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【レポート】公開から10年目、岡本太郎「明日の神話」すす払いの深夜舞台裏

「すす払い」は一年間に溜まったほこりや汚れを落とし、その年の厄を祓い清めて新年を迎える日本の伝統行事の一つ。渋谷とは縁遠い習わしのようにも感じるが、実はここ渋谷にも人知れず、毎年一度行われている「すす払い」がある。JR渋谷駅から京王井の頭線を結ぶ、渋谷マークシティの連絡通路内で、一般公開される岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」の清掃活動―― 毎日、約30万人以上もの通行者数がここを通り抜け、宙に舞ったゴミやホコリが壁画に付着する。2008年11月17日に渋谷で一般公開されて以来、今秋で丸10年間。「すす払い」は公開翌年から、NPO法人「明日の神話保全継承機構」を中心に渋谷の企業や商店街、区民、岡本太郎ファンなど、ボランティアの手によって年に一度の頻度で継続。今年で9回目を迎える。

とはいえ、一般公道に面していることから通行の妨げを考慮し、最終電車後から始発までの深夜に行われている。そのため、「すす払い」の風景を目にする人はほとんどいない。

今秋は10月26・27日、11月2日・3日の全4日間にわたり、述べ50人のボランティアが参加して行われた。その清掃活動の様子を取材し、「明日の神話」すす払いの知られざる舞台裏の様子をレポートしたいと思う。

|終電後、静まり返った連絡通路内で「すす払い」始動!

すす払い3日間目となる11月2日(金)深夜、週末の賑やかな渋谷駅。京王・井の頭線の最終電車を見送った午前1時過ぎから作業がスタート。
▲終電を前に足早に駅に向かう人々

壁画前の同連絡通路は、1日約30万人が往来する一般公道。歩行者の通行を妨げたり、危険が及ぶことを避けるため、実際に清掃作業が行えるのは、終電後から始発前の午前4時前までの正味3時間。幅30メートル、高さ5.5メートルにもおよぶ巨大壁画のため、作業は1日では終わらず、全4日間計10時間以上に及ぶ。

まず、巨大壁画に3段式の足場を組み、列で全14ブロック、縦に上中下3ブロックの計42ブロックに区分け、1日約10ブロックずつのペースで計画的に清掃を進行。今回の清掃活動には、「明日の神話」修復プロジェクトに携わり、公開後も修復に関わってきた絵画修復家・吉村絵美留さんのほか、一般市民や地元商店街、渋谷企業で働く人々などを中心とした約50人のボランティアが参加した。

|「ここに来ると一年がそろそろ終わるなと感じる(笑)」

9年連続で参加する会社員・小沢吉一さんは、その原動力をこう明かす。

「2003年ごろに岡本太郎記念館で、(養女・妻)岡本敏子さんに出会ったのが太郎作品を好きになるきっかけ。敏子さんが亡くなった後は、自分がバトンタッチされたという気持ちでボランティアに参加してきた。その間、いろいろなことがありながらも続けてこられたのは、本当に良かったなと感じている」と、この10年間を感慨深げに振り返る。

▲中央の「骸骨」部を丁寧に掃除する小沢さん

「遠くから見ていると壁画は平面に見えるが、清掃しながら近づくと凹凸や、微妙なディテールがはっきり見えてきて、絵画ではなく壁画であり、レリーフであることがよくわかる」とし、さらに「これが来ると一年がそろそろ終わるなと感じる」とも。小沢さんにとって「すす払い」ボランティアは、年に一度の風物詩としてすっかり定着しているのだそうだ。

今回、小沢さんはリフターに乗り、「明日の神話」の中央部の「骸骨」部の掃除を担当。出で立ちは、頭にヘルメットを被り、マスクや軍手のほか、高さ約4〜5メートルにも達する足場での作業のため、腰には安全ベルトを必ず着用する。壁画と約30センチメートルの距離感で向かい合いながら、絵表面にうっすらと堆積した綿ボコリを「ハケ」で払い落としていく。このときに注意しなければならないのは「目が届く範囲で、画面をよく見て小さな『ハケ』でホコリを取っていくこと」だという。
▲背中に掃除機を背負い、左手に「ハケ」、右手に「掃除機のノズル」を持ってすすを払いを行うのが基本スタイル

万が一、作業時に「絵の具」が剥がれたり、破損してしまう恐れもあることから、「ハケ」でホコリを落とすと同時に、もう一方の手に持った掃除機ですべてのほこりや汚れを完全に吸い取る。また、どこから落ちた「絵の具」か推測するため、掃除機で吸い取る際には1〜14ブロック毎にゴミパックを必ず交換するなど、単なる掃除ではなく、修復を前提とした丁寧かつ慎重な作業が求められる。特に足場の届かない高所では「一人乗りリフター」に搭乗し、背中に掃除機を担いだ格好で、地上から約7メートルにも達する場所で作業を行わなければならない。昼間の喧噪が嘘のように静まり返った深夜の渋谷駅で、ボランティアによる地道な作業が黙々と続けられた。

|「アートの力」で「まち」と「人」、「人」と「人」が結びつく

「忠犬ハチ公像」同じく、「渋谷の街」のシンボルとして定着する巨大壁画「明日の神話」。公共の場で、ケースなどに入れずに展示されているのは、「芸術は大衆のもの」という岡本太郎さんの意志を継いでいるから。一方で人通りの多いコンコースはホコリが舞い、温度、湿度の変化も激しく、決してアートに優しい環境とはいえない。こうした中でパブリックアートを保全し、守っているのは、渋谷の企業や商店街、区民をはじめ、「渋谷の街」が好きな人々や、太郎さんを敬愛する人々の一つ一つの小さな善意の集まりと言えるだろう。
午前4時過ぎ、掃除を終えた参加者たちの顔つきは疲れや眠たさよりも、一様に何かを成し遂げたときに得られる清々しさや、高揚感に近いものを感じる。年に一度、「すす払い」で再会する人も少なくない。「明日の神話」を通じて「まち」と「ひと」、「ひと」と「ひと」が自然と結びつき、この10年間で確かなコミュニティーやネットワークが形成されている。太郎さんが残した「アートの力」は、そんなボランティア同士の不思議なつながりからもうかがえる。

▲「明日の神話」修復プロジェクトに携わり、公開後も修復に関わってきた絵画修復家、吉村絵美留さん

絵画修復家・吉村絵美留さんは、恒例の「すす払い」をこう振り返る。「パブリックアートをボランティアで支えているのは国内でも例を見ないもので、ここはものすごくうまくいっていると思う。10年前と比べて、表面に汚れがだいぶ付いているが、オリジナルの作品そのものには大きな問題は生じていない」と、この10年間の清掃活動を高く評価する。

今後の壁画維持について、吉村さんは「今年は夏場の温度が高く、台風で雨量が多かったため、例年よりもホコリの付着が多かった。特に湿度を含んだホコリがこびりつき、ハケだけでは取り切れないものもあった」と湿度や夏場の熱が壁画に与える影響を心配する。

今月17日に迎える一般公開から10年目の節目を控え、4日間にわたる「すす払い」が終わった。堆積していた「綿ボコり」はきれいに取り除かれ、作品の鮮やかな色合いが蘇っている。「明日の神話」の前を通る機会があったら、改めて立ち止まってみてほしい。

メキシコから渋谷へ 〜数奇な運命を辿った「明日の神話」
芸術家・岡本太郎(1911〜19969年)が生涯に残した絵画の中で最も大きな作品。1954年3月1日、米・水爆実験で被爆したマグロ漁船「第五福竜丸」をテーマとし、原爆がさく裂する瞬間を描いている。制作されたのは1968年〜1969年ごろ。メキシコに建設予定だった新築ホテルのロビーに飾るために描かれたが、依頼主の経営状態の悪化により、ホテルは未完成のまま人手に渡ってしまう。その後、壁画の所在が不明であったが、30年以上を経た2003年9月にメキシコ郊外の資材置き場で無惨な姿で発見される。故・岡本敏子さんを中心に「明日の神話」再生プロジェクトが発足し、2005年7月〜1年間にわたって修復作業が行われた。2006年から汐留や東京都現代美術館での特別公開後、恒久設置先に「渋谷区」が決定。2008年11月17日より、渋谷マークシティの連絡通路内で一般公開が始まった。

編集部・フジイタカシ

渋谷の記録係。渋谷のカルチャー情報のほか、旬のニュースや話題、日々感じる事を書き綴っていきます。

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