったらサーフィンしたいと考えていましたね。小学生から中学生にかけてサッカーをしていたんですが、通学路にあったサーフショップでスケートボードをして遊んでいました。サーフィンを始めたのは、サッカー部を引退した中学3年の夏以降。すぐに夢中になりました。もっと早くはじめれば良かったなあ、と後悔した反面、いま思い返してみると、一番いい時期にはじめた気がしています。サーフィン漬けの毎日も楽しいけれど、プロは狭き門だし、稼ぎも決して良くはない。引退後の人生も考えれば、きちんと学校に通うというのも大切じゃないかと。プロに転向したのは20歳の時でした。当時、その若さでロングボードのプロになるのは珍しかったです。

--気持ちの変化はありましたか?

やっぱり気合いの入り方が違いましたね。若かったせいもあるでしょうが、いま思えば、理由もなくギラギラしていました(笑)。ブラジル、メキシコ、コスタリカ、タヒチ、ハワイ、スリランカ、ヨーロッパ・・・海外遠征もしました。でも30歳を過ぎプロになって12年が経ち、それまでずっと熱い気持ちを持っていたのが、微妙に変わってきたんです。もちろん大会で成績を残すことも大切ですが、それ以上に自分のやりたいサーフィンについて考えるようになりました。もっとサーフィンの持つ楽しさを追求したいというか。心に余裕ができたんでしょうね。

--吉川さんにとって、「海」とはどんな存在なんですか?

「人生のすべて」ですね。学校のような場所です。海は面白くて、潮の流れがあるんですよ。カレントと呼ぶんですが、それを利用すればすっと沖に出られる。ただ波に突っ込むだけでは沖には出られないからタイミングを待つ。その様子が、意外にも世の中のルールにぴったり当てはまるんです。サーフィンでやっていた間の取り方、例えば「ここは攻め時」「いまは無理しない方がいい」といった判断が、そのまま実生活や社会で役に立つことが多いですね。

「Wavement」へ参加はひとつの転機。いい勉強にもなったし、重要な出会いもあった。

--「Wavement」に参加されていますね。活動内容について教えてください。また、参加しようと思ったのはどうしてですか?

「Wavement」は、青森県上北郡六ヶ所村にある核燃料の再処理施設「六カ所再処理工場」の存在を伝えるための組織です。この工場はこれまできちんとした形でメディアに取り上げられる機会が少なく、僕自身「Wavement」に誘われるまでは、核燃料を再処理する工程があることすら知りませんでした。工場の操業についてはもちろん反対の気持ちが強いですが、僕たちの活動はあくまで中立の立場で、ありのままの事実を淡々と伝えてきました。というのも、僕だって電気を使い、車を運転して、夜遊びもしますから。僕たちは様々な形でエネルギーを消費しているわけで、闇雲に反対を主張するだけでは矛盾すると思うんです。国内に約50の原子力発電施設がある以上、使用済みの核燃料を捨てる必要も生じてしまう、実に複雑な問題です。また個人的な面では、「Wavement」への参加はひとつの転機となりましたね。「coceworks」を一緒にはじめた栗林隆さんとの出会いもありましたし。メンバーは15人から20人くらいで、職業はアーティストからミュージシャン、デザイナー、プロサーファーまで、様々です。年齢は30歳前後が多いです。2007年夏に六カ所再処理工場を訪れたりと、一時期活発に活動していましたが、いまは一段落しているところです。

--苔を媒体としたクリエイティブ・ユニット「coceworks」を始めたきっかけは?

kurage店頭に設置された苔のテラス

28、9歳のころ、それまでいつも上位だったサーフィンの成績が急降下した時期がありました。いずれ引退だってするわけだし、将来のことを考えて「サーフィン以外の何かを」と思うようになって。そんな時に偶然、苔と出会ったんです。たまたま知り合いの人が苔を扱う仕事を始めようとしていて、見せてもらった苔がすごく美しかった。はじめのうちはその人と一緒に活動していましたが、結局ひとりでやることにしました。以前植木屋でアルバイトをしていて、もともと植物を扱うのは好きでした。緑を植える仕事というのは気持ちがいいですしね。プロサーファーの場合、引退後はサーフショップ経営とかシェーパーとか、またはサーフ・ブランドを立ち上げる人が多いんです。でも今は波に乗るのが仕事ですが、そこで出会った友だちをお客さんにする立場になると、純粋にサーフィンを楽しめなくなってしまうような気がして。だから全く違う仕事をしながら、サーフィンを続けられる環境があればいいですね。

--現代アーティスト栗林隆さんとは、どういう経緯でコラボレーションを果たしたのですか?

「Wavement」で集めた署名を国会議事堂まで届けた帰り道、栗林さんが道端の苔をじっと眺めていたんです。栗林さんは昨年(2008年)オープンした十和田美術館での常設作品の施工前で、展示に苔を使いたいと悩んでいたんですよ。それで「苔だったら僕に任せてください」って話になり・・・。十和田美術館はじめ、昨年は6軒の庭を手がけつつ、現在の活動の拠点でもある千倉のコケハウスも完成させました。実は十和田美術館がデビュー戦だったんですが、光栄にもそこで予想以上に良い評判をいただいて。

--「kurage」で展開中の「TRANCEPARENT」について、見所を教えて下さい。

「coceworks」が目指す苔は、庭に生えているもののではなく、山奥で瑞々しく自生している苔です。今回の展示は、渋谷という都会の象徴のような場所で、苔の最大の魅力である「癒し」や、僕たちの目指す山奥っぽい美しさを表現したいと考えました。ただ、いまは冬の乾燥した時期なので、さほど緑深くは見えないのですが。今後は店内にも苔を展開して、もっとマイナスイオンばりばりのカフェにしようと思っています。この展示は11月まで続くので、色々な変化をつけていきたいきながら、今までにない空間を作りたいですね。
<<TRANCEPARENT

--今後の「coceworks」としての目標は?またプライベートや仕事を含めての夢は?

口にすると恥ずかしいのですが、苔で世界を目指しています(笑)。苔を使用して日本の美を表現して、それを世界に伝えたい。嬉しいことに最近、カナダやシンガポールから展示のオファーが届いたんですよ。サーフィンでは今年ひとつ大会で優勝して、しっかり結果を出したいです。僕は間もなく32歳になるんですけれど、さらに長く続けて、若い人たちの目標になれるよう努力したいです。

日ごろ、渋谷をどんな目的で利用しますか?以前は渋谷へあまり足が向かなかったのですが、サーフィンでいつもお世話になっているスポンサー『COUNTER CULTURE』さんの会社が代官山にあるので、最近はよく渋谷にも来るようになりました。通っている京王線沿いにある整骨院や恵比寿にあるジムに通う途中にも渋谷を通過するので、何かと便利に利用しています。また、「kurage」での展開が始まってからは、時間を見つけて週に1度くらいのペースで苔のチェックに来ていますね。店員さんにも水やりをお願いしたりとお世話になっていますが、やはり様子が気になりますからね。もちろん食事や飲む機会も多いですよ。RIP SLYMEのPESくんと仲が良くて、気の合う仲間たちと「夜中1時にクラブ『NUTS』に集合!」なんて夜が2ヶ月に一度くらいあります。

渋谷の魅力とは?サーフィンを通じて国内外、色々な場所に行きましたけど、こんなパワフルな街って、世界のどこにもないです。ハチ公前交差点で大勢の人々が足早にすれ違う瞬間が、それを象徴していると思います。人の多さ、個性的な店の数々。飛び抜けてオシャレな要素が集まっているし、渋谷って間違いなく、世界に誇れる街だと思います。誰かと会うとなると、やはりこの街が一番多いじゃないですか。様々な人と交差する場所、という印象が強いですね。kurageがあるのも、パルコとギャップに挟まれた賑わいのあるエリアです。そんな所に「癒し」としての苔を生息させるということには、大きな意味がありますよね。

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