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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

文化をフックに豊かなコミュニケーションを−シブヤの街と若者を繋げていきたい−渋谷駅近くの美竹公園(渋谷1丁目)のバスケットコート「ジョーダンコート」の管理をはじめ、渋谷の街を拠点として若者支援の活動を展開するNPO法人KOMPOSITION代表の寺井さん。そのユニークな視点で、渋谷の街への思い入れや、未来に向けての提案を語ってもらった。 情報発信基地のような渋谷の街が理想だった
―KOMPOTISIONを設立した経緯は
大学時代はあまり学校に行かずに、社会勉強と称して代議士の秘書をしていたりしました。大学院に進学したころ、自分の組織を作りたいと思い立ち、学生同士でサークルを組織したんですね。「さあ、みんなで面白いことをして成功しよう」と意気込んだのはいいけれど、早速、一年後には行き詰まってしまった。思えば当たり前です、まともな計画もなかったのですから。でも諦めるのは嫌で、25歳だった2002年に今のNPO法人を立ち上げました。その段階で、ようやく活動内容を練り始めたので、今思えば、見切り発車でしたね。そして、行き着いたのが、先に進めずに立ち止まっている若者の背中を押してあげるような活動。僕らや、その下の世代は物質的には豊かで、たとえ働かなくても親にパラサイトをしていれば、しばらく死ぬことはない。自由だと言われ、一見、何でもできるかのように見えるけれど、やりたいことが見つからない。そうした気持ちにさいなまされる若者に何らかの可能性を提供したい―そんな大風呂敷を広げ、NPOの活動をスタートさせました。

―活動拠点に渋谷を選んだのは、どういう理由ですか。 それまでは六本木に事務所を間借りしていましたが、そこは僕らの遊び場所じゃなかったんですよ。もっといっぱい、若者が集まる街が良かったんですね。僕らは理想だけは大きくて、日本がどうだ、世界がどうだ、とか話していたので、その場所で何かをすれば、全国に広がっていく情報発信基地のような渋谷の街が理想だったこともあります。僕は、渋谷は戦国時代の京都みたいな場所だと思っていましたから。この街に旗を立てて、ここにいるぞと叫べば、あそこに誰かがいるらしい、じゃ一緒にやろうか、なんて声が掛かりそうじゃないですか。これが他の街だったら、何だか変なヤツがいるぞで、終わってしまいそうです。そんな直感からの判断でしたが、今になって間違っていなかったと確信しています。

―渋谷に事務所を移してからは、どんな活動を展開していますか。
公園の壁をキャンバスにしてアーティストに絵を描かせてあげたいと思い、行政に話をしに行ったら「ただでさえ落書きで困っているのに描くなんて冗談じゃない、消すのならまだしも」と言われてしまいました。それで、まずは落書きの清掃から始めました。1年半ほど前からは、美竹公園のバスケットコート「ジョーダンコート」の運営を渋谷区から受託しています。今では関西から見学者が訪れるなど、ちょっとした観光地にもなっています。昨年末には、センター街にできた飲食ビルの外壁をキャンバスに変え、僕らが応援するアーティストに活動の場を提供しました。センター街なので、一日に10万人くらいの人通りがあり、しかも僕らが情報を発信したい若者が多く通ります。

―渋谷に集まる若者を、どのように受け止めていますか。 渋谷は若者であふれていますが、彼らの多くは渋谷に住んでいるわけではない。何らかの目的を持って来ているのです。彼らが求める「何か」があるのか、あるいは「何か」があると思って来るのか。その「何か」は、決して洋服とかレコードだけではないと思います。表層的には、メディアによって渋谷は華やかに見えるので、それを求めているのかもしれない。でも実際は、渋谷には若者が「夢」や「希望」が持てるような「もの」が存在するから集まるのだと思います。それは、恐らくデザインやアート、音楽やスポーツといった文化寄りのものです。若者は、何かしらクリエイティブなことをしたいわけで、その拠点になるような施設や機能が渋谷に実在しており、その結果としてこの街のブランドイメージができあがっていると思います。例えば、裏原や109が文化的な情報を発信したり、宇田川町が世界一のレコード集積地と言われるなど、クリエイティブが詰まっている。本質的にはそういう理由で、若者が集まるんじゃないのかな。

KOMPOSITIONがリーガルウォールを手がけたジュネスビル(宇田川町)


渋谷には、音楽やスポーツなど、「コミュニケーションのフック」となるモノが無数に転がっている―渋谷にとっての課題は何だと思いますか。
渋谷では、地元の人と若い人とのコミュニケーションが取れていないことも問題です。渋谷にはそこに住んでいる20万人だけからなる「小さな渋谷」と、80万人とか100万人といわれる来街者を含めて渋谷の成員だと捉える「大きな渋谷」の二つの側面があると思います。100万人の若者は、商業的にも文化的にも渋谷の繁栄に欠かせない存在ですが、一方では彼らが治安やゴミといった社会問題の原因にもなっています。だから今後は「大きな渋谷」の視点から、若者をどのように巻き込んでいくかという戦略が必要になると思います。そのためには、渋谷も「機能」から「心」へのシフトが必要。渋谷には今、モノがあふれています。渋谷で何万点の商品が売られているとか、商業施設がいくつあるとかの問題も大事ですが、渋谷でどういう気持ちになるとか、渋谷がどのようなきっかけになるとかを考えることがこれからは大事なのでは。確かに、今は若者が集まっていますが、本当に若者にサービスを提供できているのだろうかと疑問を感じたりもしますね。モノはあふれるほどあるけれど、気持ちの面で十分に満足させているのか。「渋谷をどういう街にしたいのか」を、この街の人たちが真剣に考えていかなくては、他の街に追いつかれる可能性も出てきますね。

―今後、渋谷で、どのような活動を考えていますか。 もっと渋谷の街に特化した活動を展開するつもりです。街と若者が繋がっている、街が若者を応援してくれている、という感覚を引き出していきたいですね。例えば、渋谷には音楽で言うと「タワレコ」などの魅力的な要素が沢山あると思うんです。そうした魅力的な点と点を繋いでいきながら、つまり渋谷の街に眠るリソースを活用しながら、若者を応援していきたい。自由に何かをやらせてもらえるのなら、たとえば「シブヤ美術館」と名付けて街全体をギャラリーにしたり、あるいは街を体育館や陸上競技場にしたり―街が生き物か装置みたいに見えたら面白いでしょうね。現在は、壁を絵のキャンバスにする「リーガルウォール」やバスケのトーナメント「ALLDAY」、ランニングスペースを確保する「RUN CARAVAN」など、3つのカテゴリーを軸に活動しています。今後、そのカテゴリーを30くらいまで増やしたいですね。そのためにも、今まで関わりが薄かった渋谷の商店街、町内会、企業の方などとも、徹底的にローカルな付き合いを深め、そして今後の全国的な広がりにつなげていきたい、というのが今年の目標です。

―最後に渋谷の街にメッセージをお願いします。
渋谷を歩いていて、ふと寂しくなることがあります。たとえば、マークシティを通り過ぎるだけで、500人くらいの人とすれ違い、500の別れを経験します。当然ですが、誰とも会話を交わすことはありません。これが田舎の村で同じ距離を歩いたら、たった二人にしか出会わないかもしれない。でも、きっと二人とは会話を交わすでしょう。なんか寂しくないですか。本来、渋谷には、音楽やスポーツなど、「コミュニケーションのフック」となるモノが無数に転がっていると思うので、それをきっかけに、誰とでも繋がっていけるのが当たり前の街になればいいのかなと。そういう仕組みがどうすれば作れるのか?僕も、常々考えています。一方、美竹公園の「ジョーダンコート」では、そこを利用する若者たちの美化意識が自然と高まってきたほか、ボランティア清掃の際に隣の都営住宅の方から差し入れをいただいたり、逆にお手伝いに伺ったりと、近隣の住民の方々との連携が生まれてきたケースも生まれています。まさに、バスケットボールという「フック」を通した人の繋がりですよね。そういうことを皆が歩み寄って考えられる街に、渋谷が変わってくれると本当に嬉しいですね。

■KOMPOSITION 若い世代がアート・スポーツ・ビジネスなど、様々な分野で自らの夢を具現化し、責任を負いながらチャレンジを続けるための支援を行うことを目的に設立されたNPO法人。リーガルウォールやストリートボール、ランキャラバンなど、複数の活動を通じて若者支援を行っている。事務局を道玄坂に置く。以下は、同法人が手掛ける主な活動。

リーガルウォール リーガルウォール 宮下公園の一部やセンター街のビルなどの壁面を、若手アーティストのキャンバスとして開放することで、落書き防止に貢献しながらアーティストを支援。
ジョーダンコート(美竹公園) 美竹公園 ナイキジャパンが寄贈し、マイケル・ジョーダンの名に由来する「ジョーダンコート」(美竹公園)の管理運営を渋谷区から受託し、「バスケットボール」をフックにしたコミュニティづくりを推進。
ランキャラバン ランキャラバン 代々木公園陸上競技場を開放することで、気持ちよく走れるスペースを市民ランナーに提供。ランニング関係の講習会や、飲料・食料の提供も行う。

■プロフィール
寺井元一さん
兵庫県生まれ。灘高卒業後、早稲田大学政経学部に入学。政治家のボランティアスタッフを経験したのち、同大大学院で「計量政治」を専門に研究する。価値観の変化が、投票行動にどのような影響を及ぼすかという研究の一方で、人間の価値観の変化そのものに興味が移っていく。「やりたいことをやろう」というテーマのもと、2001年に前身である学生サークルkompositionを設立した。翌2002年にはNPO法人化して活動を本格化させ、2003年に事務局を六本木から渋谷に移す。28歳。


撮影協力:オリエンタルダイニング「LOHB(ローブ)」(「Liles.」4階・5階、TEL 03-3464-3355)

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