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【5】おとなの社会見学「『渋谷の大改造計画に潜入』〜何も止めずに解体せよ!」特別授業レポート|SPECIAL|

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シブヤ大学と渋谷文化プロジェクトのコラボレーションにより、おとなの社会見学「『渋谷の大改造計画に潜入』〜何も止めずに解体せよ!」を2014年9月13日(土)、東急百貨店東横店東・中央館の解体工事現場を教室として開講した。渋谷の再開発に興味を持つ約40名(各20名×2回)の受講者が参加し、渋谷駅と直結する「東急百貨店東横店東館・中央館解体工事」のプロセスを理解すると共に、1世紀以上にわたる渋谷駅の歴史とこれからの未来について学んだ。渋谷文化プロジェクト編集部では授業に同行取材し、直上からゴーッと銀座線が発着する轟音が鳴り響く中で繰り広げられた「前代未聞の授業」の様子をレポートする。

おとなの社会見学「渋谷の大改造計画に潜入」〜何も止めずに解体せよ!

■日時:
2014年9月13日(土)
1回目12:00〜14:00
2回目15:00〜17:00
■定員:
各回20人
■HP:
シブヤ大学・授業詳細
■教室:
東急百貨店東横店解体工事現場
■先生:
永持理さん (東京急行電鉄 東急百貨店東横店解体工事事務所 所長)

昨年2013年3月15日、東急東横線渋谷駅の地上駅舎が85年間にわたる駅の歴史に幕を閉じた。以来、現在渋谷駅およびその周辺では、100年に一度と言われる大規模な再開発工事が進められている。すでに渋谷駅のシンボルであった「かまぼこ屋根」や「東急百貨店東横店東館」の一部は解体され、この1年半の間に渋谷駅の風景は大きく一変。グレー一色の仮囲いに威圧感を感じ、工事現場ならではの物々しさや騒々しさに耐えられず、足早に駅を通り過ぎる人びともきっと多いことだろう。

今回、授業を担当する東急電鉄の永持理さんは授業開始にあたり、「建物は出来てしまえば、約100年間は同じものを眺めることが出来ます。ところが、解体工事は今しか見ることができません。この授業を通じ、うっとうしい工事そのものに興味を持ち、楽しんでもらいたい。そして5年、10年後の渋谷を知ってもらい、もっと渋谷を好きになってほしい」という。渋谷駅が生まれ変わる瞬間に立ち会えるのは、今しか味わう事が出来ない貴重な体験と言えるだろう。

玉電の名残、アーチ型天井が見える「東横のれん街」跡地で授業開始!

特別授業の講義が行われたのは、もともと老舗のショップが軒を連ねていた「東横のれん街」があった場所。すでに解体工事が進み、コンクリートが剥き出しになった無機質な空間となっているが、床には当時の面影が残る形跡も所々に見ることができる。

また、この空間の大きな特徴は、美しいアーチ状の高い天井。工事過程で「東横のれん街」の天井を剥がしたところ、その上にアーチ状のもう一つの天井が出現したそうだ。実は、1937年(昭和12年)まで東横店の1階を走り抜けていた路面電車「玉川電気鉄道(玉電)」の軌跡で、こうして世に顔を出すのは約77年ぶりのこと。空襲を逃れ、長い歴史のある渋谷駅ならではの大発見と言えるだろう。1937年(昭和12年)に玉電ビル(現、東急百貨店東横店西館)が完成すると同時に、玉電の改札口およびホームは1階から玉電ビル2階(現、マークシティ2F)へ移動。それに伴い、山手線の外(ハチ公広場側)と内(渋谷駅東口)を結んでいた玉電天現寺線(二子玉川→天現寺)は、東(渋谷→天現寺)と西(二子玉川→渋谷)で分断されてしまう。

永持さんは「今思えば、山手線の外と内を結ぶ電車がなくなってしまったのは、とても残念な気もします」と渋谷発展の分岐点となった開発の歴史を振り返った。その後、玉電が走った同空間は、1951年(昭和26年)10月に15店舗が軒を連ねる「東横のれん街」に変貌。それに触発されて東京駅の名店街、新宿伊勢丹の志にせ街などが次々に誕生するなど、先取的取り組みとして注目を浴びるスポットとなったという。

今回の特別授業は、こうした歴史深い玉電の軌跡であり、かつ「デパ地下」の元祖とも言うべき「東横のれん街」の跡地を「教室」に見立て行われた。

77年ぶりに姿を現した、玉電のアーチ状の天井の下で授業が行われた。

もっと詳しく知りたい *玉電ー渋谷の街を走った懐かしの路面電車(渋谷フォトミュージアム)

なぜ、渋谷駅は複雑な構造をしているのか?

授業内容は座学による講義と、実際の工事現場の見学会の二部構成。講義は「1.渋谷駅の鉄道の歴史」「2.東急百貨店東横店の歴史」「3.渋谷駅周辺の将来計画」「4.東急百貨店東横店東・中央館解体工事」の4つのテーマで進められた。現在、山手線や埼京線、銀座線、東急東横線、田園都市線、半蔵門線、副都心線、井の頭線の計8路線が乗り入れ、1日約290人が利用する巨大ターミナル「渋谷駅」。新宿駅、池袋駅などと同じ成り立ちながら、「なぜ、渋谷駅は複雑で不便なのか?」という疑問が湧く。永持先生いわく、こうした背景には「新宿、池袋に比べて用地が少なく、駅の大規模化を図ることが出来なかった点が大きい」という。

1934年(昭和9年)に開業したばかりの東急百貨店東館。(宮益坂下から撮影)

具体的に渋谷駅の歴史を紐解いてみよう。1885年(明治18年)の日本鉄道(国鉄、JRの前身)の開通から、現在の新南口あたりに渋谷駅が開業したのが歴史の始まり。1907年(明治40年)、玉川電気鉄道(玉電)が多摩川の砂利を運ぶ電車として「二子玉川→渋谷」まで運行を開始し、1920年(大正9年)に渋谷駅が現在の位置に移動。1927年(昭和2年)に東横線渋谷駅が開業するが、その場所は渋谷川と国鉄の間のすごく狭い用地を利用したものであった。その後、1933年(昭和8年)に井の頭線、1934年(昭和9年)に東横線渋谷駅と直結する形で、渋谷川の上に地上7階建ての東急百貨店東館が開業。駅周辺に高い建物のない時代、一際目立つ「白亜の高層ビル」として注目を浴びたという。続いて1937年(昭和12年)に4階建ての玉電ビル(現、東急百貨店西館)が完成し、1938年(昭和13年)には玉電ビルとつながる東館3階に銀座線の乗り入れを開始する。さらに1977年(昭和52年)に新玉川線(現、田園都市線)、1996年(平成8年)にはJR貨物駅のあった新南口のスペースを活用して埼京線ホームが完成。最近では2008年(平成20年)に副都心線が開通し、2013年(平成25年)に東横線が地下化するなど、駅の幅が十分に取れない狭い用地の中で、約128年間をかけて4社8路線という巨大ターミナルが誕生。いわば、国鉄主導で計画的に作られてきた新宿や池袋と異なり、「渋谷は狭い用地の問題から民間主導のターミナルとならざる得なかったことが、今日の渋谷駅の形成に大きな影響を与えているのだろう」(永持さん)と推察する。

もっと詳しく知りたい *「東横線渋谷駅」と「東急東横店」のヒストリー
*1927−2013「東横線渋谷駅」「東急東横店」トランスフォームの変遷

「3路線・2通路・1河川」に囲まれる「日本一難しい解体工事」とは?

鉄道の変遷と共に渋谷駅と直結する商業施設の新築・増築も、複雑な駅構造の形成に拍車を掛けた。東急百貨店東横店はヒカリエ側にある「東館(昭和9年築)」、ハチ公広場側に面した「西館(昭和29年、玉電ビルから増改築)」、東急プラザ側の「南館(昭和45年築)の3館+「中央館(昭和29年築)」の計4館で構成。また、2013年に閉館した東館は、一般的には「東館」一つと思われているが、実は1号館から3号館の3棟から成り立っている。その歴史を振りかえれば、1934年(昭和9年)、和光などの設計で知られる建築家・渡辺仁さんのデザインで「東1号館」が開業。その後、玉電ビル(現、西館)の竣工及び東京高速鉄道(現、銀座線)の開通に伴い、1937年(昭和12年)に銀座線・渋谷駅ホームのある「東2号館」を増築。さらに戦後に東横線・旧地上渋谷駅と接する「東3号館」(昭和31年築)が建て増しされ、渋谷駅の利用客数の増加とともに駅が変容してきた。いわば、増築を繰り返しながら形成されてきた建造物であるがゆえ、今日の解体工事では、その複雑に絡み合う建物を一つ一つ解きながら撤去作業を進める必要があるのだという。中でも今回の解体工事は、東京の幹線である山手線、埼京線、銀座線の3路線、1階のハチ公広場から東口、2階のJRと銀座線からヒカリエを結ぶ2通路、さらに地下には渋谷川が流れるという特殊な立地の中で進めなければならない。永持さんは「『3路線・2通路・1河川』を一切止めずに工事を行なければならない、日本一難しい工事。いや本音をいえば、世界一難しい工事」とし、「中央館は、昭和29年5月〜10月のわずか半年間で作られたが、時が経ち列車の運行本数や時間など工事をとりまく環境が大きく変わったため、私たちは一年半くらいの時間をかけて慎重に工事を進めている」と解体の難しさを説明した。

東1号館、3号館は既に解体工事が終了。

緑の囲いが「東2号館」と「中央館」。上に銀座線、下にJRを跨ぐ中央館の解体は、前代未聞の大工事。

解体工事は、渋谷川の移設工事が必要な「東1号館」および旧渋谷駅と直結する「東3号館」の地上部分がすでに終了。現在、「中央館」の撤去作業が進められているが、3階に銀座線、2階にJR(山手線、埼京線)が営業する中で進めなければならず、単純に壊すわけにはいかないという。工事の方法は次の通りだ。まず、中央館の6、7階部を完全に取り除く。次に東2号館と西館から橋形状の中央館の両サイドを吊り上げ、しっかりと中央館の建物を支えたのち、銀座線の直上であるフロアを上から順に徐々に撤去していく。過去にこうした手法を取り入れたケースはなく、前代未聞の大変難しい工事となるそうだ。また上部撤去だけに留まらず、今回の教室となった東2号館の1階も、慎重な解体工事が求められる箇所の一つだという。というのも、2階に隣接してJR(山手線、埼京線)、建物の3階に銀座線が走っているため、1・2階を壊すとJRと銀座線の線路が成り立たず崩れてしまう。そこで、電車の線路を支える仮の橋を別に設けたのち、初めて1・2階の解体工事に移れるのだという。授業を通し、3路線を生かしたままの解体工事は、まるで石橋を叩いて渡るぐらい一つ一つの工程を慎重に進めなければならず、時間も神経もすり減らすほどの難作業であることがよく分かった。今後、永持さんらは、年度末に向けて「中央館解体」という工事最大のメインイベントを徐々に進めていくそうだ。

もっと詳しく知りたい *取り壊し直前、「東急東横店東館」見納めツアー敢行!
*ザ・工事中、渋谷が生まれ変わる瞬間に立ち会う!

工事現場の見学会の様子 (写真ギャラリー)

座学を終えたのち、参加者とともに解体現場の見学会が行われた。白いヘルメットを被った参加者たちは、解体工事用に唯一残った狭い階段や通路を通り抜け、「東2号館屋上」→「中央館6階」→「東3号館1階」→「東1号館地下1階」の順番に移動。着々と作業が進む工事現場を目の当たりにした参加者たちは、日本一難しい解体工事のプロセスを実感させられると共に、工事現場の迫力に興奮や驚きを隠せない様子でした。

東2号館の階段

解体工事が進む現場に唯一残った狭い階段を昇る参加者たち。コンクリートが剥がれた壁穴から渋谷の風景がのぞく。

東2号館屋上(渋谷全体を俯瞰)

かつて「こども遊園地」のあった東2号館の屋上。遊具などは撤去されたが、屋上タイルに当時の面影を残す。

屋上からは、既に解体が終わった東1号館やJRの線路などが見下ろせる。黄色いクレーン車の下には、宮下公園方面から渋谷川が流れており、東館が川の上に立つ百貨店であったことがよく分かる。

東2号館屋上(旧東横線渋谷駅の解体現場)

東横線・旧渋谷駅のシンボルであった「かまぼこ屋根」や「4面4線のホーム」の面影はすでにない。クレーン奥に見える国道246号線の上に残る3本の橋は、かつての東横線の1番線〜3番線の線路跡。

中央館6階(JR腺・銀座線上空の建物解体)

東2号館と西館をつなぐ中央館の6階フロア(6、7階の上部はすでに解体撤去済み)。3階に銀座線のホーム、2階に山手線が走るため、これからの先の解体作業は、前例のない大変難しい工事になるという。

東3号館1階(旧東横線渋谷駅ホーム下・東横のれん街)

東横線・旧渋谷駅の「4面4線のホーム」はすでに撤去済み。その下にあった「東横のれん街」の面影もすでに残っていない。左上)右側の一つ壁を隔てた先にはJR埼京線、山手線が走っており、列車を止めるような事故などを避けるために解体作業には慎重さが求められる。右)左端の西館と、右端の東2号館をつなぐ「中央館」。大きなタワークレーンで撤去作業が進められる。

東1号館地下1階(フローベア跡)

南側の東横線の高架下にある検品所から国道246号線を潜り、東1号館地下1階まで、荷物を運搬していた「無人トロッコ(フローベア)の跡。周囲を渋谷川や鉄道に囲まれ、運搬用のトラックを付ける用地がない東急百貨店東横店では、地下から商品を搬入。移動距離は約200メートル、トロッコの時速は約1km/hで常時運行されていた。解体に伴い、この地下トロッコ道も姿を消すことになるという。

もっと詳しく知りたい *取り壊し直前、「東急東横店東館」見納めツアー敢行!

授業を終えて

特定非営利活動法人シブヤ大学 授業コーディネーター・佐藤隆俊さん 今回は応募倍率が約10倍、出席率も約9割ととても高く、多くの人びとがこの授業を切望していたことがよく分かります。参加者は年齢層が幅広く、田園都市線や東横線など東急沿線に住む人が目立ちました。おそらく、囲いがされた工事現場の中で、実際に何がどう行われているのか興味を持っていた人がとても多かったのでしょう。みなさんが熱心に授業を聞き入り、随分とたくさんの写真を撮影されているのを見て、「あー、渋谷が好きなんだな」と改めて感じました。また、私個人的には床のタイルや非常階段のステップ幅など、今では考えられない建築構造に時代を感じたり。また、解体作業の中で、70、80年前のコンクリートからむき出しになっている鉄筋が錆びていないのを見て、建物の素晴らしさを感じました。高速道路をはじめ、高度成長期に作られた建造物の老朽化が問題視されていますが、それよりも古い東館の丁寧な仕事ぶりがうかがえます。今後も渋谷文化プロジェクトとコラボをしながら、街歩きなど フィールドワーク型の授業をしていきたいなと考えています。

*参加者たちの声

60代男性(世田谷・千歳烏山在住) 父や母の話では、私が4歳の頃に「ひばり号」があったそう。私は全く記憶にないのですが、とにかく小さな頃から渋谷が遊び場でしたね。また、三軒茶屋に親戚が住んでいまして、しょっちゅう渋谷から玉電に乗っていっていました。当時は「芋虫、芋虫…」って呼んでいて、とても懐かしい。今回、再開発で建物が壊されるというので、なくなる前に建物の構造を見ておきたくて参加しました。改めて見ると、今の建物に比べて天井が低いし、非常階段も狭くて驚きました。建物がなくなるのはさみしいですが、今後の渋谷の開発にも期待しています。

30代女性(渋谷・広尾在住) 田舎から大学の時に上京して、まっさきに遊びに来た街が渋谷。刺激がいっぱいあったし、ここで働き、ここで遊びたいという憧れの街でした。いま、近くに住んでいて感じるのは、一つ一つの乗り物の乗換えが不便だなということ。でも、渋谷の魅力は歩いて分かるところもあって、面倒臭いと感じるのも渋谷なんだなと思う。今回授業に参加して、3路線がこんなに入り組んでいることを初めて知り、解体工事も単に壊せばいいものじゃなくて、そこに美学や知恵があるのだとよく分かりました。正直、今までは鬱陶しいと感じていましたが、中で働いている人たちの想いや愛情を知り、工事現場に対する見方が大きく変わった気がします。今後の開発は、一部の人びとだけが便利だったり、居心地の良い場所ではなく、あまりキッチリとしすぎず、様々な人種が自由に集まれる場所にしてほしいです。

    メイン企画:この工事がヤバイ!後世に語り継がれる「渋谷の二大工事」

  • 1 東横線が一夜で地下化! 3.15-16「代官山地下化切替工事」を振り返る
  • 2 3路線を止めず、解体せよ!前代未聞の東急百貨店東横店東・中央館解体工事
  • 特別企画:工事中の渋谷で見つける再発見

  • 3 ウナギトラベル主催「渋谷駅周辺 解体工事見学ツアー」に密着取材
  • 4 昔、渋谷と代官山の間に「並木橋駅」があった! 幻の駅の記憶を残そう
  • 『渋谷の大改造計画に潜入』特別授業レポート
  • ウナギトラベル主催 第2弾「渋谷駅周辺の地下工事見学ツアー」に密着取材

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