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「渋谷」をゼロから学ぶ −ハチ公バスから眺める「渋谷」の風景 その1

私にとって、「渋谷」とは「渋谷駅」のことだ。なので「渋谷、知ってる?」と聞かれたら、私は「全然知らない!」と答えるだろう。
上京して15年、仕事でも遊びでも何度も渋谷に足を運んでいる。だいたいのランドマークの位置や、おいしい店もなんとなく知っている。でも、私はまだ渋谷を知らない。渋谷の何をか……「渋谷」の何もかもだ! 何度も行ったことがあるからわかる、この街は多層的すぎて、知ろうとしなければ知りえない街であることを。「渋谷」にそんなことを感じている人は多いのではないだろうか。
では、私のような渋谷素人が「渋谷」を知るために、どこから手をつけるべきか……そんなときには、まずバスなのである。

知らない街に降りたったとき、私はいつもその街を通る路線バスに乗ることにしている。その街の全体像を、何となく頭の中で地図としてイメージできるようにするためだ。歩くのとも、自転車に乗るのとも違う風景が、バスから見えてくる。道路を辿り、風景と風景をつなぎ、点と点を頭の中で線にしていく。思いがけないルートを行くこともあり、「ここが、あそこに繋がるのか」という発見も多々ある。 今の私にとって、「渋谷」とは渋谷駅という点でしかない。バスに乗り、頭の中に「渋谷」の地図を作り出す作業から始めよう。

ハチ公バスから眺める「渋谷」の風景
第一回:丘を越えてルート〜上原・富ヶ谷方面〜

渋谷から出るバスといっても色々ある。そこは迷わずコミュニティバスである「ハチ公バス」を選択。「ハチ公バス」とは、2003年から開始された渋谷区が運行するコミュニティバスだ。一律100円でどこまでも乗れ、現在は「丘を越えてルート(上原・富ヶ谷方面)」「神宮の杜ルート(神宮前・千駄ヶ谷方面)」「春の小川ルート(本町・笹塚方面)」「夕やけこやけルート(恵比寿・代官山方面)」の4路線が走っている。どれも素敵なネーミングではないか。
渋谷の足として利用されているこのバスは、狭い路地などを通り、思いがけない風景を私に見せてくれるだろう。さて、どの路線から乗ることにしようか。

>渋谷区HP/渋谷区コミュニティバス「ハチ公バス」

渋谷とは「坂の街」である。渋谷を歩くと「のぼり坂ばっかり歩いているな」といつも思う。それもそのはず、渋谷は駅を「谷底」としたスリバチ状の地形をしているからだ。「丘を越えてルート」、まさしく「渋谷」という地形を体感するためのネーミングのようで、まずはこの路線から乗ることにした。

起点は「1.渋谷駅」。ハチ公像の裏手、マークシティ側にある三井住友信託銀行前から出発している。15時過ぎの停留所には、高校生や主婦、お年寄りなど様々な年齢層の人が列をなしていた。このルートは、ここから代々木駅を経由し、行きと帰りは別のルートを辿って渋谷に循環してくる。

おっ、ハチ公バスのお目見えだ。車体はオレンジ色、フロントにはハチ公の顔が描かれており、大変かわいい。そろそろ出発のようだ。発車すると同時に、これまたかわいらしい音楽が流れてきた。

  ハチ公バスだワン!ワン!ワン!
  キミとボクの夢を乗せて
  みんな一緒に駆け抜けよう
  ハチ公バスだワン!ワン!ワン!
  のぼりくだりの渋谷の町を
  走ってく どこまでも


ほほう、ハチ公バスのテーマ曲まであるのか。のちほど調べたところ、「ハチ公バスのうた」という曲で、CDは非売品だが渋谷区立渋谷図書館、笹塚図書館、西原図書館で貸出可能とのこと。愛されているな、ハチ公バス。
BGMが流れる中、渋谷の谷や丘をこえる旅がスタート。バスは文化村通りをぬけ、東急百貨店へ向けて走っていく。「2.東急百貨店本店前」で買い物帰りの客を乗せ、山手通りに向けて坂をどんどん上る。「3.松濤美術館入口」、早くもこの停留所で一旦降りてみることにした。松濤を見ずして、渋谷は知りえまい。
路地を入ると、突如現る閑静な住宅街「松濤」。
渋谷区のHPによると、このあたりは江戸時代、紀州徳川家の下屋敷であったそうで、明治初期に下屋敷の払い下げを受けた鍋島家がここで狭山茶を栽培し、「松濤園」という茶園を開いたとのこと。松濤という名が地名になったのは、昭和3年からだ。なるほど、もとは大名屋敷だった土地が、選ばれしもののみが住むといわれるこの高級住宅地となっているのか。
道を進むと、奥に鍋島松濤公園が見えてくる。湧水池のあるこの公園は現在、渋谷区が管理しているが、先の鍋島家が茶園を廃止した際、東京市(現・東京都)に寄付したもの。のち昭和25年より渋谷の管轄となっている。
地図を見ると、この鍋島松濤公園もまたスリバチ状の谷であることが分かる。 下屋敷であり茶園であった、この高級住宅街を歩くと、私の「渋谷」のイメージが混乱をおこす。この近くにはよく来ているが、松濤に足を踏み入れたことはなかった。隣に円山町があるとは思えない静けさ、上品さ。このような地区まで内包しているのか渋谷は。
高級住宅街を見て歩くのが好きな私だが、ここはそのちょっと、そわそわしてしまう。どこを見ても絵になりすぎる。隙がない。渋谷区立松濤美術館の荘厳な建築が、風景に馴染んでしまっている。このあたりに住む住民の憩いの場であるだろう美術館を横目に、私はいそいそとバスの停留所に戻った。
ここからバスは、松濤二丁目の交差点を右に折れ、山手通りに入る。道路脇にそびえ建つビル郡が山のようだ。窓からは、西陽をあびながら連なってランニングをしている部活生が見えた。バスは「4.東大前」「5.東大裏」と山手通りをどんどんのぼっていく。そうか、高い塀に囲まれていて分からなかったが、ここは東大駒場キャンパス裏なのか。この奥に駒場東大前駅があって、渋谷から井の頭線がこう真っ直ぐ通っているのだな、と頭の中で線がつながる。
バスは東大裏交差点を右に折れ、「6.富ヶ谷二丁目」を抜け、山手通りの坂をどんどん上り、「7.富ヶ谷交差点」を通り、坂は下りに入る。富ヶ谷、まさに丘の街だ。バスは富ヶ谷交差点を左に折れ、井の頭通りに入る。ここからまた坂は上り道になる。なんと起伏の激しいことか。丘をいくつ越えるのだ。この地域は両脇にそびえ建つ大きなビルに隠され、一見、生活感が感じられないが、道には散歩中の保育園児や、下校中の小学生が歩いており、裏には住宅街が広がっていた。「8.上原一丁目」「 9.上原二丁目」を過ぎ、坂は下りになっていく。代々木上原駅が見えてきた。バスは「10.古賀音楽博物館」に停まる。
「丘を越えてルート」を語るうえで、この停留所は見過ごすことができない。
古賀音楽博物館は、昭和期の日本歌謡界を支えた作曲家・古賀政男氏の遺志を引き継ぎ、平成9年に開設された大衆音楽博物館だ。けやきホール、JASRAC本部といった方が聞き覚えがあるかもしれない。古賀氏が作曲した「丘を越えて」という歌が、このルート名の由来となっている。代々木上原は、古賀氏が昭和13年から住んだ土地。代々木上原駅前にあるこのシンボリックな建物は、渋谷という谷を越えた証なのだ。
バスは折り返し停留所の「11.代々木上原駅」に到着。渋谷駅からここまで20分ほど。コミュニティバスは迂回するイメージがあるので、もっと時間がかかると思っていたが、思っていた以上に早く着いた。行きのルートは主要な道路だけを通るので、渋谷から代々木上原方面に行きたい場合は、電車よりこのバスの方が早く着くだろう。

さて、コミュニティバスの本領発揮はここからであった。
行きのルートと打って変わって、路地を行き、また路地を行き、最後にまた狭い道を行くのである!
バスは7分ほど停車し、代々木駅を時刻通り発車。「12.古賀音楽博物館」に挨拶をし、また渋谷駅に戻る。夕陽に照らされた井の頭通りを、このまま富ヶ谷交差点に向かって直進かと思いきや、上原三丁目の信号を右折。「こんな狭い道を!」コミュニティバスに乗るものならではの嬉しい(?)悲鳴を心の中で響かせながら、上原仲通り商店街へと進む。
なんという不意打ち。そして、なんとレトロな街並み! 井の頭通りからワープしてしまったかのようだ。行きの行程で目にしてきたビル郡とのギャップがすごい。低地である上原地区は、見事に建物が密集している。
バスは「13.上原小学校」を通り、かくかくした狭い道をゆっくりぬけていく。そして、上原2丁目西交差点に突き当たり、右折、「14.上原二丁目南」を抜ける。地図によると道路右奥には、東大先端科学研究センター、駒場公園が広がっているはずだが、バスからは確認できない。この道は、東大駒場キャンパスに沿った道で山手通りにつながっているのかと思っていると、二つ橋の信号を左折。また路地だ! 今度は富ヶ谷の路地に入った。さきほどとは違う味わいの路地だ。東海大学代々木キャンパスの紅葉が美しい。
「15.はつらつセンター富ヶ谷」「16.望月高校」で学生たちを乗せバスはいく。

路地を抜けるとバスは、山手通りに舞い戻る。坂を上って富ヶ谷交差点を、行きとは逆に右に曲がる。「17.富ヶ谷停留所」付近は、ママチャリに乗った女性や、ベビーカーに乗った子ども、制服姿の中学生などを多くみかける。北には代々木八幡駅、代々木公園駅があるはずだ。
原宿へと繋がる坂が見えてくる。このまま井の頭通りを辿り、代々木公園交番前交差点を右折し、NHK放送センター前を通って渋谷に戻るのかと思いきや、その手前の信号を右折! またもや、路地!! ……そうか、これは神山ストリートだ。頭の中で道がつながる。
富ヶ谷から神山町につながり東急百貨店へ抜ける路地。宇田川のつくった谷底を上流から下流へと進んでいく。正式名は「オーチャードロード」というらしい。このあたりは最近、「神山ストリート」「奥渋(おくしぶ)」と呼ばれるようになり、古くからある商店と並列して、おしゃれなカフェやワインバーなどが増えている。渋谷に帰ってきた。バスは「18.富ヶ谷一丁目」を通り、「19.神山」へと続く。街並みはすっかりクリスマスモード。レストランでは、夜の開店に向けての支度が始まっている。東急百貨店の看板が見えてきた。冬の日没は早い。東急前の大きなクリスマスツリーの灯りがともっている。

「20.東急百貨店本店前」に到着。

  ハチ公バスだワン!ワン!ワン!
  キミとボクの出会った場所
  想い出いっぱい あふれてる
  ハチ公バスだワン!ワン!ワン!
  けやき色づく渋谷の町を
  走ってく どこまでも
  走ってく どこまでも


文化村通りに入ると、「ハチ公バスのうた」が流れ出す。旅の終わりが近いことを知らせてくれる。「丘を越えてルート」全行程所要時間1時間。ああ、「渋谷」で満たされた。予想以上の濃さでお腹いっぱい。

家に帰って、渋谷区の地図を広げてみる。標高地形図なんかも見てみる。辿った道の凸凹の具合がイメージしやすい。バスからみた風景と地図が私の頭の中で統合し、織り成されていく。私の「渋谷」レベルが、「丘を越えてルート」のおかげで予想以上に上がった気がする。

次は、どのルートを辿ることにしようか。

小原明子

1981年生まれ。東京が好きだ。上京して15年ほどになるが、初めて東京に降り立ったときから、現在までずっと魅了され続けている。では、渋谷は? 「渋谷先輩のことを、私が好きか嫌いか判断するなんておこがましいです…」とつい機嫌をうかがってしまう。渋谷という街に私はいつも試されている。気を許せない。そんな気がする。苦手な先輩というイメージだったが、今回、思い切って先輩の懐に飛び込んでみようと思う。結果、一本背負いで投げ飛ばされるのか、抱きしめられるのか、はたまた予想外のことが起きるのか。チャレンジ渋谷1年生。

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