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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

プロフィール

1965年東京生まれ。東北大学工学部出身。大学時代はボート部に所属。卒業後、大手企業を経て1992年に都市デザインシステムを設立。コーポラティブ方式による集合住宅や戸建住宅・街づくりを基幹事業とし、ホテルやオフィス、リゾートなどにも事業を拡大するとともに、近年はリノベーションにも力を注ぐ。


コーポラティブ方式の住宅やホテル、リゾートを事業の柱に、近年はリノベーションにも事業領域を広げる都市デザインシステム。1992年に同社を設立した梶原文生社長は、「ビジネスの発想が生まれやすい」という理由から、一貫して渋谷区内にオフィスを構えています。高校時代から渋谷での起業を夢見ていたという梶原社長に、渋谷との出合いや、街としての魅力、渋谷におけるリノベーションプロジェクトの狙いなどを伺いました。

※コーポラティブ方式とは…住宅を建てたい人が共同して計画を定め、土地の取得や建物の設計、工事の発注を行う。合理的で納得のいく価格でライフスタイルに合わせた自由設計の住まいが実現し、住人同士のコミュニティも育まれるなどメリットの多い住宅取得方法。

高校3年生で渋谷での起業にチャレンジしました

--梶原さんと渋谷との出合いは?

高校時代は杉並区の自宅から、ちょくちょく渋谷に遊びに来ていました。「ビジネス」として初めて渋谷を訪れたのも高校時代。高校3年の頃、起業を考えていた私はインテリアショップを開こうと考え、「場所は渋谷しかない」と自転車でやって来ました(笑)。渋谷を選んだのは、インテリアにはぴったりのおしゃれなイメージがあり、さらにビジネスが成立する街だと思ったから。高校生なりに、色々と考えていたんですね。それで自転車でグルグルと回って空き店舗を探し、「この辺りなら家賃は安いだろう」と、神山町の物件に決めて不動産屋との交渉に臨みました。当時の私はいかにも高校生という風貌だったから、開口一番に「お金はあるのか?」と訊かれ、「ないです」。「じゃあ親は金持ちか?」と言われて、「いいえ」。話を聞くうちに、保証金やら何やらで予想をはるかに上回るお金がかかることを初めて知り、すごくビックリしました。本当に無知だったんですね(笑)。それで、いきなり店舗を出すのは不可能だと思い、作戦を改めたのです。

--それで次の行動は?

高校の教室で『少年マガジン』を読んでいた時、巻末の通販ページを目にして、「これだ!」と思いました。店舗が無理なら、まずは通販でお金を貯めればいいと思ったんですね。それで学校の電話から講談社に電話をして広告料をきいたら、1ページ200万円くらいと言われて再び打ちひしがれました。それだけ貯めるには、何年かかるのか、と(笑)。それでも諦めず、「路上で店を出せばお金がかからない」と思い付き、再度、自転車で渋谷を目指したんです。それで、せっかくタダなのだから、駅前のど真ん中でやろうと考えて場所を探しましたが、よく考えたらこれも無理だなと思うようになり、断念しました。それで、「やっぱり高校生が起業するのは難しい」と、やっと気付いて。もっと早く気付けよ、という話ですけどね(笑)。

予告通りに3年間で退社して、都市デザインシステムを設立

--どのような大学時代を過ごしたのでしょうか。

起業に挫折してから、経営者として成功するには「何か強みがなきゃダメだろう」と考えるようになって。それで、自分の強みを伸ばそうと考えたけど、なかなか、それが見つからない。それで、経営者の書いた本を読みまくるうちに、経営者に必要とされる資質の中でも、「体力」「精神的なタフさ」は、まぁ何とかなるかなと考えました。あと、「能力のない人間は人を上手に動かせば良い」という言葉に出合い、これは良い言葉だと思いまして。リーダーシップには自信がなかったけど、部活では「まぁキャプテンもああ言っているし、頑張ろうよ」などと、人を動かすのが結構得意でしたから。「体力」「精神力」「人を動かす力」。この三つを同時に伸ばすには何をすべきかと考えるうち、スポーツがぴったりだと思い付き、色々な大学の合宿所を巡った挙句、東北大学に入学してボート部に入りました。それで自分に自信を付けるために、日本一、そしてオリンピックを目指して夢中になった。インターハイ経験者が集まる大学と比べると、どうしても実力ではかなわないから、どうすれば勝てるかと皆で必死に考えて練習をしました。結局、日本一にはなれなかったけど、そうやって皆で一緒に考え抜く経験は、社会に出てから本当に役立っていると思いますね。

--大学卒業後の経緯をお話ください。

社会勉強のために3年間だけ会社勤めをしようと決め、大手企業の内定をもらいました。が、色々と考えるうちに、大きな会社のブランドを背負って働くことに疑問を感じたんです。というのも、将来的に独立してブランドがなくなったら、今までのやり方が通じなくて困ってしまいそうだな、と。それで他に小さな会社を探し回るうちに、ちょうど、その大手企業が経営的に厳しい状況になったのです。会社を建て直していく経験など滅多に積めないから、「これは良い経験になるぞ」と思い、最終的に入社を決めました。会社が良い時期に力を伸ばすことも大事だと思うけど、悪い時期こそ、真価が問われるところ。実際、その企業で良い経験を積ませて頂き、予告通りに3年間で退社して、その直後に都市デザインシステムを設立しました。

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