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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

ストリートからトレンドを発信する渋谷は 街自体がメディアとして機能している

auの社外デザインプロデューサーを担当するなど、日本のプロダクトデザインをリードする坂井直樹さん。83年以降、渋谷に事務所を構えているのは常にストリートのトレンドと一体化していたいからだと話します。20年以上にわたり、渋谷のストリートを見つめ続けてきた坂井さんに、思い入れを込めて渋谷の魅力や課題を語っていただきました。

良い意味での「チンピラ」が生息する街なんですよ、渋谷は。

--坂井さんと渋谷との出会いを教えてください。

渋谷の南平台に、かつて外交官が住んでいた古い洋館が建っていて、その敷地内にクリエイターが集まるデザインセンターがありました。洋館のオーナーを個人的に知っていたことから、83年、そこに事務所を構えたのが渋谷との付き合いの始まりですね。その洋館は96年に解体され、今は横浜の山手町に移築されて国指定重要文化財として展示されています。その後も渋谷から離れず、現在は駅から徒歩15分ほどの神山町に事務所があります。83年頃は、渋谷にはまだ人は少なかったですよ。車も停めやすかったですし。いつしか若者が押し寄せるようになったのは、近くに専門学校が増えたことも大きいのでしょうかね。

--渋谷に事務所を構えたのは仕事上の理由でしょうか。

それもありますね。僕はサンフランシスコにTattoo Companyを設立して大当たりした「Tattoo T-shirt」を販売し、73年に帰国してウォータースタジオという会社を設立しました。その頃、シブヤ西武に「カプセル」という、かなり尖った洋服を扱うショップがあって、そこに僕のデザインしたものも置いてもらっていました。ISSEI MIYAKEも山本寛斎もTAKEO KIKUCHIも、今、残っているデザイナーの大半は、そこにお世話になっていましたね。デパートの中でしたが、一種の解放区で、いわばファッションデザイナーのインキュベーターのような存在でした。当時は新しいアパレルが勃興していた時期で、今で言えばITベンチャーが次々に生まれているようなイメージかな。時代を超えて、どちらも渋谷が舞台になっているのは興味深いですよね。

--仕事上、渋谷の街からヒントを得ることはありますか。

僕はね、管理されていないカッコ良さを持つ人を「チンピラ」という言葉で呼ぶんですけど、そうした意味でのチンピラが渋谷には生息しているんですよ。もちろん、これは良い意味ですよ(笑)。渋谷に集まるストリート系の若者は、お金はなくてもおしゃれですよね。本当のカッコ良さとはストリートに生息しているものなんです。例えば、ストリートの人間ではないあるタレントは、ストリートにカッコいい人間がいるのを知っているから、ストリートのファッションについて、ものすごく研究している。その結果、メディアを通すと、皆が彼の真似をしているように見えるけど、じつは原点はストリートに存在するんです。面白い構造ですよね。僕もファッションや音楽、映画、自動車をはじめ、ストリートの動きには、常に目を光らせています。渋谷の中にもエリアによる違いはあって、例えば東急ハンズとパルコの駐車場では置いてある車が全然違う。そうしたストリートの敏感な動向をキャッチしやすい街なんです。街自体がメディアになっていると言っても過言ではないでしょうね。

--渋谷の街の景観はデザイン的にいかがでしょうか。

渋谷は「外観のない街」なんですね。インテリアはあるけど、エクステリアがない。例えば、パルコや東急ハンズの外観の絵を描けますか。おそらく描けないでしょう。内観には凝る反面、外観にはとても無頓着な街なんですよね。看板が怒涛のようにあふれていて、あまり空も見えない。渋谷の街を歩いていると、ときどき、「建物の中を歩いているみたいだな」と錯覚することすらありますね。ニューヨークや香港に少し似た雰囲気はありますが、ヨーロッパなどと比べると異様ですから、外国人の友達はみんな驚きます。銀座線がビルに突っ込んでいたり、自動販売機が10台くらい並んでいたり、首都高や国道246号が並走していたりする光景にびっくりし、それが宮崎アニメやAIBOなどのメディアからの情報と一緒くたになって、複雑な日本観が形作られているようです(笑)。東京のイメージとして海外のメディアに最も登場するのは渋谷ですから、多くの外国人が渋谷=東京と捉えていると思って間違いないでしょう。

2005年から「auデザイン・ケータイ プロジェクト」にも参画

クリエイティブな人が クリエイティビティを体感できる街に

--坂井さんが「コンセプター」と名乗る理由を教えていただけますか。

デザインに留まらず、コンセプトワークを手がけているから、最初はコンセプトワーカーにしようかと思ったのですが、テレビではシンプルな方が伝わりやすいといわれて、コンセプターに縮めたんです。85年頃から使っています。英語にはない造語ですし、遊び半分で付けた面もありますが、今では大企業でもコンセプターという肩書きを使っているのが少し面白いですね。コンセプターという言葉が珍しいこともあって、BBCから取材を受けたりもしました。僕は83年から88年まで日産で自動車の開発に携わっていて、当時では珍しく個人名が出ていたんですね。今もそうですが、日本では企業名がブランドという考え方が強く、特に以前はクリエイティブに参加する外部の人間の名前は秘密にされていたんですよ。それがコンセプターという聞き慣れない肩書きで大企業のクリエイティブを動かしていたから、BBCも不思議に思ったのでしょうね。

--最近はケータイのコンセプトワークに注力されていますね。

ええ、最近の仕事の7割ほどはケータイ関連ですね。ケータイの仕事は面白いですよ。今の若者は車よりもケータイの方に興味が向いている。ケータイ一台の開発費って、どれくらいか分かりますか。車一台の開発費とさほど変わらないとも言われています。ある意味、ものすごいギャンブルですよ。大きな投資をしても月に500台しか出ない機種もあれば、200万台を売り上げるものもある。でも、中身は大して変わらなかったりするんですね。つまりデザインで勝負が決まるわけです。でも、デザイナーは、デザインのことだけを考えて、ビジネス的なことは気にしません。僕のコンセプターとしての立場は企業とクリエイターの中間で、半分はビジネスマン、半分はクリエイターという状態ですから、そうしたビジネスの側面を踏まえながら、デザイナーをプロデュースしています。

--最後に、将来の渋谷へのメッセージをお願いします。

ミラノやパリには景観への法的規制があって街並みは美しい。同じく京都もがんばっていますが、渋谷は渋谷で良いと思います。ごちゃごちゃした街並みの中に面白さがあるから、あまりきれいに整えてほしくないですね。そして先ほど話したように、ストリートのカッコ良さ、養殖されていない人のカッコ良さが失われない街であってほしい。今よりも一層、ファッションやデザイン、音楽などの面で、クリエイティブな人たちがクリエイティビティを体感できる街になるといいですね。一点、苦言を呈するとしたら、接待に使えるグレードの高いレストランが少ないこと。そういうときは代官山に移動しています。でも、代官山も渋谷の側にあるからこそ、魅力が引き出されている。そう考えると、やはり渋谷は「あるがまま」でいいのかもしれませんね。

■プロフィール
坂井直樹さん
1947年京都市生まれ。66年、京都市立芸術大学デザイン学科入学後、渡米。サンフランシスコでTattoo Companyを設立し「Tattoo T-shirt(刺青プリントのTシャツ)」を発売し、大当たりする。73年、帰国後にウォータースタジオを設立。87年、日産「Be-1」、89年には「PAO」を世に送り出し、フューチャーレトロブームを創出した。88年にはこれまでのカメラの概念を覆すオリンパス「O-Product」を発表、95年、MoMAの企画展に招待出品され、その後、永久保存となる。95年以降、情報通信関連のプロダクトとコンテンツ開発を多数手がけ、04年、ウォーターデザインスコープを設立。05年11月、KDDIからコンセプトモデル「MACHINA」「HEXAGON」の2機種を発表。その他、ジョージア「ワンセグTV」、ベビーカー、ガスレンジなど数多くのプロダクトの開発に携わる。現在、auの社外デザインプロデューサーを担当し、06年11月にはコンセプトモデル3機種を発表。近著に「デザインのたくらみ」がある。

ウォーターデザインスコープ

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