BUNKA X PERSON

■インタビュー・黒澤作品を知らない若者が観ても満足できるでしょうね
・“21人斬り”は相当の迫力。殺陣へのこだわりが光る作品
・殺陣のパフォーマンスに方向転換したら、観客の反応が変わった
・つねに未成熟な渋谷の街は、僕らの舞台と感覚的にマッチする

■プロフィールおおはま・こたろうさん 1973年東京都生まれ。大学卒業後、劇団俳小養成所に入所。山崎哲演出『東海道四谷怪談』のオーディションで山崎氏の目にとまり、主演に抜擢されるなど、舞台や映画を中心に活動。剣道にも造詣が深く、殺陣指導も行う。2002年、「48BLUES(ヨンパチブルース)」を設立。演出も兼任する。


殺陣のパフォーマンスに方向転換したら、観客の反応が変わった

--大濱さんと殺陣との出合いは?

大学を卒業後、養成所に入って役者を目指していました。そのときに殺陣の講義があり、その面白さに目覚めたんです。もともと、子どもの頃から剣道をしていたためか、講師から「素質がある」「続ければ伸びるよ」なんておだてられて(笑)。それで「ダンスをやるより、殺陣の方が面白いや」と、他の講義はそっちのけで殺陣に情熱を傾けるようになりました。殺陣は意外と奥が深いんですよ。カッコ良く見せるには、足腰を落として重心を低く保たなければいけない。その型を身に付けるのに、軽く半年はかかったりしますからね。相手と斬り合うタイミングを体得するのも一苦労です。『座頭市』シリーズの勝新太郎さんは、アドリブで突然斬りかかり、相手が驚く顔でリアリティを出したといいますが(笑)、普通は事前に打ち合わせして呼吸を合わせます。もちろん真剣ではなく竹光などを使いますが、それでも顔に当たれば怪我をする。その危険を踏まえつつ、迫力やスピード感を出すのには、かなりの技術が必要です。

--「48BLUES」を結成するまでの経緯を教えてください。

30歳になる手前で「もう演劇をやめよう」と考えていた時期がありました。率直に言って、演劇をつまらなく感じていたのです。それで一年間ほど活動を休止しましたが、最後に自分の好きなことを試すのも良いかと思い、2002年、同じ気持ちを抱く役者を集めて「48BLUES」を結成しました。たまたま全員が昭和48年生まれだったのが、ネーミングの由来です(笑)。最初はシチュエーション・コメディを演じ、それなりに受けていましたが、どこかに「やりたいことと違う」という思いがくすぶっていて、2年ほど経った頃から殺陣や歌舞伎の様式を取り入れたパフォーマンスを始めました。音響はブレイクビーツをガンガンに流して、照明もフラッシュさせるなど、ド派手な演出ですから、シチュエーション・コメディからの変貌に驚く人も多かったのですが(笑)、「カッコいい」「また観たい」など、予想以上に評判が良くって。当初は僕以外、殺陣に関しては素人でしたから最低限の演技でしたが、今では肉体の限界に挑んでいるといっても過言ではないくらい、力のみなぎるパフォーマンスを披露している自負はありますね。

つねに未成熟な渋谷の街は、僕らの舞台と感覚的にマッチする

--活動の拠点を渋谷に定めた理由は?

渋谷とは感覚が合うんですよ。渋谷は、つねに未成熟というか、何かを模索し続けている街ですよね。僕らは型にはまったステージを演じるつもりはなく、演出では歌舞伎が文化として成立する以前の時期をイメージしています。色々な街で演じるなかで、そんな考え方と渋谷はマッチすると体感し、自然と渋谷に移ってきました。渋谷では主に「ROCKWEST」を拠点にしているのは、ステージの性質上、劇場よりもライブハウスの方が合っているという理由もあります。従来は観客の多くが芝居好きでしたが、渋谷のライブハウスで演じるようになって、「面白そう」「おしゃれ」とか、若者的な感覚で観に訪れてくれる方も増えました。そんな理由があって、僕らは「渋谷系素浪人」と自称しているのです(笑)。

--演出上、とくに意識されていることは?

もちろん、事前に殺陣の立ち回りやセリフは決めていますが、それにとらわれず、その場の気持ちを優先したパフォーマンスを一番に心がけていますね。「役を生きる」と言いますか、全身から放出されるエネルギーやリアリティを大事にしたいと思っているのです。それによってステージ上に演劇特有の空間ができあがるのを実感します。今後は、もう少し、大きな舞台で演じたいという思いがありますね。難しそうだけど、中村勘三郎さんも出演したBunkamuraのシアターコクーンで演じられたら嬉しいなあ……。それから、近い将来には、海外にも進出したい。外国人にはどのような形式が受けるのか分からないから、まずは今のステージをぶつけてみたいですね。

大濱さんと渋谷の関わりは?高校時代は原宿や渋谷で遊んでいましたよ。当時、流行っていた古着など、買物をすることが多かったですね。その頃、渋谷はチーマーの時代で、街には江口洋介みたいな髪型の若者がいっぱい歩いていました(笑)。神奈川の大学に進んだから、その後は渋谷を訪れる機会が減りましたが、友達が渋谷周辺で開くイベントには、たまに参加していました。昔から渋谷といえば、おしゃれなイメージ。今でも「最先端でいたい」と思う若者が集まっているし、実際、最先端の街ですよね。それゆえに新しいカルチャーを発信する人が多いのが、最大の魅力ではないでしょうか。

渋谷に足りないと思うものは?今でこそ渋谷が活動の拠点になっていますが、昔は芝居小屋の集まる下北沢に憧れていた時代もありました。ただ、下北は80年代テイストの小屋が多いから、渋谷あたりに現代風の小屋をたくさん建てれば良いのになと思いますね。そういう舞台を見てみたいという若者も、きっと渋谷には多いでしょうから。ちょっとジャンルは違うとはいえ、最近、渋谷に吉本興業の劇場「ヨシモト∞ホール」ができたのは嬉しいですね。

「48BLUES(ヨンパチブルース)」
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(撮影:土居雄一)

2002年、大濱さんの呼びかけで、市村圭蔵さん、ほりかわひろきさん、帖佐侠成さんら5人で結成。ネーミングの由来は、全員が昭和48年生まれだったことから。その後、現在の4人編成となる。2004年の舞台「PRIDE」で、はじめて殺陣や歌舞伎の様式を取り入れ、ブレイクビーツや派手な照明で演出する「ヨンパチKABUKI」を披露。翌年から渋谷のライブハウス「ROCKWEST」に活動の場を移し現在に至る。「真の個性を際立たせたい」という願いを込めて全員が黒スーツを着用し、自らを「渋谷系素浪人」と呼ぶ。2007年夏にシネクイントで上映されて人気を博し、現在は三軒茶屋シネマなどで上映中の映画『キサラギ』は「48BLUES」の舞台をベースに作られた作品。

『48BLUES』公式サイト

大濱さんが教える「殺陣スクール」の案内はこちら

椿三十郎
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椿三十郎を演じるのは、森田芳光監督ご指名の織田裕二。リアリズムあふれるド派手な立ち回りを見せる一方、喜怒哀楽な表情を見せる“現代のヒーロー”椿三十郎を演じている。三十郎の宿敵・室戸半兵衛に、豊川悦司。クライマックスでの三十郎との一騎打ちは必見。そのほか松山ケンイチ、鈴木杏、中村玉緒、藤田まこと、村川絵梨、佐々木蔵之介、風間杜夫、西岡徳馬、小林稔侍など実力派俳優が集結。

上映場所:渋東シネタワー
上映期間:2007年12月1日〜

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