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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

渋谷は「インキュベーション機能」を持つ街。文化発信力のある横浜と連動の可能性も。美術展の企画運営のほか、出版から音楽、企画展のプロデュース、都市・建築・街づくりにおけるアート計画など、多岐に渡った活動で躍進するアートフロントギャラリーの北川フラムさん。その活動の拠点である代官山ヒルサイドテラスは、都市文化への発信に対する貢献で1998年度メセナ大賞を受賞した。その北川さんに、渋谷との出会いや街の課題、未来の渋谷に対する熱い思いを聞いた。 文化的な意欲の遺伝子が、渋谷の街には今も多少残っている--渋谷の街との、そもそもの出会いについて教えてください。
僕は学生の頃からずっと渋谷にいますよ。だから街に愛着がある。最初は姉の事務所が渋谷にあったから、頻繁に行くようになったんだけど、自分でも絵を描く場所を探して桜丘の古いビルの一室をアトリエとして借りたのが25、6歳の頃でした。その小さな雑居ビルは、テレビドラマの「岸辺のアルバム」の舞台になったところなんですよ。桜丘は昔、花街でしたから「岸辺のアルバム」で八千草薫が使うホテルがあって、僕の借りていたビルは、国広冨之が台詞で「悪徳金融業者がいるビルだ」って言っていた(笑)。30年前当時の渋谷は、そういう怪しげな雰囲気が残っていたんですね。

--今から30年前の渋谷は、どのような街でしたか。 昔の渋谷は、多くの外国人が細かく土地を持っていたんです。戦争が終わって、将校などがワーッと自分の土地を作ったから。それでも、東大などの大学がいくつかあったから、赤坂のようにはならなかった。当時からいろいろな要素の共存する良さがあったことが、今の多様な人が集まる場所につながっていったんでしょうね。今ほどは若い人の街というイメージはなかったけれど、決して年寄りの街ではなかった。30年前、桜丘の一角に、ボウリング場ができたんです。でもすぐに潰れて、ヤマハが入ってそこで「ポプコン(ポピュラーソングコンテスト)」が始まった。僕はその1回目を見に行きました。クリスタルキングが1位で2位がチャゲ&飛鳥だった。そういうことがコチョコチョできる空気があって、そういう意味では非常に面白い街でしたね。大和田小学校へ向かう道に大きな坂があるでしょう。あそこはテレビ番組の「西部警察」で、石原裕次郎と渡哲也が終盤に気分良く歩くシーンを撮影したところです。テレビでもよく渋谷の街を目にしていましたから、坂と小路が面白くて、僕は渋谷へ惹きつけられたんです。

--なぜ当時はそのような面白さがあったのでしょうか。
「東急ハンズ」ができたり、パスタの「壁の穴」ができたりと、渋谷は狭い街のなかに面白いことがたくさん起きていた。工夫がありましたよ。大企業は大企業として存在しながら、小さな店も共存していくことが街には必要ですし、その余地を残しておくというか。たとえば、この間僕は急に書道を始めたくなって、渋谷の街を書道用具を探して歩いたんです。そうしたら、やっぱりあるんですね、書道具店が。渋谷はこれ以上地価を上げずに、小さな店やミニシアターなどがやっていけるようにして欲しいと思います。

--渋谷の街の特徴はどのような点にあると思われますか。 渋谷は江戸時代以来、入り組んだ台地の中心が谷になっているという、良い地形を生かしながら発展してきた街です。東京の中で地形が残されている街は少なく、そこが渋谷の一番の魅力だと考えています。たとえば新橋や品川、大崎のように、何の準備もしないでバーンと建物を建ててしまうようなやり方は、街がまったく回遊性を持たなくなる。行って終わり、という絶望的な街ですよ。対して渋谷は駅を降りて、宮益坂、道玄坂、明治通り、国道246号線、桜丘など、こうも行けるし、ああも行ける、という気分になれる珍しい街なわけで、その方向性の多様性が、他にはない街の大きな可能性なんです。もう一つは、大企業による文化貢献も大きいでしょう。たとえば昔、画家の棟方志功などは、東急さんの美術部が育てたようなものなんです。そうした文化的な意欲の遺伝子が、渋谷の街には今も多少残っているのではないでしょうか。

アートフロントギャラリーのある代官山ヒルサイドテラス


イベント発信だけでは街が消費されてしまう。住・商・働のバランスで「消費されない街」に--渋谷の文化性を維持し続けるには何をすべきでしょうか。 渋谷の文化に、どのような特色を持たせていくのかということを、行政も含めて考えていくべきでしょう。やはりイベント発信だけでは街が消費されてしまいますから、街が消費されないための何かを作っていくことが、長期的に見て重要です。

--渋谷を「消費されない街」にするにはどうすればよいでしょうか。
大事なのは、住・商・働の適正な割合を保つことです。そのためには、単純に容積率を増やさないこと。容積率を増やせば、その瞬間は地価も上がるし、オーナーたちは儲かるけれど、いずれ街は完全にスラム化してしまいますからね。渋谷は元々エリアが細切れだった街です。その細切れの良さを生かすということが、僕は重要だと思いますね。暗いところや隠れるところ、怪しげなところがない街はダメなんです。そういう影の部分から何かが生まれるから。健康なニュータウンなんて、草木も生えない感じでしょう。多様な人間が集まる街にするためには、街が一色にならないことが重要なんです。横丁をなくしてフラットな街になってきて。円山町みたいに影の部分がないといけないんです。街灯をつけるとか、明るく機能的な街にするだけだと、人間にとって面白くない、ダメな街になりがちですよ。

また、ちゃんと調べてみないとわかりませんが、渋谷には恐らくオフィス機能の割合が極めて高いはずで、それが渋谷の街が持つ独特の何かを生んでいる。たくさんの特徴あるオフィスがあるということは、目に見えていないけれども、大きな集積機能を持っているんです。この独特の割合があって、それがうまく機能していくことをどう創り上げていくかということを考えたほうがいいですね。とかく、街づくりはイベントで対応してしまいがちですが、もっと違った視点で、街の「構成」みたいなものをつくると、街がもっと強くなりますよ。

--渋谷の街の強みとは何だとお考えですか。
渋谷は都内で唯一「インキュベーション機能」を持った珍しい街。はっきり言って、他の街のインキュベーション機能は壊滅しています。たとえば六本木ヒルズなどは、もう出来上がっちゃった人が集まるから、そこからは何も生まれないじゃないですか。丸の内もそうです。この、都内の中での渋谷独特の位置というものを、維持していったほうがいいですよね。また、渋谷は横浜という、ものすごく文化発信力のある街と東横線でつながっているわけです。これを生かさない術はありません。横浜は芸大を誘致することに成功したでしょう。先端芸術の卒業・修了制作展は横浜でやっているわけです。また、横浜には今、日本の文化の中で世界的なリーディング・ジャンルであるアニメーションの強い地域にしようという意識がある。そういう意味で渋谷は、その横浜と連動できる可能性を生かすべきですね。

--今後も、渋谷のインキュベーション機能を発達させていくためには、街に何が必要だとお考えですか。 「ここでがんばる」という面白い人を意識的に誘致することが必要でしょうね。そうしたことは、コンサルタントや代理業に任せてはいけない。地場の企業が自ら知恵を絞ってやらなければしょうがないんです。また、代官山のヒルサイドテラスのように、オーナーが自らその地に住んでいるというのは決定的なことだと思いますね。オーナーが不在だと、その空間の価値はお金に換算可能なものになってしまう。けれども、オーナーが在住していると、その空間は時間の積み重ねという経済的に換算できない価値が生まれる。そこにいる人々の愛着が街を変えていくわけですから。つまり、渋谷の特徴である「先端性」も、時間の蓄積の上ではじめて際立つと思うのです。

■プロフィール
代表取締役 北川フラムさん
1946年新潟県高田市生まれ、東京芸術大学美術部卒業。78年「ガウディ展」を全国11ヵ所で巡回、88年に「アパルトヘイト否! 国際美術展」を全国194ヵ所で巡回するなど、それまであまり知られていなかったガウディとアパルトヘイトに反対する芸術家の動きを日本に紹介し、草の根的なプロデュースで脚光を浴びる。82年に(株)アートフロントギャラリーを設立。現在は出版から音楽、企画展のプロデュース、都市・建築・街づくりにおけるアート計画、美術・文化評論の執筆など、活動は多岐に亘る。代表的なプロジェクトは「ファーレ立川アート計画」など。97年より十日町地域ニューにいがた里創プラン事業総合コーディネーターとして、越後妻有アートネックレス整備構想に携わり、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2000、2003」では総合ディレクターを務めた。渋谷区まちづくり審議委員。渋谷区文化芸術振興推進協議会委員。

株式会社アートフロントギャラリー 株式会社アートフロントギャラリー 住所:東京都渋谷区猿楽町29番18号
TEL:03-3476-4868 FAX:03-3476-4874
設立:1982年11月17日
都市計画・施設計画におけるアート及び環境デザイン計画、それに伴う設計業務、制作・施工監理、メンテナンス業務及び同時代の美術を紹介する展覧会の企画運営、美術調査研究活動等、美術全般に関わる業務を行なう。

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