04 REMAINS OF TAMAGAWA LINE
2022/6/28 公開
「(東急東横店)西館は通常のビルに比べると、柱などがかなり太い印象。きっと鉄道を支える建物であったため、かなり頑丈に造っていたのだろう」と都市基盤整備を担当する東急の北村さん。建物のデザイン性のみならず、構造の上でもかなりしっかりした造りであったことが改めて明らかとなったという。
また、1938(昭和13)年竣工の玉電ビルから築80年以上を数える「西館」の解体工事では、歴史的な大きな発見があったという。まず驚くべき発見の話をする前に、かつて渋谷の街を走っていた路面電車「玉川線(玉電)」について簡単に触れておきたい。もともと玉電の駅は帝都電鉄渋谷駅(京王井の頭線)横や、東横百貨店(東館)横などにあったが、玉電ビル竣工後、玉電ビル2階に駅が移設される。
ちなみに2020年に閉鎖したJR山手線渋谷駅「玉川口改札」の玉川という名称は、玉電改札口が向かい側にあった頃の名残である。1969(昭和44)年5月、惜しまれつつも国道246号上を走る路面電車は姿を消し、改札口やホームの跡地にはバス乗降場とバスの向きを変えるターンテーブルが整備される。さらに1994(平成6)年、渋谷マークシティ建設工事に伴いバス乗降場やターンテーブルも廃止され、その後、同所は西館の売場や京王線への連絡通路として活用されてきた経緯がある。
ここから本題だ。玉電廃止から52年、半世紀以上の時を経ているが、なんとフロアの解体時に「4本の錆びたレール」が出現した。玉川線渋谷駅はターミナル駅であったため、頭端式2面2線で先頭部には「車止め」があったが、北村さんは「おそらく今回、発見されたレール4本はその車止めに使われたレールではないか」と推察する。
玉電廃止から半世紀以上、何度かの施設リニューアルや建設工事などを経たにもかかわらず、なぜ、玉電のレールが残されていたのだろうか? あくまでも妄想に過ぎないが、当時の人びとにとって玉電は生活の足であり、深く愛され続けてきた電車であったことから、あえてその痕跡を残し、後世の人びとに再発見してもらいたいという、当時の工事関係者の気持ちがあったのではないだろうか。実際に解体工事に伴い、こうした形でレールが発見されたことで、かつて渋谷の街を走っていた玉電の記憶が再び呼び起される機会を得たことになる。もちろん、走っていた時代を実際に知る人はそう多くないが、当時を知らない若い世代であっても、その遺構の発見に街の歴史やロマンを感じずにはいられないはずだ。
ちなみに東館解体時にも、玉電が玉電ビル2階に移設以前まで東横店1階内を走り抜けていた時代の「アーチ状の美しい天井」が発見されている。「東横のれん街」解体に伴い、店舗内の天井を剥がしたところ、その上にもう一つ天井が出現したそうだ。古い建物の解体時には、こうした発見がつきものである。西館・南館解体でも今後、4階から地下階まで解体する過程でさらなる大発見が待っているかもしれない。期待して待ちたい。
東京の幹線である山手線、埼京線、銀座線の3路線の交通機関を一切止めず、複雑なプロセスを踏みながら現在、西館・南館の解体工事が進む。ある意味、渋谷の心臓部とも言える鼓動を止めずに、大掛かりな手術を数年間かけて行っているのと同じだ。改めて渋谷駅の再開発工事の繊細さを実感せざるを得ない。
最後に北村さんは「『渋谷=工事』というイメージが定着しているが、私たちはなるべく工事を感じさせないように頑張っている。むしろ今だけの、日々変わる再開発中の渋谷の姿を楽しんでほしい」とメッセージを寄せた。