SHIBUYA BUNKA SPECIAL

「第1回 渋谷音楽祭」音楽の街・渋谷の魅力を語る

映画、舞台、音楽、デザイン・・・、今年の秋も文化創造の街・渋谷は芸術で彩られます。そこで渋谷文化プロジェクトでは、この秋に渋谷で行われる4つのイベント「東京国際映画祭」「ダンストリエンナーレ」「デザインタイド」「渋谷音楽祭」の中から、「ダンストリエンナーレ」と「渋谷音楽祭」の見どころを2回にわたって特集します。第2回の今回は、街なかの二つの屋外ステージと渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)を使って行われる「渋谷音楽祭」(11/19)をご紹介します。

夢のステージ! 渋谷音楽祭に向けて…

参加アーティストに聞きました

フラッグシップ・アーティスト、谷村新司さんのインタビュー

  はたの樹三さん

1982年、まだ渋谷が音楽の街と呼ばれる、ずいぶんと前に道玄坂上のほんの少し奥まった場所にLa.mamaというライブハウスを開いたはたの氏。数多くの有名ミュージシャンを輩出したライブハウスと共に、変わりゆく渋谷という街を25年間見続けてきたはたの社長に、音楽の思い出と11月19日に行われる「渋谷音楽祭」に寄せる期待についてお話を伺いました。

手作り感覚と熱い想いが作り上げたLa.mama

--渋谷にライブハウスがほとんどなかった1982年にLa.mamaを誕生させたのは、なぜですか?

はたの樹三さん

最初はライブハウスというカテゴリーではなかったんですよ。もともと、僕は芝居やミュージカルをやっていたこともあって、ライブやミュージカルだけじゃなく結婚式までやるノンジャンルのシアターで、食事もできる場所だったんですよね。しかしミュージカルがメインになってくるにつれ、どんどんいい作品ができるようになってきたんですよ。でも、皮肉なことに作品がよければいいほど、お客さんが小屋で食事をしてくれない。それがきっかけで経営が苦しくなって、借金を背負いつつ、どうしようかと考えていたら音楽に詳しかった門池君(現:BAD MUSIC社長)に、「ライブハウスならできる」って言われたんで、選択肢はこれしかないと音楽をメインとした小屋に変えることにしたんです。

--La.mama特有のすり鉢型の客席というのは、劇場だった頃の流れなんですね。

そうなんですよ。後から考えると、すり鉢型ってのは、ライブハウスとしては良かったみたいですよ。普通は、興味のないバンドが出てきたら外に出たりするものだけど、床に腰掛けたまま、噴水広場にいるみたいな気分になって、いろんなバンドのライブを観る気になるらしい。僕らとしてはお金がないから、ライブハウスっぽくないけどこのままいこうってことにしただけなんだけど。でも、内装はかなり頑張って変えました。セメントや木を買ってきて、必要なものはすべて自分たちで作ったし、電飾を外すときは天井から壁が落ちたりして、大事故になりかねないようなこともありましたからね。今となっては笑い話ですけど。夜はライブをやって、昼間は受付をスタッフに任せて楽屋の奥で寝たりしてね。ライブをやりに来たバンドに「楽屋の奥で変なおじさんがふたり寝てます!」って言われたりして(笑)。

--最初から完成された形ではなく、自分たちの手で作り上げてきたライブハウスということですね。

そういう部分は非常に大きいです。あるとき、本家本元ニューヨークのLa.mamaオーナーであるエレン・スチュアートさんが、ここに来たことがあったんですよ。足の悪い方で、うちの階段を降りてるときはつらそうだったし、なんだか疲れた様子だったんだけど、客席に入った瞬間にパッと明るい顔になって「こんなすばらしい空間はない」って言ってくれたんですよね。「こんなに人の手が入った、あったかい空間はないから、ニューヨークのスタッフ全員に見せてやりたい」って(笑)。それぐらい手作り感はあったと思いますよ。

--いつ頃から、ライブハウスとして認知されるようになってきたんですか?

ライブハウスとして動き出してからも最初のうちは大変でしたね。でも、バンド連中が“渋谷にLa.mamaっておもしろい小屋があるよ”って口コミで広げてくれてからは、どんどんスケジュールが埋まるようになってきましたね。同じころタイミングよく「イカすバンド天国」という音楽番組が始まったこともあって、注目度が高くなったんですね。そのおかげでブレイクした連中がLa.mamaの名前を口にしてくれるようになってからですよね、認知度が高まったのは。僕らの一緒にいい音楽を作っていきたいという思いが、バンドにもちゃんと伝わった結果なんじゃないかなと思ってますよ。 米米クラブが「3日間 La.mamaでライブをしたい」と言うのを、「半年以上も出演を待たせているバンドもたくさんいて…」と断ったのもこの頃ですね。

La.mamaでのライブ風景

La.mamaでライブを行う「SPIRAL」

目標を持ったバンドのパワーに支えられていた

--たくさんのバンドがLa.mamaで活動していましたが、印象に残っているバンドはありますか?

はたの樹三さん

たくさんいますよ。やっぱりブレイクしていくアーティストっていうのは、お客さんの前にスタッフを本気にさせますからね。「こいつらといい音楽、いいライブを作りたい」と思わされたバンドなんて数え切れないですね。でも、いちばんと言われれば、JUN SKY WALKER(S)ですかね。門池君が彼らのことを非常に気に入って、一緒に事務所を作りたいから、という理由でLa.mamaを卒業したきっかけでもあるしね。THE YELLOW MONKEYも同様ですね。吉井くんはカリスマ的なオーラを持ったボーカリストだと思いました。ほか、素晴らしいアーティストの話は枚挙にいとまがないです。The Boomの宮沢さんなんて、人間性が豊かですしね。そして皆、ここは夢を語る場所であり、夢を叶える出会いの場所だと言ってくれましたね。

--La.mamaに出演するためにはオーディションがありますが、どういうところを見ているのでしょうか?

どんなバンドが来ても必ず“バカの3つ覚え”というのがあって、今はインテリジェンスを感じさせるメッセージ性の強いバンドでなきゃ、うまくいかない。その為には、1.創意工夫に満ちたステージングの大切さ、2.リズムと音楽的表情の豊かさの大切さ、3.ライブでの肉体的なバランスの大切さ。この3つをきちんとやれば、1ヶ月でうまくなるよって。鈍い人でも2ケ月。でも、それはやってくれないことにはしょうがないからね。3ヶ月やってだめだったら俺んとこに言ってこい。寝泊りできる部屋があるから、そこに泊り込みで特訓してやるって(笑)。オーディションは本来、お金は取らないものなんだろうけど、取らざるを得ない現状ってのもありますよね。ってことは、お金をもらっている以上、それと同等の気持ちを返さなきゃいけないと思うんですね。La.mamaに出続けてる以上、必ずホップはさせる。その代わり、どうステップするかはバンド次第なんですよ。バンドって、調子がいいとすぐにジャンプできるところを探そうとしちゃうんですけど、ステップがちゃんとしてないで、イケイケドンドンじゃ三段跳びじゃないけど、頭から砂場に突っ込むのと同じこと。そんなバンドは、誰も二度と手を貸してくれなくなるんだぞ、引き返してもう一度ステップからやり直すこともできない。そうやってウロウロしてるバンドなんてたくさんいるんだからということは、口をすっぱくして言いますね。でも、最近のバンドは、上手ですからね。あっという間にライブハウスを卒業していきますけど、この10年間ぐらい「俺たちは絶対にブレイクします!」というような言葉を口にしたバンドは見てないんですよ。昔は、武道館でライブをすることがひとつのステイタスでしたからね。大きな目標があるバンドは、そこに向かうエネルギーが違うと思います。そして、うちからブレイクしてくれたバンドが、かつてある有名バンドのように「この武道館のステージは前座で、La.mamaが本番だ」とか言ってくれたらうれしいんですけどね。

ジャンルの垣根を越えて街という会場を盛り上げるすばらしさ

--渋谷のライブハウスが一同に介する「渋谷音楽祭」に期待することはなんですか?

音楽祭に出場するプールサイド

音楽祭に出場するプールサイド

僕はLa.mamaのほかにもうひとつ、もっとノンジャンルな小屋がほしいと思ってるんですよ。その小屋とロックを中心にしたLa.mamaに出演してるバンドがイベントなんかで出会うことができたら、それって音楽の広がりだと思うんですね。ロックバンドのメンバーとクラシックの奏者、和太鼓の人とJAZZの人とかね。それは、僕らが企画して“さぁ、どうぞ”ってやるものじゃなくて、アーティスト同士が集まった場所で自然と盛り上がることが理想だと思うんです。渋谷音楽祭というのは、その僕の理想をもう少し大きな形で実現してるものだと思ってるんですね。いろんなジャンルのアーティストが、渋谷という街に集結する。それをファンの人たちがライブハウスの垣根なく、自由に見て回れる。それってすばらしいことでしょ。ライブハウスっていうのは、ずいぶん認知はされましたけど、市民権は得られてないんですよ。騒音の問題、地元の人たちとの問題も出てきますから、ちゃんと活動する協会があった方がいいと思いますけどね。渋谷音楽祭をきっかけに、まずはライブハウス、アーティスト、お客さんが渋谷という街を盛り上げることで、もっといろんな音楽に触れてくれたら、僕はうれしいと思いますね。

■プロフィール
はたの樹三(はたの・たつみ)さん
渋谷La.mama代表取締役。鳥取県出身。高校卒業後、俳優を目指し上京。ミュージカルに興味を持ち、モダンダンス、劇団等の出演など、計700ステージ以上の舞台経験を積む。またテレビなどの出演をしながら、小さくても自分たちの空間を求め、現在の場所にミュージカル専門の店を開店するも途中で挫折。1982年に(有)ラスライフ社を設立し、“やりきる情熱を応援するライブハウス”をコンセプトにオールランドなステージハウス「La.mama」を同場所に開店する。過去に数多くのアーティストを輩出、また渡辺正行さんが主催する新人コント大会等、音楽以外のイベントも提供する新人アーティストの登竜門として高い評価を受ける。

渋谷 La.mama
渋谷La.mama 1982年のオープン以来、若手アーティストの育成に力を注ぎ、数多くのビッグネームがステージに立ってきた。これまでの観客動員数180万人以上、登録バンド35,000組以上を有する日本屈指のライブハウス。来年5月1日〜31日まで、「25th ANNIVERSARY」として記念イベントが行われる予定。

>>渋谷 La.mama について詳しくはこちら
第1回 渋谷音楽祭
第1回 渋谷音楽祭

 


日時: 2006年11月19日(日)
会場: 渋谷マークシティ・イースト1F(12:00〜15:30終演予定)
マルイシティ渋谷・1Fプラザ(14:00〜14:45終演予定)
渋谷C.C.Lemonホール(渋谷公会堂)(17:00〜20:00終演予定)
料金: マークシティ、マルイシティの屋外ステージは無料。渋谷C.C.Lemonホールは有料(S席:3,000円、A席:2,500円、B席:2,000円)。※電子チケットぴあにてチケット発売中。

夢のステージ! 渋谷音楽祭に向けて…

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フラッグシップ・アーティスト、谷村新司さんのインタビュー


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