If there is a foreigner in need, someone will call out. I would like you to become "the most foreign in Japan, friendly to Shibuya" in Japan.
1989年、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。國學院大学在学中にカナダや韓国留学を経て、2012年オーストラリア政府観光局留学モニターとしてシドニーへ留学。大学卒業後はカナダに拠点を移し、「現地の人々と交流する」ことをテーマに2年ほどかけて海外を周る。帰国後、2014年に外国人観光客と日本人をつなぐ国際交流プラットフォームを立ち上げる。2016年にインバウンド事業をメインに手掛ける「株式会社ジェイノベーションズ」を設立し、代表取締役社長に就任。現在は外国人観光客向けボランティアガイド団体「Japan Local Buddy」の代表も務め、全国でガイド育成に取り組んでいる。
渋谷・センター街で「How Can I Help You?(何かお困りですか?)」というプラカードを掲げ、困っている外国人観光客を助けるボランティアガイドを行う若者たちがいる。彼らを束ねるのは、ボランティアガイド団体「Japan Local Buddy」の代表も務める大森峻太さんだ。2014年12月、仲間3人で渋谷の街でボランティアをはじめた同団体は、その後、全国規模にネットワークを広げ、現時点(2018年7月)でボランティアガイドの登録者数は1,000人を超えるという。現在はボランティアガイドのほか、「渋谷の観光案内所(ハチ公前広場・アオガエル車輌内)」の管理業務や、渋谷のショップの外国人向け接客サポートを依頼されるなど、インバウンド事業の領域まで活動の幅を拡大。もともと非公認で始めた彼らが、いつしか渋谷のオフィシャルとして認められるまでに至ったのだ。ある意味、渋谷のストリートが生んだサクセストーリーの一つと言えるだろう。今回のキーパーソンインタビューでは、渋谷を拠点に活動を続ける大森さんを迎え、ボランティアガイドやウォーキングツアーなど、インバウンドに力を注ぐその先に何を目指しているのか、その真意を聞いてみました。
_現在、英語が堪能な大森さんですが、もともとは全く得意じゃなかったそうですね。英語に興味を持ち始めたのはいつ頃からですか?
中学校、高校とずっとバスケットボールばかりやっていて、英語はもちろん、勉強全体が苦手。キャプテンだったということもありますが、テスト当日の朝もずっとバスケをやっているほど、起きている時間はほぼバスケに明け暮れていました。英語との出会いは、高校2年生の修学旅行で行ったオーストラリアです。一応バスケをやっていたので、NBAのあるアメリカには興味があったんですけど、それ以外の国に全く興味がなくて「何でオーストラリアに行かなきゃいけないんだろう」って。出発の朝まで「ちょっと体調が良くない」と行きたくない感を出していたんですけど、「全額払ったのだから、行きなさい!」と親に怒られて仕方ないかと。結局、嫌々行ったのですが、行ってみたらすごく楽しかったんですよ(笑)。もう別世界で、自分が知らない世界がそこにはあって。当然、英語も全く喋れなかったんですけど、現地の人とちょっとやりとりしたりとか、ああ海外はなんて面白いんだろうと思いました。帰国して親に言った第一声が「将来、海外に住むわ」でしたから(笑)。
_感化されやすいのですね。帰国後、将来の海外暮らしに向け、何か始めたことがありますか?
早速、英会話集を買ったりしたんだけど、3日坊主で終わってしまいました。結局、高校3年生の夏の引退までバスケ漬けの日々を送っていましたが、幸いバスケを頑張っていたため、大学は指定校推薦で國學院大學にほぼ決まっていました。でも何か将来に対するモヤモヤ感が残っていて……。そんなときに、あの修学旅行の楽しかった思い出が頭を過ぎり、漠然と海外での暮らしに憧れるようになっている自分がいて。僕の伯父がニューヨークで記者をしていて、いろいろな著名人にインタビューなどをしているのですが、小さい頃からそういう姿を見ていて面白そうな仕事だなと思っていました。その影響もあって、将来伯父のように海外でジャーナリストとして働けないかな、という夢が膨らみ始めました。
_急に話が大きくなりましたね(笑)
直ぐに伯父に連絡して「ジャーナリストになりたいんだけど……」と言ったら、「おまえは勉強していないからなれない。まずは自分でしっかり勉強しろ!」とアドバイスを受けて。急遽、推薦入学を辞退して、改めて勉強し直して一般受験しようと決めました。学校の先生や親も「えっ?」みたいな感じだったんですけど(笑)。
_そこから受験勉強を始めたのですね、結構大変だったのではないですか。
高校3年の夏に初めて模試を受けたんですけど、英語が全く分かりませんでした。適当に1、2、4、2……とマークを付けたら、結果は散々で偏差値が29みたいな。でも29って何だろうみたいな、偏差値さえも分からない状態だったんですよ(笑)。そこから本格的に勉強を始めて、最終的に一般受験して國學院大学に合格できました。もともと推薦で決まっていた大学なので、一見遠回りしているように見えるかもしれませんが、1年勉強したことが、今の僕の自信につながっています。
_入学後、英語の勉強は続けたのですか?
大学の空き教室を利用して、業者が学生向けの英会話スクールを開いていたのですが、そこに毎日通うようになりました。苦手だった英語が少しずつ喋れるようになっていくのが、すごく楽しくて、その授業を受けるために休日でも大学に通うほど。また学んだことを直ぐに試してみたくて、学校帰りには渋谷の「Hub(ハブ)」に毎日のように立ち寄っていました。ハブはお酒を買うときに、カウンター越しにキャッシュオンで注文するじゃないですか。僕の隣に優しそうな外国人客が並んだ瞬間に、今日覚えたフレーズを試していました(笑)。
カナダ留学時に語学学校の仲間たちとダウンタウンで。
その後、アルバイトしてお金を貯めて、大学2年の夏休みに初めてカナダのトロントに留学しました。1年近く英会話スクールに行っていたので、ちょっと自信があったんですけど、やっぱりネイティブの英語は全然違っていて、授業は何を言っているか分からない。最初はかなり苦労したんですけど、3週間必死にやっていたら、なんとなく聞き取れるようになっていました。喋れないにも関わらず、とにかく色んな人に声をかけまくっていたので、滞在2カ月間で語学学校のほぼ全員の約200人と友達になったんですよ。きっと面白い日本人がいるみたいな感じだったのでしょう(笑)。ちょうどFacebookが流行り始めた頃で、帰国後も毎日のように世界中の友だちとSNSでやり取りをしていました。それが英語力を伸ばした一番の要因かもしれません。
_留学経験を経て、大森さんの心境に何か変化はありましたか?
留学中にホームステイ先で問題が起きて身の危険を感じる経験をしたことがあったのですが、その時に学校や先生たちは、僕を一切助けてくれなかったんですよ。なぜかと言ったら、その事態が明るみになった時に学校の評判が悪くなってしまう、という懸念があったのでしょう。結局、僕に手を差し伸べてくれたのは、友だちや知り合いでした。改めてプライベートなつながりの大切さを思い知ったんです。もしかすると、日本に来る留学生たちも同じような経験をしているのではないかと思い、彼らをサポートできる「国際交流サークル」を自ら組織して活動するようになりました。國學院をはじめ、青学など他大学の留学生たちも含めてどんどん参加してくれるようになって、徐々にサークル規模も拡大。ちなみに僕らが卒業してからも、後輩たちが今尚、そのサークルを継続していてくれています。
_渋谷の街でボランティアガイドを始めるきっかけを教えてください。
大学卒業後、就職せずに2年ほどは、カナダやヨーロッパなど海外を旅していました。日本に戻って来て、久々に渋谷の街を見てみると外国人がとても多いことに気が付いたんです。僕自身、海外で現地の人びととの交流を通して、とても素晴らしい経験をたくさんしてきたので、世界中から日本に来ている人たちにも、同じように日本人とたくさん交流してもらったら楽しいだろうなと。そこで日本の魅力を知ってもらうため、外国人と日本人ボランティアをマッチングするウェブサービスを始めたんです。とはいえ、ウェブサイトを作れば、簡単に人が集まるというわけでもありません。当時は、暇で時間も持て余していたので、まずは「渋谷で外国人を助けてみよう」と思って、僕の親友に声を掛けたんですね。それが2014年12月です。当初は「Do you need help?」と手書きした看板を頭上に掲げて、センター街の入口辺りでやり始めました。
外国人第一号はシンガポールから来たカップルで、センター街入り口付近でお店を探していたんです。彼らの持っていたガイドブックを見ると「渋谷マークシティ」という文字が見えたのでご案内したのですが、その店はマークシティにはありませんでした。よくよく調べてみたら、センター街を入ったすぐの場所に数年前まであったらしいのですが、既に閉店していました。本来は1分で終わる話だったのですが、僕らの早合点でかなり申し訳ないことをしたなと反省。ですが、迷ったことも含めて長い時間一緒に歩いたため、彼らからも「君たちと話せてすごく楽しかったよ」と言ってもらえて。申し訳ないなという気持ちを持ちつつも、内面はとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
_現在、ボランティアガイドの登録メンバーは1000人を超えているそうですが、メンバー拡大のきっかけを教えてください。
初期メンバー3人のほか、僕が学生時代に作った「国際交流サークル」に所属する後輩たちを誘ったら、「先輩が何か面白そうなことをしているぞ」と思ってくれたのかたくさん参加してくれまして。渋谷でボランティアガイドを行う様子をSNSに上げていたところ、立ち上げ早々にもかかわらず、知らない人たちからも「僕もやりたい、私もやりたい」というお問い合わせが増えてきました。なんとなく楽しそうに活動している雰囲気が伝わったのでしょうね。また、日本では英語を使う機会はほとんどありませんから、ボランティアガイドを通じて英語のスキルを磨きたいという人も多かったのでしょう。ただ、当初は全く知らない一般の人を入れる気はなかったんです。だって趣味でやっているのに、責任感なんて持ちたくないじゃないですか。やると言っちゃったら、絶対にやらなきゃいけないから。ですけど、ものすごく反応が多くて、僕らも腹を括って一般の人たちもどんどん巻き込もうと途中から方針を変えまして、半年で200人ぐらいのコミュニティーになりました。その後、日本テレビのニュース番組「NEWS ZERO」で僕らの活動を紹介してくれたのですが、放送から1週間だけでボランティアガイドの登録が500人弱くらい一気に増えました。モデルの桐谷美玲さんが担当する「my generation」コーナーだったこともあるのですが、ものすごく反響が高かったです。
_メディアでの紹介が追い風になったのですね。
ちょうど東京五輪の招致が決まって、インバウンドに注目が集まった時期だったことも大きかったと思います。渋谷に続き、留学時代の友人に「一緒にやらない?」と声を掛けて大阪が加わり、さらに原宿、京都、奈良、名古屋などにもネットワークが広がり、1年間で登録者数が1500人、2年目で5000ぐらい。ボランティアガイドという存在が世間に認知されるようになってきたこともあるのですが、特別に僕らが呼び掛けなくても、登録者数は月300人ぐらいのペースで増えています。現在サイトをリニューアルした関係でボランティアガイドさんに再度登録し直してもらっているため、現在の登録者数は1000人強ですが、男女比は6割が女性、残りが男性です。もちろん個人差はありますが、女の子のほうが海外留学や国際交流に積極的で、ボランティアに対する志が高いですね。年齢層は30代以下が90%。年齢はいくつでも構わないのですが、僕がメディアに露出するときに「若者たちが渋谷で……」という括られ方をすることが多いため、どうしても若い人たちが中心になっていますね。
「センター街」入口付近でプラカードを掲げ、ガイドを行うボランティアたち。写真は外国人旅行者と一緒に記念撮影を行った1枚。
_渋谷でガイドを行っている時、道などをよく聞いてくるのはどこの国の人びとが多いですか?
英語の看板を持っているということや、国民性もあると思うんですけど、圧倒的にアメリカ人やオーストラリア人など英語圏の人が多いです。欧米の人びとは下調べなしに渋谷にやって来るので、とりあえず僕らガイドのところにやってきます。一方で中国人や韓国人はしっかり下調べてから来るので、あまりガイドに道を聞いたりしません。これは街中だけではなく、僕らが渋谷区観光協会から委託を受けている「(ハチ公広場の)アオガエル(東急5000系)」内で行っている観光案内所でも同じ。中国や韓国人はほとんど来ません。ただ、アジアの中でもフィリピンとかシンガポール、マレーシアの人たちはすごく多く、それはお国柄というよりも場所にもよるものかなと考えています。なぜかというと、大阪のボランティアガイドに聞くと、圧倒的に韓国人や中国人が多く、京都では欧米系が多いというので、エリアによって全く違うんですよ。なので、大阪メンバーの看板は「英語」のほか、「中国語」「韓国語」バージョンも用意しています。
_具体的にはどんなことを聞かれることが多いですか?
ボランティアガイドが渋谷の街で、道案内を行っているシーン。
「〇〇はどこですか?」という道案内が圧倒的に多いです。質問の仕方にもお国柄が見えて、欧米圏の人たちとか南米の人は、「おいしいお寿司屋はどこですか?」「安いラーメン屋はどこですか?」など、ざっくりした質問がとても多いです。一方でアジアの人たちは、「東急ハンズはどこ?」「(ラーメン店の)一蘭はどこ?」とか具体的な店名を挙げる、という違いがあります。中でも、道案内で一番よく聞かれるのが「忠犬ハチ公」で、2番目が「原宿への行き方」です。特に「ハチ公像」は駅前にあるにも関わらず、通り過ぎてしまうみたいで。きっと待ち合わせスポットになっているため、群衆に紛れて見えないのでしょうね。青ガエルの観光案内所でも「ハチ公、どこ?」と聞かれて、「後ろにあるじゃん」と指差すと「ああ(笑)」みたいな感じになりますけど。もっと大きな銅像だと思っているのかもしれませんね。
_今までボランティアでガイドしてきた中で、記憶に残るエピソードなどがあったら教えてください。
ガイド案内した外国人と、もう一度、海外で再会するのがすごく楽しみです。僕たちはガイドした後、仲良くなった外国人たちとFacebookを交換し合います。ある意味、ガイドをしながら世界中に知り合いをつくっているようなものなんです。なので、僕らガイド側が海外に行くときには、旅行前にFacebookから「今度、そっちに旅行に行くんだけど」とメッセージをすると、「こっち来るなら、ガイドしてあげるよ」「うちに泊まりなよ」と返信をもらうことも少なくありません。以前、ハワイから遊びに来た家族がいて、その時にガイドした女の子がすごく家族と仲良くなって。その後、ハワイのお宅にホームステイさせてもらったというケースもあります。そうやって再会が生まれたり、絆が深まることはとても面白いことだなと実感しています。
_外国人観光客とガイドがコミュニケーションを深めるのは良いことですが、一方で連絡先を教えるのは、時に危険が伴うこともあるじゃないですか。何かルールや注意していることはありますか。
基本的にボランティアは一人行動を行わず、必ず2人以上で行動させてリスクヘッジしています。もちろん当事者間でSNS交換した後は、僕らが直接タッチできるわけではありません。そこはあくまでも自己責任なので各自に気をつけてもらうしかない。あとは年齢が18歳未満の場合は、保護者の同意書がないとガイド登録ができないことにしています。
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