■ InterviewShibuya is do music advanced area also unparalleled in the world
- When I was a child, does not play well with my friends, I was earnestly record the radio charts of (laughs)
- While continuing to HTE, goal is to become Katsuya Kobayashi
■ profileSawada and Pacific's 1970 birth. Music journalist. After working in the production of the music program at the NHK, it becomes a free music journalist from the 1999 "Cross-beat", "Yahoo! Music" contributions and CD of commentary writing to the music media, such as "BARKS", the radio show appearance, configuration maker of such. Presided over overseas indie rock free paper and club event of "Hard To Explain" from 2004. World music knowledge quiz (RMAT) 2000, it is also a 2001 Japanese champion.
--HTEの立ち上げの経緯について教えてください
大学生を卒業する頃、ニルヴァーナと出会ったんですね。彼らはインディからメジャーにある日突然デビューして、気がついたら全米1位になっちゃったんですよ。それも驚いたけど、この後にこれまでインディでくすぶってたアーティストがニルヴァーナのブレイクの後、続々と成功しはじめてチャートの雰囲気が変わったことには、もっと驚いたんです。いや、さらに、アメリカ社会の情勢もすごくシリアスで暗いものになって、政権まで変わっちゃったんですよ。当時、バブルぼけの激しい海の向うの日本にいた僕には、これが本当に衝撃だったんですね。「音楽って、時代の雰囲気を表すものなんだ」ということを本当に確信しました。で、その影響もあって、NHKに入って「ライブビート」って番組を始めたんです。この番組で僕は「日本でニルヴァーナみたいなバンド」を本気で探そうと思いました。J-Popのシーンに下剋上みたいなショックを与えるみたいな存在を、とね。ちょうど、90年代後半は日本の良いアーティストも海外進出して、良い時代だったんです。そしたら、それが2000年ぐらいから急に面白くなくなって、そういうの追うのやめちゃったんですよ。理由は、「世界のシーンと日本のシーンをシンクロさせる」のが僕の目的だったのに、一方的に「邦楽のライター」扱いを受けてショックだったのと、日本のロックシーンが急に洋楽とかけ離れたものになって来たからなんですけどね。そこで、2000年代に入って「もう一回初心に戻ろう」として洋楽の方に専念した頃に、ニューヨークやロンドンとかで新しいインディ・ロックの動きが起こってきたんですね。ニルヴァーナをはじめとした90年代のインディ・ロックの動きに刺激を受けて来た僕ですけど、でも、10年も経てば、そういうロックだって普通のものとなって保守化もするわけじゃないですか。そうしたら当然、“2000年代の今の若い人にリアリティのある刺激を持ったインディ・ロック”があるわけで、それを見つけた気がしたんです。それで僕は、大学卒業から社会人の成り立ての頃に戻ったように興奮したんですけど、このリアリティが日本になかなか伝わらなかったし、メディアが伝えようともしてなかったんですね。それに問題意識を感じて「今これを伝えなきゃ、日本の音楽シーンは世界に大きく水を開けられてしまう」と思って、Hard To Explainを立ち上げたんです。
--今後の展望について
HTEという名前は、インディ・ロックの流れを変えたバンド「ストロークス」の曲のタイトルから。よく、どんな雑誌を目指しているんですか?と聞かれるのですが、その名の通り「説明できない」ものなんですよ。洋楽専門といっても、どこかの国やひとつのジャンルにこだわるつもりはないし、必ずしもインタビューが必要だとも思っていません。日本において、海外のエンターテインメント情報を伝えるためのツールであり、国内で唯一無二の洋楽情報誌でありたいというだけ。ただ、海外の心ある音楽リスナーが敬意を払うような良質なアーティストを紹介する、という意図は確実にあります。海外の熱心な音楽リスナーに意識の面で負けたくないというのがありますね。フリーペーパーという形式をとっているのは、単純に、HTEを始めたころはお金が無かったから(笑)。今後、有料化するかどうかは時が来れば、という気持ちですが、最近やっと黒字になってきたので、タイミング的にも良いかなと株式会社化しました。これは、自分がやってきたことをしっかり形として残したい、例え僕が死んでしまった後にも、誰かに思い出してもらいたいという思いの現われでもあります。HTEは、僕の幼いときからのポリシーが象徴されているものですからね。それと、雑誌からは離れますが、小林克也さんになりたい(笑)。HTE編集長でありながら、DJやVJもこなすのが僕の最終的な夢です。実は今もひそかに、ボイストレーニングをはじめ、いろんなトレーニングをやってるんですよ(笑)。
ダリル・ホール&ジョン・オーツ/モダン・ヴォイス(BMG JAPAN/1980円/2006.12.6)
小学校5年生のとき、ラジオから流れてきたのが、このアルバムの5曲目に収録されているKISS ON MY LIST。これまでお姉ちゃんの影響で聴いていた洋楽ですが、これは人生で初めて、自ら見つけて好きになった曲。いわば、僕のロック人生を左右した大きな存在です。
ニルヴァーナ/ネバーマインド(ユニバーサルインターナショナル/1980円/2006.5.17)
渋谷は沢田さんにとってどんな存在?大学が東急東横線沿線だったことや、就職先がNHKだったことからも、渋谷を拠点として活動することは多かったですね。新宿や池袋といったほかのターミナル都市と比較しても、音楽の充実度は群を抜いていると思います。今でも、レコードショップやイベントスペースなんかでも、クオリティの高い場所が多数ありますし、大げさですが、音楽シーンを盛り上げるためにあるような街ですよね。またHTEのアジト(笑)として、タワーレコード渋谷店のすぐ近くにある、T.G.I.フライデーズは通いつけです。音楽も洋楽が好きですが、私生活でも洋風のノリが好きで、フライデーズのアメリカン・テイストがとても自分に合っているし、とても居心地がいいんです。日本人だけじゃなくて、いろんな人種の人が存在する感じも好きなんですよね。
音楽発信地として今後の渋谷に求めることは?タワーレコード渋谷店みたいな巨大なCD屋は、ニューヨークにもロンドンにも存在しないんです。その意味で日本はすごく恵まれてると思うんですね。ただ、だからと言って今の東京のシーンが世界の音楽界を代表しているかと言ったら、そうじゃないわけで。それどころか、ここ数年の海外のシーンで起こったことでさえ、今の東京のシーンは追いつききっていない。僕はこういった差を自分の活動を通して埋めて行きたいし、「音楽情報に恵まれた街・東京」が世界に誇れるものになればいいなと思ってます。
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