建物は「情報被膜」で覆われ、地下からステージがバーンと上がって、
スクランブル交差点そのものが「巨大なイベント空間」に変わるんです!
京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。工学博士。 三菱総合研究所都市経営部長、取締役人間環境研究本部長、東京工科大学メディア学部教授を歴任。これまでに東京臨海副都心、ソウル市街地再開発、マレーシア情報都市の都市プランニングなど様々なプロジェクトの企画、事業化推進に従事する。2009年より、東京都市大学生活都市学部学部長に就任。そのほか、東京芸術大学大学院美術専攻科および早稲田大学大学院創造工学専攻科の講師も兼任するなど、都市プランナーのスペシャリストとして後進の育成に力を注ぐ。主な著書は「東京プロジェクト」(日経BP)、「臨海副都心物語」(中公新書)、「高度情報化と都市・地域づくり」(ぎょうせい)、「東京これからこうなる」(PHP)など。
都市生活学部ホームページ
--平本先生が、初めて渋谷に訪れたのはいつ頃ですか?またプライベートで、渋谷に出かけることがありますか?
岐阜で生まれて大学は京都だったため、社会人になってはじめて東京に出て来ました。こっちで初めて住んだのは、自由が丘からちょっと歩いた住宅街のアパートです。その後、結婚して祐天寺に引っ越したので、しばらくは東横線沿線に住んでいたことになりますね。思い出といえば、独身の頃から女の子とのデートは渋谷の公園通り(当時は区役所通り)だったことでしょうか。パルコがオープンする以前は、2階建てぐらいの小さなカフェやブティックが点々とあって、ちょっと洒落ていました。確かパルコの辺りに、今では大きなチェーン店となっていますが、「ジロー」というピザハウスがありましたね。当時、ピザは非常に新しいものでしたから、よくデートで利用しました(笑)。現在は小田急沿線へ引越しをしたのですが、それでも渋谷に寄ることは多いですね。買い物は一本裏に入ったプチ公園通りをぶらぶらします。あの辺りは若い人向きなのでしょうけど、ちょっと面白いものがあったりするので。私はたまに帽子を被るので、帽子屋の「CA4LA」ではよく買い物しますね。あと東急本店はゆっくりできていいですよ。店員がすごく丁寧に応対してくれますし。
--「渋谷の街」の魅力とは、どんな点にあると思いますか?
東京の各エリアの特徴を考えると、銀座や表参道は西洋的といえます。銀座はもともとイギリス人が明治時代に銀座街として設計したものですし、並んでいるブランドショップもヨーロッパのもの。表参道の商店会振興組合が以前「シャンゼリゼ会」と称していたことからも、フランスを模倣していたことが窺えますね。今は「欅会」へと名称を変更していますが、結果パリのブランドショップ街と互角に渡り合える通りになりました。ただ、これらはどちらも日本独自のものとは言えません。未来にどう変化していくかは分かりませんが、ルイ・ヴィトンにしろ、他の海外ブランドにしろ、アジア戦略の中で今は東京が一番の要だと思っているからフルラインのショップを置いているだけで、もし上海の方がアジアの要だとなれば、直ぐに撤退するわけですからね。西洋のショップが並ぶ西洋的な街ということは、東京独自の魅力というよりも、たまたま立地が良いから。そういった意味で渋谷はあまり汚染されておらず、かつ渋谷独自のセレクトショップが形成されています。かつて東急と西武が戦い合った後、公園通りではなく、スペイン坂など裏通りに小さなセレクトショップが現れましたが、面白い街というのは、ああいう混沌さがあるんですね。将来の東京は上海や香港、シンガポールなど、アジアを中心とした海外都市との競争が激しくなっていくでしょうが、その中で最も魅力を持っている場所が、渋谷なのかなと感じています。
--「面白い街」に共通していえることは何ですか?
パルコへ繋がる裏道「スペイン坂」は、雑貨・飲食店が密集する
これまでの計画的なまちづくりというと、碁盤の目になりがちだった。人間は単純なほうが作りやすいですからね。ニューヨークのマンハッタンも自動車道路が碁盤の目状にあって、そこに建物の箱が並んだタイプの街で、都市計画の産物の一つです。ただ今日は「都市計画」から「まちづくり」へと様相が変わってきています。例えばマンハッタンはすべてが碁盤の目で区切られているようですが、実は1本だけ碁盤の目じゃないものがあるんですね。それはニューヨークがオランダの植民地だった以前からある、インディアンがつくった獣道。碁盤の目を斜めに横切っている「ブロードウェー」です。タイムズスクエアが三角コーナーになっているのは、碁盤の目に対してブロードウェーが斜めにあるから。ユニオンスクエアも同じで、「文化の溜まり場」みたいになるところは、全部ブロードウェーと交差する三角コーナーなんですね。イレギュラーなものがあるから、かえって予期せぬことが起こるわけです。
--計画じゃないものを仕掛けることは出来るのでしょうか?
意図的に三角コーナーを造ったとしても、なかなか上手くいかないと思います。それは人間の関わるエネルギーの量が違うから。例えば、凱旋門だって放射状。大都市政策家オスマンの造った都市パリにも三角コーナーはいっぱいあるんですね。じゃあ、そういうところが面白いかといったら何も面白くない。結局一人の人間の頭脳でつくってしまうと、それは一人分のエネルギーしか関わっていないから、そこの土地にはエネルギーがあんまり満ちてない。一方で自然に出来たものというのは、少しずついろんな人びとが関わって工夫をしていくんですね。パリではオスマンが手を付けなかったサンジェルマンの裏路地のようなところに「人間のるつぼ」みたいな特別な面白さが現れています。建築家の都市計画では見栄えはいいけど、閑散として人間味のない街になってしまう。一人の人間の頭脳でつくったものというのは、高が知れているのでしょう。
--開発が進む中で、「渋谷の街」に残さなければいけないものとは?
渋谷駅周辺では終戦直後にヤミ市が発生。その後区画整理によって今日の「のんべい横丁」となった。
「松涛」ですね。文化村の後ろに急に現れるお屋敷街です。ああいう場所って新宿や銀座にはないですからね。六本木にはあったけど、だんだんなくなっていきます。あっという間に、ばっと舞台が転換するようなそういう場所の面白さは、やはり失わないようにしたいですね。南平台のほうも同じですが、あれがビル街になっちゃうともう駄目です。維持するには行政の力が要ると思いますが。それから「のんべい横丁」もなくしちゃいけないですね(笑)。お屋敷街同様、そういう何か異次元的なものはなくしちゃ駄目。例えば吉祥寺には「ハーモニカ横丁」、新宿の歌舞伎町には「ゴールデン街」、西口は「しょんべん横丁」があり、だから面白い。ヤミ市の名残りは新しくは作れないですから、貴重だと思います。
--これから渋谷で実現したい夢や目標がありますか?
「渋谷の未来」を考えている人はたくさんいるのですが、それぞれが地区ごとに分散してしまっている印象があります。鉄道会社はもちろん全体を考えておられるんでしょうが「まず駅から」という思いがあるでしょうし、商店街の人は自分の商店街、学識者も自分と関わりのある地区に関することを考えています。みんながバラバラで、原宿や代官山を含めた広域渋谷全体の将来像を考えている人はいないんですね。だから私たちは広域渋谷圏ぐらいの範囲で、全体の渋谷像をテーマにしてみたいと考えています。どうなるかは分かりませんが、これからの未来像を考えている人たちが集まって議論する場とか、何かを考える場を作っていかないといけないな、と思います。今はバラバラな人たちが一つになれば、きっと渋谷って強くなるだろうと思います。
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