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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

プロフィール

1956年、東京都出身。慶応義塾大学商学部卒業後、東京ニュース通信社に入社。「週刊テレビガイド」「ビデオコレクション」の編集に携わる一方、マガジンハウス「ポパイ」「オリーブ」などに原稿を書き始め、85年にはフリーのコラムニストに。テレビ、ラジオ、雑誌などメディアへの出演も多く、幅広く活躍する。「青春の東京地図」(筑摩書房)、『東京版アーカイブス』(朝日新聞社)、『東京検定』(情報センター出版局)など、東京を舞台にした著書も多数。


戦後以降、若者文化とともに急速に変化を続けてきた渋谷。しかし、実はその裏には、知られざる歴史が残され、思いもかけない大人のスポットが点在しています。若者文化や東京風俗のオーソリティとして活躍する、コラムニストの泉麻人さんに、つい見落としてしまいそうな、渋谷のリアルでディープな魅力を語ってもらいました。ファッションの聖地として人々を牽引していた70年代

--泉さんと渋谷との関わりについて教えてください

自宅が新宿区の落合だったということもあり、中学までは新宿がホームグラウンドでしたが、高校は東急東横線沿線の駅だったので、高校入学を機に、渋谷は自然と身近な存在になっていきました。渋谷駅は登下校の乗り換え地点であり、友人も渋谷界隈に住んでいることが多かったので、72〜73年頃からはよく足を運んでいましたね。当時の溜まり場といえば宮益坂界隈。「タンポポ」「ジャンナン」「グッドマン」「エルシド」といった喫茶店に、仲間たちとしょっちゅう通っていました。それから、今でも残っている、宮益坂下のボウリング場「シブヤボウリング」が入っているビルの一角に、当時、「雀議院」いう雀荘があったんです。校則では禁止されているから、こっそり立ち寄っていたんですが、ボウリング場の階下に店があって、ボールが転がる音が天井から筒抜けなんですよ(笑)。マージャン中にも騒音が気になって仕方なくて、全然集中できなかったのを覚えています。今思えば、このごちゃごちゃ感は、いかにも当時の渋谷らしい空間だといえますよね。

--ファッションの聖地としても注目を集めていた時期ですよね?

そうですね、73年、高校2年生の時に、公園通りが整備されて、その周辺にも出没するようになりました。サーファーファッションが全盛期の頃で、パルコの横にあるリカビルというビルに入っているサーファー・ブランドで洋服をそろえたりね。60年代は西武、70年代はパルコが、ファッションの聖地とされていて、僕もちょうど女の子の視線とかが気になる年頃だから、渋谷界隈でショッピングというのは定番でした。まだ109ができる前で、今の「プライム」の場所に「緑屋」という、当時はおしゃれとされていたショッピングビルがあったんですが、その裏路地の恋文横丁の名残の一画に、アロハとか払い下げの古着を売る店があったんですよ。掘り出し物が結構あって、学校帰りなんかにふらっと立ち寄っては物色したりもしていました。それから公園通りやファイアー通りの付近も、この頃からトレンド発信地として機能し始めていましたよね。僕に限らず、当時は、ファッションがこの街に人々を牽引していた要因だったと思います。

昔ながらの面影が残る「うらぶれた渋谷」にこそ魅力を感じる

--近年の渋谷の変化について、特に気になるところは?

一番の驚きはやはり、センター街が若者たちの通りになったこと。これは80年代に入ってからの現象で、チーマーという風俗が出てきて以来、あの辺りは急速に変化しましたよね。僕らの世代のイメージでは、センター街は、昔風の飲み屋が軒を連ねている、サラリーマンの憩いの場という印象しかないんですよ。最近では街そのものも大きく変化しましたが、でもまだそういう、昔ながらの渋谷というのも残されていますよね。東口駅前にしても、東急文化会館こそ閉鎖されたけど、銀座線が入り込んできて東横線の高架線がある、あの駅前の風景とか、東横線のホームの外壁に施されている楕円形の模様とか、駅前の雑然とした雰囲気とか、40年近く前の映画なんかに出てくる光景と変わらないですしね。僕は、そうした昔ながらの面影が残る、いわゆる「うらぶれた渋谷」にこそ魅力を感じていて、そんな場所をふらりと散策するのが好きなんです。だから僕は今でも渋谷に訪れるたび、最新のスポットではなくて、昭和の片鱗を見せる路地や店を、つい探してしまうんです。

--具体的に泉さんが魅力を感じるスポットを教えてください。

まずは「のんべい横丁」ですね。渋谷の中心地でありながら、昔ながらの情緒があって、未だにギター流しのおじさんが来る店があったりして、あの独特の雰囲気が漂う路地に足を踏み入れるのは楽しいですね。それから、桜ヶ丘界隈にも飲み屋街になっている小さな横丁があって、その一角にある、ウクレレで弾き語りをする名物マスターがいる飲み屋も僕のお気に入り。後は、百軒店の辺りも昔ながらの名店が残っていますね。中でも、「名曲喫茶ライオン」と「ムルギーカレー」は20年来の通いつけの店。「ライオン」は戦前からあるけれど、古い地図を見ると「ライオンベーカリー」という記載になっていたから、もしかしたらかつてはパン屋だったのかもしれないですね。戦時中に空襲で全焼したらしくて、昭和20年代に現在の形で再びオープンしてからは、昔ながらの正統派純喫茶として現代に残されています。雑然とした店が多いエリアにおいて、時間が経つのも忘れ、ひとりでゆっくりとくつろげる稀有な空間です。僕と同世代のサラリーマンや中年男性が1人で利用している姿もよく見かけますよ。1日に数回、クラシックのレコードコンサートをやっていたりして、コーヒー片手に音楽を聞いていると読書や執筆活動も断然はかどるんです。ヨーロッパの古城さながらの外観もまた良いんですよね。袋小路になっている路地の突き当りに店の裏口があって、それが秘密の扉みたいで、冒険心をくすぐられたりしてね。一方、「ムルギーカレー」はこのあたりの名物で、ピラミッド型のカレーは最初目にしたときにとにかく斬新で、味とともに記憶に残りました。今でもときどき食べにも行きますが、店に入らず、香ばしいカレーのにおいをかぎながら、昭和初期の古きよき店の佇まいを眺めるだけでも満足できます。あと、カレーで思い出したのですが、明治通り沿いに、これもまた古くからあるカレー専門店「いんでいら」も、まだ店が木造づくりの頃、僕が学生時代から通っている店。ここのカレーライスとえびめしはいわば青春時代の味でもあって、いまだに食べるたびに、当時の思い出がふとよみがえりますね。

「名曲喫茶ライオン」

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