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Shibuya of future talks about the KEY PERSON key person

Long interview of [key personnel] to be active mainly in the Shibuya. Place a "Shibuya of appeal" through their words.

profile

Kimiaki Ashino (leg-of Publication)

1947, was born in Tokyo. 1970, Waseda University first School of Commerce graduate. 1971-75 years, Todokohotoke. 1975, Seibu Museum of Art (President from 82 years), which was established in New Art Seibu Managing Director in accordance with the opening next, hit in the operation, such as "Art Vivant", "Store Days". Participate as art books officer to 79 years Libro port establishment, maker of Egon Schiele, book of paintings such as Andrew Wyeth, Elsken, Doisneau, the photo collection, such as Lartigue. 1997, founded Inc. New Art Diffusion in the culture business withdrawal of Seibu Department Store. Established the "NADiff" in Omotesando, Tokyo Metropolitan Museum of Contemporary Art, the Museum of Photography, store openings, such as in Tokyubunkamura. "NADiff" is closed due to building demolition last year. It opened a "NADiff apartment" in July this year Ebisu.

渋谷は、ある種の落ち着きがある。あれがすごく大事なこと

--若い人がすごくたくさんいることに関してはどうご覧になりますか?

それは、宿命じゃないですか。例えば、名古屋なり、東京なり、地下が主じゃないですか。ところが、渋谷はその流路の関係で地下がつくれないわけでしょう。だから、全員地上へ出なきゃなんないわけですよ。水の代わりに人間が流れなきゃならないっていうね、これがすごくいいんじゃないかな。どこでも発展してくるところは地下をつくっちゃうじゃないですか。ところが、地下をつくらない、つくれない。20年ぐらい前に西武B館で土曜講座というのをやっていて、しょっちゅうB館へ通っていた。何でA館とB館が地下でつながっていないのか。そこで初めて宇田川が、A館とB館の間を流れているんだということを知って…帝都地下物語じゃないですが、何か見えるだけじゃない、不可思議な力がこの街の中、下をこう流れていて、それは、まあ谷筋なわけですけれどね。そのことをものすごく意識しました。やっぱりあのとき以来、ずっと宇田川と渋谷川っていうものを意識し続けていたんだと思います。

--Bunkamuraが渋谷の街に果たす役割は、どのようにご覧になりますか?

Bunkamuraさんが狙っている文化というのは、真新し過ぎるものでもないし、それから全然古い、古臭くなるものでもない。まだ古臭いというよりも、どちらかといえば新しい方。新しい方の中の、でも、もう認知はされても大丈夫っていうあたり…うまいところを狙っていますよね。松濤の入り口ですから、谷筋が終わりっていう辺りですよね。そういう意味では街としての落ち着きといいますか、何て言うんでしょうね。渋谷の街は、あの松濤を背景にしたり、東横線でもう少し南の方から来られる方々の文化というものが、どういうふうに擦り合うのかは分かりませんが、ある種の落ち着きがありますよね。あれがすごく大事なことだと思います。ただ、渋谷がその落ち着きに依存するだけでいいのかどうか。時たまヤマンバが出てきたりとか、いろんなことが起きますよね。あのエネルギーがなくなっちゃったら違うんじゃないかなという気はします。ヤマンバに代わるべきものが、まだまだ周期的に、無理やりつくるんじゃなくてね、自然発生的に出てくるような部分で、5年おきでも10年おきでもいいですけれども…そうなるとうれしいですね。

--銀座などと比べるといかがですか?

銀座の真っ平らな所は面白くないですね。銀座よりは渋谷の方が好きです。ただ、渋谷が一番かって言われると、下町のほうにまだ好きな路地がいくつかありますから、それとこの辺に居を構えた以上は、恵比寿だって好きじゃなきゃまずいじゃないですか(笑)。でも、渋谷区は好きです。やはり青山の国連大学の上から眺めた、見えた所は全部好きっていう…ほんとに衝撃的でした。そういうことがあるから、あの「のんべえ横丁」がその後好きになってくる。学生時代は新宿のああいう所は好きでしたけど、渋谷まで来たときは早く帰らなきゃっていうので、あまり飲む機会がなかったのですが、今は渋谷が落ち着きますね。

--未来に向けて、そういう地形を生かしたまちづくりが重要ですか?

そう思います。だって、ほかに似た所はないですもんね。ないよね、こんなに坂の多い盛り場ってないでしょう。盛り場なのに坂があるのは1つもないですよね。坂の街路をあれだけいっぱい知っている街は渋谷しかないですね。逆に、渋谷川沿いの横に広がっていって、山手線と明治通りっていうのがあるせいだと思いますが、それが広がってくれているのも楽しいじゃないですか。これから人口も減ってくるわけだから、やっぱり交通は至便であってくれた方がいいし、歩き疲れたらすぐ何かに乗れたほうがいいし、そういう意味で渋谷っていうのはまだまだ可能性があると思います。

--東横線と副都心線が4年後つながると、どうなると思いますか?

北から来た人や、南から来た人が、新宿まではいいかもしれないけれども…どうなんでしょう。私の感性ではつながれないですよね。池袋では商売をずっとやっていて、生まれた地域も城北なので、文化が全然違うと思う。どちらかというと、やはり渋谷というのは横浜とまさに東横線ですから、横浜と渋谷は実にうまくつながれていると思うんですけれども…。私は1年間、小竹向原に住んでいたことがあります。ちょうど副都心線のジョイントになる駅ですね。あの辺から北の景色を知っているつもりだけども、渋谷から南へは絶対行かない。横浜もこの何年か、毎週、何かの用事で必ず週1回行っています。そうやってみると横浜から東横線沿線というのは、ほんとに一つの色だなと感じます。一つの色というか、そう幅も落差もなく、つながることができる。それが白楽でも東白楽でも、どこでも降りられる。だけど一度、北の方へ行ったら、その雰囲気は全然違うと思いますね。

手強いですよ、アート系からすると渋谷は。確実に線が引かれている

--渋谷のこれからの街づくりに、アートがどういうかたちで関わっていくことができるでしょうか?

まだ認知されないものを、アートという、あるいは美術という認知されている概念の中で、渋谷はすくい上げないと思うんですね。「とりあえず、もう少したってからおいで」っていう街だと思います。その壁はあると思いますね。「そんなところまでは面倒を見てやらないよ」っていう、そういうところが渋谷の価値じゃないかなと思います。何でもかんでも先端がいいというわけじゃない。そんなところまではやる必要はないという。ジャンル自体がまだ価値付けられていないというものだったら、多分拾う可能性があると思いますが、アートはある意味で西洋の概念で、ある種、価値付けられていますよね。フランス革命以降、ルーヴルを使って国家戦略の中枢にまでいっているジャンルの末端であるわけです。しかし、そんなところに渋谷が巻き込まれるとは思えません。もっとガチッとしているというか、これが渋谷のいいところじゃないかと思うんですが。手強いですよ、アート系からすると渋谷は。もう確実に線が引かれていますね。それもすごいと思うんです。だから、「これはすごいですよ」「ああ、そうですか」って言われるだけですからね(笑)。だから、しっかりしたものを皆さんがお持ちだということだと思うんですね。私から見ても手強い街だと思います。だから、もっと違う人たちから見れば、いや、渋谷は簡単だって思う人もいるか分からないけど、私にはずっと渋谷は手強いですね。いや、本当に難しい。その落ち着きが、どうしても落ち着きのない私からは超えにくい。

東京の中でアートに引っ掛けて言えば、これから「日本返り」していく。今もかなり日本画的なという、和物がいろんな意味ではやりますね。上野の博物館などは、常に集客がすごいことになっているわけです。松濤美術館がどう変わっていくかによりますが、鍋島の跡の界隈ですよね。さらに来年、広尾に山種美術館が移ってきます。そうした時にどうなるのか。その時にいつまでも「Bunkamuraザ・ミュージアム」がこれまでのように西洋一辺倒でいられるのかどうかというところはあると思いますね。西洋一辺倒じゃいけないということではもちろんなくて、その辺の関係で思いもかけない、若い人を吸収する日本のアートというものが渋谷近辺で、私としては起こってほしいですね。今の日本の若い作家がどんどん日本返りしていることもあるので…。やはり学校で日本の美術なんて教わらないじゃないですか。教わるのは社会の時間、社会科の歴史の時間か何かに、ただ名前と作品を教わるだけでしょう。ところが現実では、会田誠や山口晃の作品を見たりすると、もうその裏には何かあるんだっていうことが、ちらっと引っ掛かって、何かの加減で(長谷川)等伯(とうはく)か何かにいっちゃうとはまっちゃうんだからね。そういうことが今起きつつあるわけですから、もう勉強も何にも要らないっていう感覚で、もっと日本画に接することができる環境ができてくるといいかもしれませんね。

--山種美術館ができれば、結構インパクトは大きいですね。

山種ができるとすごいことになると思うんですね。つまり、日本美術が「きている」ことが分かった上で移転再開するわけですから。それから、表参道の根津美術館も改修中でしょう。あれも直って。そうすると、今度それこそ東急線沿線には五島美術館があり、二子玉へ行けば静嘉堂文庫美術館があるじゃないですか。この沿線ががっちり押さえられるわけです。もう上野なんか目じゃないものを、いろんなことができていくわけですよね。そういうことに新しい人、若い人たちを巻き込んでいく。それはできると思います。時代はそういう方向だと思うんですよね。だから、早く添わせちゃった方が、本当にいいんじゃないかと思いますが。だって、静嘉堂さんなんてすごいものを持っていらっしゃる。それに、二子玉川から歩いていくのにちょうどいいじゃないですか。あれも谷筋だ。そうですよ。渋谷もちょっとこのことを重視してほしいな。

NADiff

NADiff A/P/A/R/T

NADiff A/P/A/R/T

1階は、アートブックを中心としたアートショップ「NADiff a/p/a/r/t」。アート、写真に関する洋書、カタログ、和書(非流通書籍、インディーズブック、アーティストブックなど)、アートグッズ、アーティスト・コラボ・グッズなどを扱う。地下1階は展示スペース「NADiff Gallery」。2階〜4階は、多様な切り口を見せユニークな活動を行う複数のギャラリーと喫茶&スナックが集結。

住所:東京都渋谷区恵比寿1-18-4 TEL 03-3446-4977
営業時間:12時〜20時 無休

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