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「オリンピックの料理人の見た東京大会1964」展 57年前の代々木選手村内の様子が明らかに

TOKYO2020開催に合わせて、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館で7月20日より、企画展「オリンピックの料理人の見た東京大会1964」が始まっている。

「選手村(現・代々木公園)」をはじめ、ウエイトリフティング(旧渋谷公会堂)や競泳(代々木第一体育館)、バスケットボール(代々木第二体育館)、体操(東京体育館)などの競技会場が集積し、渋谷は1964年大会の中心的な地域。1964年代滝開催に伴い、米軍住宅「ワシントンハイツ」返還という大きな課題も解決し、渋谷にとっては他の地域以上に特別な意味を持つ大会といえる。

▲企画展の展示風景

現在の代々木公園周辺に広がっていた「選手村」に焦点を絞った同展では、選手村食堂で提供された当時のレシピ本や、競技外のリラックスした選手たちを捉えた写真、貴重な資料などを展示している。一般の人が立入り出来ない村内や、大会期間中に各国選手が競技前後にどう過ごしていたかなどはほとんど知られていない。今回展示されている資料の多くは、当時選手村の食堂で料理人を務めていた鈴木勇さん(当時24歳)が、仕事の合間に個人的に撮影した写真や記録ノートを基に構成。昨年まで横浜・洋光台で洋食店を営んでいた鈴木さん(現在81歳)に聞き取りを行い、1964年大会の知られざる選手村の様子を紹介している。

7,000人の食事をまかなった食堂 「冷凍食材」「バイキング」導入

敷地面積725,000平方メートルの広さを持つ「代々木選手村」には宿泊施設のほか、銀行や郵便局、インフォメーション、クラブ、劇場、プール、ショッピングセンター、理髪店、クリーニング店なども完備し、ちょっとした街が形成されていた。
▲代々木選手村のマップや施設配置図、各施設の写真など。

広い村内の移動には「100台の自転車を選手に貸し出していた」という。同展では選手村のマップや各施設の配置図、写真などを掲出しているため、現在の代々木公園と照らし合わせて見てみるのも楽しい。

選手村食堂は、アジア選手向けの料理を提供する「富士食堂」、欧米選手向けの「桜食堂」、女子専用の「女子食堂」の3棟。日本の威信をかけ、帝国ホテル総料理長・村上信夫さんら日本を代表する西洋料理人が集結し、参加国94カ国、参加者7,000人の朝・昼・晩の食事を提供するため、世界各国の料理研究を重ねてレシピ本「オリンピック・メニュー」を完成させている。▲帝国ホテル総料理長・村上信夫さんらが作り上げた「オリンピック・メニュー」

とはいえ、大会開催前には大きな問題もあった。7000人もの食事を賄うには、肉120トン、野菜356トン、魚46トンが必要となり、それだけの食材を一度に確保すると物価が高騰し、日本人一般家庭に大きな影響を与えてしまう。そこでそれまで料理界では敬遠されてきた「冷凍食材」を初めて活用したそうだ。当時、冷凍技術が今ほど進んでおらず、「冷凍=マズイ」という認識が強かったが、五輪開催に向けて試行錯誤を繰り返し、冷凍でも味や歯ごたえに遜色のない食事が提供できたという。こうした冷凍・解凍技術の研究が、今日の私たちの食生活に欠かせない冷凍食品の発展にも大きく寄与している。

▲建築家・菊竹清訓さんが設計した選手村食堂の模型。この設計で「富士食堂」「桜食堂」の2棟が建てられた

もう一つ、選手村から全国に広がったのが、「バイキング」「ブッフェ」といわれる食事形態だ。1950年代後半に帝国ホテルで日本初の「バイキング」が始まるが、選手村食堂でも7000人もの選手の食事を効率的にさばく方法として、村上料理長が採用したという。「好きな料理を好きなだけ皿に取り、テーブルに運んで食べる」という新しい食スタイルは、きっと各国選手にも好評だったに違いない。

開会式ディナーは帝国ホテル秘伝「シャリアピン」 鈴木さんノートで判明

村上料理長の下で働いていた鈴木さんは、勉強のため毎日の提供メニューやレシピを「1冊のノート」に記録していた。このノートから、1964年10月10日開会式当日、食堂で振舞われたディナーが、帝国ホテルの人気料理「シャリアピンステーキ」であったことが昨年明らかとなった。
▲鈴木勇さんが勉強のため日々レシピなどを記録したノート

戦前、来日したロシアの声楽家フョードル・シャリアピンさんが歯を痛めていたことから、「柔らかい肉料理を」と帝国ホテルが考案したのが同料理。その後、彼の名前にちなみ「シャリアピンステーキ」と呼ばれるようになる。その複雑な料理法は門外不出の秘伝となっていたが、開会式当日のおもてなし料理として、村上料理長が各国選手たちに振舞ったという。本来なら全国から料理人が集まる選手村食堂の場で、秘伝のレシピを公開することは考えにくいが、「オリンピックを成功に導きたい!」という村上料理長の気迫のようなものをそこから感じ取ることができる。鈴木さんの1冊のノートから、そんな知らせざる57年前の新事実も明らかとなった。

▲当時24歳の鈴木勇さん。選手村食堂での1枚

会場内には「選手村グラフ」として、鈴木さんが仕事の合間に撮影した各国選手や、食堂、選手村内の雰囲気が伝わる写真が数多く掲出されている。写真初心者であった鈴木さんは当時高価だったカメラを買い求め、入村している。これだけ多くの外国人選手たちにどうアプローチして撮影したのだろうか。実は料理人・給仕向けに配布された「食堂サービス手帖」の中にスタッフの心得やサービス、マナーに関するマニュアルのほか、6カ国語の日常会話記載があり、それを持って外国人選手にカタコトで話しかけて写真撮影に応じてもらったそうだ。
▲仕事も合間に鈴木さんが撮影した各国選手たちの姿

プールサイドでくつろぎ、笑顔で肩を組み合い、自転車に乗り……、中には着物を着ている選手たちなど、どの写真もリラックスした姿や表情が多く、競技中とは異なる選手たちの魅力が溢れている。選手村内では国籍も人種も関係なく、各国選手が和気あいあいと自由にコミュニケーションを図っていたことがわかる。今大会もコロナ禍でなければ、きっとこんな光景が選手村で見られたことだろう。
▲選手を撮影した写真をまとめた鈴木さんのアルバム

銅メダリスト・岩崎邦宏さんの貴重な資料も公開

そのほか、同展では渋谷区在住で、水泳競技、男子800メートルリレーで銅メダルを取った岩崎邦宏さんの所蔵資料も数多く展示されている。1964年大会の日程が進む中で、水泳では銅メダルに手が届く選手がおらず、落胆ムードが漂っていたという。そんな大会8日目(10月18日)水泳競技の最終日、男子800メートルリレーでアメリカ、ドイツに続く3位で日本が入賞。
▲岩崎邦宏さん所蔵の貴重な資料の数々。競技で使用した水泳パンツや各国選手たちと交換したピンバッジなど

会場に展示されている岩崎さんの「銅メダル」は、東京大会水泳で唯一のメダルである。また、展示の「水泳パンツ」「赤いジャケット」は実際に岩崎さんが大会中に着用したもの。さらに選手村内で各国選手と交換したピンバッチなど、57年前の東京大会に関する貴重な資料が数多く公開されている。

会期は10月10日まで。

企画展「オリンピックの料理人の見た東京大会1964」
○会期:2021年7月20日〜10月10日
○開館:11:00〜17:00 (入館は閉館30分前まで)
※土曜日は9:00〜
○会場:白根記念渋谷区郷土博物館・文学館
○料金:一般100円/ 小中学生50円
○ official:http://shibuya-muse.jp/

Editorial department · Fuji Itakashi

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