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1969年は、50年代に日本の娯楽産業の頂点を極めた映画興業が、1952年に販売を開始したテレビの普及に合わせて、徐々に衰退していった時代。それまで監督から俳優、撮影など、全てのスタッフが特定の映画会社と専属契約する「撮影所システム」によって支えられていた大手映画会社が、徐々に求心力を失って行った、そのちょうど過渡期にあたる。松竹も、当時の日本映画興行史の激変を経験した大手映画会社の1つ。50年代に得意としてきたメロドラマ作品群からの路線変更を強いられた松竹は、1960年に入って、それまで助監督だった若手映画監督、大島渚、吉田喜重、篠田正浩らを相次いでデビューさせた。現代社会をリアルに捉え、社会問題を告発する作品を発表したことで、「松竹ヌーベルバーグ」と呼ばれた彼らの芸術映画への志向は、一方で松竹の娯楽作品の興行計画には見合わず、公開直後に打ち切りなどの処分を受ける。大島らは、次々と松竹を辞職し、それぞれ独立プロを立ち上げる。そんな彼らの受け入れ口となったのが、1961年に、非興行的な芸術映画の製作配給を目的として設立された映画会社、日本アート・シアター・ギルド(ATG)だった。当初、ATGは、主に海外の芸術映画の配給・上映を行っていたが、1967年から、独立プロと予算を折半しながら「一千万円映画」と呼ばれる低予算の映画製作を始める。以降、1970年代に入っても日本映画の観客動員数の減少は留まらず、大手映画会社の「撮影所システム」は制作作品数の減少と共に衰退。一方で、低予算でも制作可能なピンク映画や独立プロによる映画が躍進した。

現在渋谷で上映中の、松本俊夫と、森崎東のレトロスペクティブは、それぞれ両監督のデビュー40周年を記念したもの。ちょうど日本映画が大きな方向転換を迫られた激動期にあって、1968-9年に劇場デビューを果たした彼らが辿った、2つの道を追ってみたい。

『薔薇の葬列』配給:ダゲレオ出版

シアターイメージフォーラムでは、『幻視の美学・松本俊夫映画回顧展』と称して、松本俊夫の劇映画デビュー作『薔薇の葬列』から、『修羅』『十六歳の戦争』『ドグラ・マグラ』の劇映画全4作品と、代表的な実験映画を上映している。
1954年に東京大学を卒業した松本俊夫は、卒業と同時にニュース映画の制作会社「新理研映画」に入社した。日本自転車工業会の海外PR用短篇『銀輪』(55年)を、特撮・円谷英二、音楽・武満徹と共に制作。「新理研映画」退社後は、京都の記録映画の鑑賞組織プロデュースによるクロース・アップのショットを多用した『西陣』(61年)や、TBSのドキュメンタリー番組から委嘱制作された、アーネスト・サトウ撮影による数百枚の写真を使ったコラージュ映画『石の詩』(1963)を完成させている。また、「記録映画」や「映画批評」誌上での、ドキュメンタリーとアヴァンギャルドの統一を目指した映画評論家としての活動は、当時の松竹ヌーヴェルヴァーグに大きな影響を与えた。1968年、すでに松竹を退社した大島渚の作品も製作・配給していたATGとの共同製作によって、『薔薇の葬列』を完成。劇場公開デビュー作となった本作は、スタンリー・キューブリックが『時計じかけのオレンジ』の参考にしたとも言われている。

『薔薇の葬列』配給:ダゲレオ出版

その後も、状況劇場・主宰の唐十郎が異様な存在感を放つ『修羅』(1971年)、今に残る戦争の傷跡を凝視した『十六歳の戦争』(1974年)、「映像化不可能」と言われていた日本文学を代表する奇書、夢野久作原作の『ドグラ・マグラ』(1988年)と、演劇界や文学界の異才を映画界に再現する意欲的な映画作品を次々と完成。
一方で、医学・工学用に開発された測定装置を使った映像作品『メタシタシス<新陳代謝>』(1971)、“スキャニメイト”と呼ばれるアナログ・コンピュータによるアニメーション『モナ・リザ』(1973)、静止画をコマ撮りすることにより現実では不可能なカメラワークを実現した『アートマン』(1975)など、様々なメディアを活用した実験的な映像の制作に没頭した。
記録映画から出発して、早い時期から音楽、写真、演劇、文学など、ジャンルの違うアーティストたちと交流し、領域横断的な作品作りをおこなってきた松本俊夫。現在では、日本映画史に留まらないヴィデオアートの先駆け的な存在として広く知られている。

2008年/イギリス/83分/配給:ヘキサゴン・ピクチャーズ/©2007 Semtex films

タイトル:
幻視の美学・松本俊夫映画回顧展
上映場所:
シアター・イメージフォーラム
上映期間:
2009年1月17日〜2009年2月27日
監  督:
松本俊夫






『喜劇・女は度胸』公開:1969年

シネマヴェーラ渋谷では、『森崎東の現在』と題して、森崎東のデビュー作から最新作までの代表作、合計18作品を一同に公開する。
森崎東は、京都大学法学部を卒業し、映画雑誌の編集を経て、1956年、松竹に入社。野村芳太郎、山田洋次監督作品に脚本家として参加し、1969年『喜劇 女は度胸』で監督デビューした。その後、ストリッパー幹旋所「新宿芸能社」を舞台にした「喜劇・女シリーズ」(第1作『喜劇女は男のふるさとヨ』第2作『喜劇 女生きてます』、第3作『喜劇 女売り出します』)で、女性が図太く生きていく様をバカバカしくも人情味豊かに描く。
「撮影所システム」が崩壊の途にあった1970年代には、黒澤明監督の同名作品の再映画化作品『野良犬』(1973年)、時代の片隅で不器用に生きるしかないチンピラの悲しみを伝える『街の灯』を監督。その後、松竹から解雇を受ける。フリーになった森崎監督は、東映で『喜劇 特出しヒモ天国』(1975年)を監督。 77年に、ATGにて、スタントマンや映画監督を夢見る若者たちがからみあう『黒木太郎の愛と冒険』や、当時タブーとされていた原発問題をあつかった『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(85)などの傑作を発表した。
松竹専属監督時代を経てフリー監督へと転身をとげ、日本映画の過渡期を象徴する激動の時代を逞しく生き抜いた森崎監督。2004年には、その功績が認められ、最新作『ニワトリはハダシだ』で芸術選奨文部科学大臣賞、東京国際映画祭最優秀芸術貢献賞を受けている。

『ニワトリはハダシだ』公開:2003年

タイトル:
森崎東の現在
上映場所:
シネマヴェーラ渋谷
開催期間:
2009年1月17日〜2009年2月6日
監  督:
森崎東




『女咲かせます』公開:1987年


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