川口葉子の渋谷カフェ考現学

渋谷の音の風景 録音機をオンにしたまま、街を散歩する

 街角で耳にする音には、街の個性がそのまま表れていると思う。渋谷の街頭はいつも躁状態。ほかのどんな繁華街に較べても、群を抜いて大量の音楽と声とノイズに溢れている。ハチ公前交差点に立つたびに、なぜか「耳栓をしたい」というよりも「耳にマスクをしたい!」という衝動が押し寄せてくる。
渋谷駅に降り立ってから東急百貨店本店にほど近い静かなカフェにたどりつくまでに、いったいどれだけの音が強制的に両耳に入ってくるのだろう? 12月のある日、ささやかな実験を思いたち、ICレコーダーを手に街頭の音を録音しながら渋谷を散歩してみた。

 通りをほんの数歩進んでいくだけで音の風景はめまぐるしく変化する。街の地図の上に、音の種類とヴォリュームごとに色を塗り分けてサウンドスケープ・マップをつくったら、混沌の中からなにかの図柄が浮かび上がってきたりはしないだろうか。
連れとふたりで飲んだり食べたり買ったりしながら、3時間ほど歩いたコースは次の通り。最後に付け加えた数字は、聞こえてきた音量を最大100として数値化してみたもの。あくまでも感覚的、個人的な数字なのだけれど。

(1) 渋谷駅改札口からハチ公前交差点へ:98
(2) Qフロントのスターバックス:50→100
(3) センター街を歩き、右折して井の頭通りのHMVへ:98→90
(4) ZERO GATEのデリッツエフォリエ・ジェラートカフェ:30
(5) 東急ハンズから東急百貨店方面へ向かう細道へ:20→80→20
(6) カフェ・マメヒコ:20
(7) 公園通りからBEAMS通りへ、そしてザリガニカフェへ:40→20→40
(8) 井の頭通りからセンター街に戻って渋谷駅前へ:40→70

 この日、渋谷の大型レコードショップのエントランスは全て桑田佳祐の『ダーリン』発売記念イベントにジャックされていた。そのせいなのだろうか、意外にもクリスマスソングは東急ハンズの売り場の他では全く耳にせず。12月の街角を染め上げていたのは“70年代の日本歌謡曲に対するオマージュ”であるという失恋ソングの新曲だった。
予想通りだったことといえば、最高の耳的ヒーリング空間のひとつがカフェであること。予想していなかったことは、午後8時〜9時台にさまざまなショップが閉店時間を迎えたあと、音の風景が大きく変化すること。
それでは、カラフルな音の渦巻く世界へ行ってまいります!

(1) 渋谷駅の改札口からハチ公前交差点へ:98

 12月の土曜日、午後7時。ごったがえす駅の改札口を出て、ハチ公前交差点で信号待ちをする。
このスクランブル交差点ではあらゆる音もスクランブル状態になっている。交差点に面して建つ合計4つのビルの壁面の巨大ビジョンがそれぞれに流す大音量の広告音楽。リズムもメロディも歌詞も、攪拌されて意味と形を失い、ただ空中に拡散していく。
どんなに音楽が好きな人間でも、無理やり複数の曲をいっぺんに、しかもひどい音響で聴かされたりしたら苦痛を感じるはず。ここに立っているときは、たぶん多くの人々が耳のスイッチを自動的に切っているにちがいない。
このスクリーンは渋谷区の規制により一定の音量以下に抑えられているそうだが、交通量の多い時間帯になると騒音に負けないよう自動的に音量を上げるよう設定されているものもあるらしい。
背後でいきなり誰かの携帯電話が電子音のメロディを鳴らし始めた。数歩進むと、さらにもうひとつの音楽が重ねられた。銅像の前で二人組の男性がライブ演奏をしているのだ。この喧噪の中では三味線の音などほとんどかき消されてしまって分が悪いと思うのだけれど、二人組は気にしていないようす。彼らは行き交う人々に音楽を聴かせることより、ここで演奏するという行為そのものに意味を見いだしているのかもしれない。桑田佳祐なら彼らに何と言うだろう?

(2) Qフロントのスターバックス:50→100

 交差点を渡ってスターバックスに入ると、注文カウンターの前には6、7人の行列ができていた。フロアはTSUTAYAとスターバックスで分け合っており、TSUTAYAのBGMが大きなヴォリュームで流れている。
スターバックスの店員さんたちは、混雑するレジ前の誘導はお手のもの。待っているお客さま全員に素早くメニューが手渡され、行列はスムーズに進んでいく。この店舗は混雑緩和のため、ドリンクのサイズをすべてトールサイズで統一している。
私たちが注文したのは季節限定のジンジャーブレッド ラテ。支払いをしながら女性スタッフに尋ねてみる。
「これはどんな味なんでしょう?」
「えーと、こちらはですね、ドライの生姜の粉とシナモンが入っておりまして、ちょっとだけスパイシーで、クリスマスの季節にもぴったりですよ!」
説明と笑顔、ありがとうございます。じつは前に飲んだことがあるのだけれど、スタッフがどんな応対をしてくれるかが小さな楽しみで、毎回尋ねてしまう。
ジンジャーブレッド ラテを受け取り、もうひとつの出口から舗道に出たとたんに大音響に包まれた。TSUTAYAの店頭にスタッフが並び、桑田佳祐の新曲発売キャンペーンがおこなわれているのだ。CDの歌声がすぐそばのスピーカーから耳を直撃。
後日、渋谷センター街の組合事務局に問い合わせたところ、各店舗には音量を下げるよう厳重注意をしているそうだが、各企業のプロモーション担当者が訪れて直接店頭に立つと、ヴォリュームが大きくなりがちかもしれないとのこと。

(3) センター街を歩き、右折して井の頭通りのHMVへ:98

 センター街の入口ゲートにはクリスマスのイルミネーションが輝いている。この地点では、2つのビルのマルチビジョンと、TSUTAYA店頭のキャンペーンと、センター街に林立する明るい街灯に取り付けられたスピーカーから流れる音楽が入り乱れて、耳に宣伝合戦を仕掛けてくる。
どの音がいちばん優勢なのか確認したくてしばらく佇んでいると、センター街の街灯が、音楽の合い間に女性の声でアナウンスを流し始めた。以前ひんぱんに繰り返されていた「悪質なキャッチセールスに注意しましょう」のアナウンスではなく、車輌の進入禁止についてのドライバーへのお知らせ。この街灯放送は各企業やアーティストのプロモーションに活用されており、その合間にセンター街組合からの防犯や消防などに関するアナウンスが挟まれるらしい。
人間が発する声と、意味の汲みとれる言葉の組み合わせが耳を捉える力は強かった。互いに打ち消し合ってわけがわからなくなっているJ-POP合戦の上に、この女性の声が君臨している。センター街のすべての場所、および井の頭通りでも聞こえるこのアナウンスこそが、カオス状態の界隈に統一感を与えているようだ。その意味内容については、おそらくほぼ完璧に聞き流されているにしても。
センター街の女性下着ショップと大型家電量販店の前にはそれぞれ店員が立ち、大声で呼び込みをしていた。下着ショップのほうはスーツ姿のおじさんが担当、家電量販店のほうはメガホンを首から下げた若い女性が担当。
通りに向けて派手な音楽を流しているのは、ドラッグストア、CD販売ワゴン、携帯電話販売ショップカラオケボックス、まんが喫茶……まるで「大きな音を出して主張しないとお客が入らない」という強迫観念に追い立てられているかのよう。センター街組合事務局では、極端にヴォリュームの大きい店舗に対してはその場で音楽をストップさせているそうなのだが。
しげしげと眺めると、舗道に向けて積み上げられた商品の後にBOSEのスピーカーが設置されている。このあと、店外に向けられたスピーカーを探して歩いてみたら、あきれるほどたくさんのショップが街頭アピール専用の外向きスピーカーを軒下に設置していた。おまけに揃いも揃ってBOSE社製。渋谷には小さなBOSEの一大帝国が築かれていたのだ。センター街の街灯スピーカーにはJBLのロゴがあったから、こちらはこちらでネットワークを形成しているのかもしれない。
HMVの店頭には大きなクリスマスツリー。しかし、流れているのはクリスマスソングではなく、TSUTAYA同様に桑田佳祐の歌声。ここでも新曲発売キャンペーン中なのだった。

(4) ZERO GATEのデリッツエフォリエ・ジェラートカフェ:30

 HMVの斜め前のビルの壁面にも、『ダーリン』の流れる大型ビジョンが! いま、この曲を聞かずに渋谷を歩くことはできないらしい。
このエリアでもセンター街の街灯+スピーカーが活躍していることに目を留めつつ、ちょっと休憩して、今年11月にZERO GATE内にオープンしたDELIZIEFOLLIE(デリッツエフォリエ)に入った。シチリア出身の名門ジェラート職人がパリで成功させたジェラートカフェの日本初上陸店。連れは何度教えてあげてもこの名称が覚えられない。
ショーケースの中にずらりと並ぶジェラート各種の上に、スライスした色とりどりの果実が添えられて魅惑のオーラを放っている。アメリカから上陸して、店員さんたちが歌ってくれることでも話題を呼んだコール・ドストーン・クリーマリーをエンターテイメント系アイスクリームだとするなら、デリッツエフォリエはヴィジュアル系ジェラート。
どれを注文しようかと迷うあまり、私はBGMのことをすっかり忘れてしまった。録音したICレコーダーをあとで聞いてみたら決して静かとは言えない音が満ちていたのに、ショーケースの前ではちっとも気にならなかったことに自分でもあきれてしまう。周囲の音をうるさいと感じる感覚がどれくらい主観的、恣意的なものであるかを思い知る。

drole

大量の音に溢れているセンター街

(5) 東急ハンズから、東急百貨店方面へ向かう細道へ:20→80→20

 各ショップがあいかわらずスピーカーで激しく自己主張してくる井の頭通りを進んでいき、東急ハンズに入ったとたん、ほどよい静けさに包まれてほっとした。買い物客の姿は多いのだけれど、控えめなBGMに耳が癒されて、透明な耳マスクを外してもいいと感じる。
ここでコーヒーの円錐形ドリッパー専用のペーパーフィルターを購入。商品棚のクリスマスツリーの後には薄型のミニコンポのようなものが置かれ、クリスマスソングを流していた。この日耳にした唯一のスタンダードなクリスマス音楽。
東急ハンズの前から東急本店方面に向かう路地に入ると、あたりは急に暗くひっそりした雰囲気に変わる。路地の両側にはダイニングバーなどが点在しているのだが、自分の足音がクリアに耳に入ってくるくらいに喧噪はなりをひそめている。暗がりから猫が一匹躍り出てきて、私たちの前を横切った。

(6) カフェ・マメヒコ:20

 午後8時、目的のカフェに到着。三軒茶屋で人気を集めるCafe Mame-Hico(カフェ・マメヒコ)が今年秋に出店した渋谷店だ。店内は広いのだけれど、静謐という言葉がふさわしい落ち着きとやすらぎに満ちている。
カフェ・マメヒコではいつもBGMが耳に入らないので、このお店は無音だと勘違いしていたのだけれど、耳をすませば微かにジャズが流れている。オーダーするついでに、礼儀正しくあたたかい女性店長さんにBGMについて尋ねてみた。
「今日初めてBGMに気がついたのですが、いつもどんな音楽が流れているのですか?」
「午前中は主にバロック音楽をかけています。午後から夜にかけてはクラシックやジャズが多いですね。曲は季節ごとに社長が選んでいて、もう少しするとなぜか山下達郎のクリスマスソングが1曲だけ混じったりします。社長の冗談なのかしらと思っているのですが(笑)」
もう少し大きめの音量で流すようにと指示も受けているそうだが、
「私たちスタッフは音楽に一日中さらされているものですから、音楽に疲れてしまって、音量は抑えています」
同じく音楽疲れした私の耳にとっても、救われるヴォリューム。やがてテーブルに運ばれてきた「マメピコ」と「ハムレット」を心おきなく堪能することができた。連れのほうは赤ワインとチリビーンズ。
カフェ・マメヒコは日本の伝統食材である豆を、新鮮な西洋料理に仕立てておいしく楽しませてくれる。とりわけ素晴らしいのは、ブルターニュの郷土料理ガレットに豆を用いた「マメレット」。新登場のメニュー「ハムレット」は、そのマメレットの上にこだわりのホエー豚から作られた分厚いハムと、旨味の濃厚なチーズ、卵をのせてかりっと香ばしく焼き上げた一皿。
「マメピコ」のほうは豆乳と牛乳をステアし、さらに店長さんいわく「秘密のドリンク」を加えた、ラッシーに似た味わいのさわやかな飲みもの。秘密を解く鍵は、たぶん「ピ」のあたりに潜んでいるのではないかしら。
おなかも耳も満足したところで店内を見回し、イヤフォンをつけて読書するお客さまの姿をみつけた。読んでいる本のページには文字が縦に並んでいるから、英語の勉強中というわけでもなさそう。自分の空間に浸りたい人にとっては、安心して耳を解放できる静かなカフェでも、自分専用の音が好ましいのかもしれない。

(7) 公園通りからBEAMS通りへ、そしてザリガニカフェへ:40→20→40

 時刻は午後9時。公園通りを抜け、BEAMSなどのショップが立ち並ぶ通りを歩いていくと、ほとんどすべてのショップがすでに閉店していた。店内に明かりはついているものの、エントランスにはClosedの札が出ている。人通りもまばらで、透明耳マスクはまったく必要がない。
C.C.Lemonホール前の交差点から、色づいて落葉し始めた銀杏並木の下を通ってZarigani Cafe(ザリガニカフェ)へ。このあたりも静けさが心地よい。
仄暗い店内には音楽がやや大きめのヴォリュームで、それでも会話の邪魔をしない程度に流れており、店内のリラックスした空気にひとつの雰囲気を与えている。この空間と時間の魅力は、音楽なしには存在しないものだと思う。私の耳は受動的であることをやめて、能動的に音を聴こうとしている。
会計のとき、男性スタッフにどんなジャンルの音楽が多いのかと尋ねてみた。
「いま流れているのはレゲエダブですが、BGMはその日ローテーションに入っているスタッフが好きなものをかけるから、もっとポップな曲がかかることも多いですよ。すみません、音が大きかったですか?」
いいえ、とても良い感じでした、と言ってカフェを出たら雨が数滴、頬にあたった。急いで渋谷駅に戻ることにする。

(8) 井の頭通りからセンター街に戻って渋谷駅前へ:40→70

 午後10時、人通りはまだまだ多いものの、センター街全体の宣伝音楽量は驚くほど減少していた。そう、渋谷の音の風景は、時間帯によって大きく変貌するのだ。街灯のスピーカーもすでに沈黙していた。ドラッグストアも衣料品店もレコードショップも歌うのをやめ、唯一、地下へと続く階段から重低音を響かせていたのはレゲエ系のバーのみ。
ああ、いつもこれくらいだったら、いらいらしないで歩けるのに……と思ったのもつかの間、ハチ公前交差点に戻ってくると、マルチビジョン群はまだ歌い続けていた。

■プロフィール

川口葉子

川口葉子(かわぐちようこ) ライター、エッセイスト。
茨城県日立市生まれ。大学時代より東京都在住。散歩や旅の途中で訪れたカフェは800軒以上にものぼる。1999年末から趣味が高じてサマンサのペンネームでWebサイト『東京カフェマニア』を主宰。雑誌や各Webサイトでエッセイやカフェのレシピを連載中。2007年10月31日に『本のお茶〜カフェスタイル岡倉天心』を角川書店より書籍として刊行。

■著書 『本のお茶〜カフェスタイル岡倉天心』(角川書店)
『カフェの扉を開ける100の理由』(情報センター出版局)
『コーヒーカップ4杯分の小さな物語〜 4 cups of stories 〜』(書肆侃侃房)
『COFFEE TIME BOOK コーヒータイムブック』(青山出版社)


一覧へ