渋谷は多角的な価値観が共存する街であってほしい あと、小さな芝居小屋が4〜5つできるといいな…
1935年10月15日、埼玉県川口市生まれ。55年に劇団青俳に入団し、67年に劇団現代人劇場を創立。69年「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビュー。72年演劇集団「櫻社」結成、74年同劇団を解散後、「ロミオとジュリエット」で大劇場演出を手がけるようになった。以来、名実共に演劇界の第一人者として活動し続け、近年も、98年から始まったシェークスピアの全作品上演計画、上演時間が10時間半に及ぶ「グリークス」の公演など話題に事欠かない。83年「王女メディア」ギリシャ・ローマ公演を皮切りに毎年海外遠征を行い、欧米、カナダなどで高い評価を得ている。近年では、「夏の夜の夢」「身毒丸」「ハムレット」と、連続したロンドンでの公演が話題を呼び、99年〜2000年はロンドンとストラッドフォードで、ロイヤルシェークスピアカンパニーと共に「リア王」を長期上演した。88年「近松心中物語」の第38回芸術選奨文部大臣賞をはじめ受賞歴多数。92年には、英国エジンバラ大学名誉博士号を授与された。99年、Bunkamuraシアターコクーン芸術監督就任。
渋谷との出会いは50年ほど前の「恋文横丁」にさかのぼるという蜷川幸雄さん。その後もパルコ劇場での仕事や、シアターコクーン芸術監督を務めるなど、渋谷の街との付き合いは長い。今も、「勢いがあるときはセンター街を抜けていく」という蜷川さんに、渋谷への思いをうかがいました。
--蜷川さん自身が最初に渋谷に足を踏み入れたのはいつごろですか?

俺は「恋文横丁」だね。劇団の研究生のとき、50年代の終わりごろに麻布の三ノ橋に稽古場があって、そのころは都電で渋谷まで来ていた。今、中華料理「麗郷(れいきょう)」ってありますよね。「腸詰め」とか「豚足」とかが珍しい時代に先輩の俳優たちに連れて行かれた。僕が19歳ぐらいのとき、少なくとも50年ぐらい前の恋文横丁。台湾料理とか中華料理店など、ほんとに雑多な時ですね。「麗郷」辺りは当時、もう雑然たるもので、闇市のあとみたいな感じでしたね。その頃の渋谷と比べると、とにかくきれいになった。それから明らかに「まばゆい」。光の洪水みたいな。いい刺激で、僕は好きです。
--1999年からシアターコクーンの芸術監督をされていらっしゃいますね。空間的にどのようにとらえていますか?
いい空間ですね。コクーンがなぜいいかというと、床を落としたり穴を開けていくと楽屋まで丸見えになる。そういうフレキシビリティを持っているわけです。劇場を自由に使える体制がちゃんと常備されているわけですね。そんなことは嫌がる劇場も多いのですが、コクーンはいろんな風に歴史が積み重なっていて、そうして劇場を変えたり、面白いものを作るために劇場にある機構をフル活動して自由に使うということに労力をいとわない。それは素晴らしいこと。これがなかったらコクーンがこれだけ人々の注目を浴びる劇場にならなかった。床も外せるし対面式の劇場にもできるわけですね。そんな劇場は今ないんですよ。大変開かれた劇場です。それはものすごい財産。すごく自由でクリエーティブな仕事のためにはみんなが協力し合うっていう空気があっていい劇場だと思いますね。
--コクーンも含めて東急文化村自体が渋谷という街にありますが、渋谷の街にこうして劇場があるということをどのようにとらえていますか?
池袋や新宿より渋谷の方がはるかに文化的ですね。かつて60年代途中から70年代の頭まで新宿が面白くて流行っていた。それから、渋谷パルコがちょっと最先端の情報を発信するようになってから、立場が交代していったわけです。僕は、初期はパルコ劇場で仕事をしていたんですが、その時なんてのは、三面記事にならなきゃなにやってもいい(笑)なんてね。だからすごい勢いがあって…。僕らはそこでずいぶん仕事をしましたけど、やがて保守的になってくる。最近は文化村を中心とするこの界隈、駅からこっちにかけての方がはるかに面白くなったんじゃないかな。コクーン、文化村がずっといい情報を発信するようになってきて、街の若者たちの流れが変わってきたんですね。「こんな風に人の流れとか、文化的な比重っていうのが変わっていくんだ」ということがよく分かりました。

--コクーンのような劇場は渋谷の街と相性がいいですか?
いい。作品が固定化されずに開かれているから、面白い演劇人や共演者たちがここへ来るのを喜んでいる。文化村へ来たという感じになってくるわけですね。単に劇場がポツンとあるんじゃなくて、オーチャードホールがあったり展覧会場があったり本屋があったり、複合しているものが微妙に影響しあって、ここへ来る楽しみがあるんだと思うんですね。それで演劇も、ひとつの劇場だけでなくて、複合施設であるっていうことが僕はいいんだと思います。だから採算性でいえば、それは落ちるものもあるかもしれないけど、どっかがそれを担ってくれて、複合的にお茶も飲めて食事もできて、デパートで買い物ができて。そういう複合的な、言ってみればマーケットっていうか人の欲するものが一緒にそろってるというのが大事な気がするんだよね。渋谷の駅を降りてスクランブル交差点に立ってセンター街を見ると、いろんな屋外ビジョンがあったり…。その中を突っ切って文化村へ来るっていうのは、「光の洪水」の中を通って現実の村へ来るっていう感じがする。それが渋谷の魅力なんじゃないかな。あのアプローチのプロセスがおれは好きなんだよ。光の中をくぐって文化村へ来るっていうのが。言ってみれば、日常から非日常への花道みたいなもんでさ(笑)。だから渋谷は面白い。駅から文化村に行く方法は何通りかあるでしょ。いろんな道を試すのは楽しいですね。勢いがあるときはセンター街を抜けていきます(笑)。人と当たりたくないというときは文化村通りを回っていきます。
--渋谷は池袋や新宿よりも文化的だという話がありましたが、具体的には?
渋谷は劇場もコクーンとパルコがあって、映画館もたくさんそろっていますから、まとまりがいい。残念なのは本屋がちょっと少なくなってきちゃったかな。ブックファーストが移転したのはちょっと痛いね。いろんなものがちゃんとそろってないといけないよね。文化的に、活字もあればビジュアルもあるし、都市としての最先端のいろんなものがそろっているというのが面白い。渋谷はまとまりとして固まっているからいいんだよ。池袋は分散しすぎているから、バラバラで中心がないんだよね。新宿も今やちゃんと発信する満足な劇場というのはほとんどないんですよ。だから渋谷がいま一番まとまりがあって面白いんじゃないかな。デパートみたいなもんでさぁ、いろんな要求を満たしてくれるものが、ある地域でまとまってるってことが割と大事なような気がするのね。デパートっていうのはよくできていて、食べ物など衣食住いろんなものがそろっていて、あそこを巡ると小さな世界だよね。やっぱり渋谷も小さな世界を作ってほしいな。でも、やっぱり本屋は欲しいな。歩道からスッと入れる本屋っていうのが必要なんだよね。そういう地続きの本屋が無くなった。

蜷川さんが芸術監督を務める「Bunkamura シアターコクーン」
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