渋谷は若い人だけの場所じゃない。いろんな顔を持っている街
祭りの時期になると、渋谷を舞台にした映画を作りたくなる
1956年愛媛県生まれ。上智大学文学部卒業。大映・企画部入社後、製作部、助監督を経て、プロデューサーとして周防正行監督作品「ファンシイダンス」「シコふんじゃった。」等を手掛ける。大映退社後、磯村一路監督、周防正行監督、小形雄二プロデューサー(東京乾電池オフィス社長)等と製作プロダクション・アルタミラピクチャーズを設立。プロデューサーとして「Shall we ダンス?」「がんばっていきまっしょい」「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」「解夏」「それでもボクはやってない」「歌謡曲だよ、人生は」「タカダワタル的0(ゼロ)」等を手掛ける。最新作は「ハッピーフライト」(監督・矢口史靖)、現在大ヒット公開中。エランドール・プロデューサー賞、SARV賞(年間最優秀プロデューサー賞)、藤本賞等受賞。
現在公開中の映画「ハッピーフライト」をはじめ、「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」「それでもボクはやってない」など、独自の視点で描いた作品を次々と世に送りだしているアルタミラピクチャーズ。渋谷のど真ん中にあるオフィスで、代表の桝井省志さんにお話しをうかがいました。
--桝井さんが初めて渋谷にいらっしゃったのはいつ頃ですか?
広島の高校を卒業して大学から東京に出てきたので、初めて渋谷に来たのは学生時代ですね。ただ大学は四谷で下宿は高円寺だったので、どちらかと言えば新宿の方によく行きました。渋谷へ行くときは何となく気負っていたような気がします。当時の田舎者の青年にとっては、公園通りとかはしゃれていて、ちょっと敷居が高くて…「おれの居る所じゃないな」と思ったり。それぐらい田舎者だったっていうことですけどね(笑)。
--当時の渋谷のカルチャーシーンをどう感じていましたか?
今の宮益坂下の渋谷TOEIの場所に「全線座」という映画館があり、よく洋画をやっていました。松竹や東映の映画館もありました。でも、僕らがそういう文化的なもの、映画や音楽や、あるいはサブカル的なもので最も刺激を受けたのは、何といってもパルコ出版から出ていた雑誌「ビックリハウス」です。投稿もしていて、たまに自分のコントが選ばれたりすると、もうそれでうれしくて。何年間かは「心の師」みたいな感じで、ビックリハウスに夢中でした。とにかく「こんな面白いことを考える人たちは、ほんとに楽しいな」と思って…自分が楽しめる居場所が見つかってという気持ちでした。ですから今の場所にオフィスを構えたのも、「ビックリハウス」を発信していたパルコ出版のすぐ近くということで、今そこで仕事をしていることも何か縁かなという気もします。
--今でも、渋谷から受ける刺激はありますか?
最初は、今は角川映画さんに吸収された大映という映画会社に就職しました。新橋に会社があったので、お昼に街へ出てもサラリーマンしか見ないという環境でした。その時は何となく「会社勤め」っていう感じがありましたが、渋谷をベースに始めてからは日々の移り変わりが激しいじゃないですか。そういう意味では、肌で若い人たちのエネルギーを吸収できるという感じはします。
--今の渋谷をどんな風にご覧になっていますか?
公園通りを上がった渋谷ホームズのマンションに、アルタミラミュージックという音楽のオフィスがあるので、この辺りを1日何往復かしています。いろんな人が居ますよね。この間も、朝の6時ぐらいにオフィスへ帰ってきたら、マンションの裏口にある漫画喫茶の横で女の子が酔いつぶれて寝ていて。大丈夫なのかなと。途中で酔いつぶれて倒れたのか、喫茶店に入れないで倒れているのか分かりませんが、そういうものも目撃したり、まあいろいろ。以前ですが、知り合いがオヤジ狩りに遭ったり(笑)…一時期すごく物騒で歩くのが怖い感じもありましたが、最近はちょっと穏やかですね。
--生活している立場から見て、渋谷の魅力はどんなところでしょう?
昔、井の頭通りの交番の先に中華料理屋さんがありました。1年ぐらい前に店じまいしましたが、うちでもいつも食べに行っていて、夜遅いとスタッフの打ち上げをしたり…。渋谷の街に居ても、サンダル履きでそこへ行ってお昼を食べて、「映画はどうなの?」「いや、最近あんまり入んないんですよ」なんて話をして、町内会的な感じがあってすごく良かった。あの店がなくなって、ちょっと寂しい気がしています。戦後からやっているような店があって、渋谷の歴史を伝えてくれるような、そういう長く継続した古いものと、新しいものとが混在している街だということがいいなと思いますね。新しいだけじゃなくて…。お祭りの時期になると、いつも「渋谷を舞台に映画をつくりたいな」って思います。金王神社のお祭りでも、百軒店のお祭りでも、その時期になるとちゃんと地元の人が出てきて、地元民としてのイベントを若い人に負けないでやっている。それがすごくいいなと思っています。そういうのを見ると「東京らしいな」と思います。だからお祭りを題材に、何か渋谷の祭りを守っている人たちの話ができないかなと思います。そこでの、若い人たちと何かしらの接点も絶対あると思います。
--渋谷を舞台にした作品は多いですね。
やはり外国人は渋谷の街を面白がってくれますから。ただ、渋谷が舞台になった映画は、若い人たちの風俗を扱った映画になることが多い。でも、そういうものだけではないだろうと思います。普通の仕事をしている方々もたくさんいらっしゃる。でも、そういう人たちがこういう中で生活して、生きているんだなという感じはほとんど描かれません。近くのマンションで不動産業を営んでいる方、東急ハンズに勤められている方々にしても、当たり前ですが毎朝渋谷の真ん中にちゃんと出勤して来るのを見ています。渋谷は、実際にコツコツと日々を送っている人たちがちゃんと居て、若い人たちがちょっと来てはすぐ帰っていくという場所だけでは決してはない、いろんな顔を持っている街なのです。井の頭線の向こう側に行くと、また全然違いますしね。
--スクランブル交差点はどのような印象をお持ちですか?
広場恐怖症みたいな人も居て、通勤するだけでストレスになるという話を聞いたことがありますが、僕はどちらかというと人込みは好きなほうです。人が居ることに安心するというか、さすがに休みの日に若い人が多いと歩くのも大変で、勘弁してという気持ちもありますが、逆に言うと、みんな何かを求めてここに来て何かをしていて、「一生懸命何かやろうとしている人たちが居る」という安心感というか、共有できる感覚があります。日常的に若い人たちと会話することは極めて少なくて、多分趣味も嗜好も違うと思いますが、ここに居ると取りあえず共有できる。新橋を歩いていて感じる孤立感よりも、僕にはこちらの方の居心地がいいですね。
--渋谷にはミニシアターもたくさん集まっていますね。
こういう時代ですから、シネコンで全国公開規模の大きい作品だけが映画として認知されて、そうでない映画は、上映できる場が非常に限られる。その中で、渋谷は、ユーロスペースさんが長くやられているほか、シネカノンさんやイメージフォーラムさんもあるし、アップリンクさんなんかもある。ああいう個性的なものがちゃんとあるということは非常に重要だと思います。僕らは、劇映画もドキュメンタリーも、メジャーな作品も、マイナーな作品もつくります。そういうものを発信するチャンスが渋谷にはまだある。そういう意味では、地方は非常に大味になっていますね。
--一方で、小規模な作品も増えていますね。
インディペンデント系の映画製作も、今はかなりたくさんあります。皆さんもご存知のように、例えば以前の16ミリとか35ミリとかいった機材は非常に敷居が高かったし、なかなか簡単には映画を撮れませんでした。だけど今は、家電店のビデオでかなりのクオリティーの映像が撮れる。自分のコンピューターで編集も出来るし。今まで特殊技能として閉じられた世界にあったものが、誰でも参加できる場所に開かれたという点では、10年前、20年前、30年前とすっかり変わったと思います。じゃあ僕たちはプロとして「何をやるのか」を考えると、非常に厳しい時代だとも言えます。
--技術が開かれることは、有能な人材、優れた作品が生まれやすくなるということにつながりますか?
確かに一般的に、日本映画は以前に比べて非常に良くなったといわれています。ただ個人的には、映画の環境が悪いときの方がもっとハングリーな人がたくさんいたような気がしています。僕たちのところにも「映画の仕事をしたい」という方がたくさんお見えになります。でも「こんなに厳しいよ」という話をしたら「だいたい分かりました。じゃあ今回はちょっと」と諦めたりして、覚悟がない。僕たちのときは、まともな就職口なんてなかったし、ある意味で映画にしがみ付くしかなかった。映画の仕事は、もちろんビジネスでなきゃいけないし、ビジネスなんですが、やはり半分ビジネスじゃないところもあります。そこを共有できないと、つまり「こんなにしんどい思いして何でやるのか」とということを克服できる理由をしっかり自分で持っておかないと、なかなか難しい仕事ですね。うちの20代くらいの若いスタッフも、「とにかく映画の仕事をしたい」っていう情熱だけを持って、何とかしがみ付きながらやっています。僕たちとしては、個人の能力よりもやはりその気持ちを大切にしたいと思います。
現在公開中の映画「ハッピーフライト」© 2008 フジテレビジョン・アルタミラピクチャーズ・東宝・電通
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