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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

渋谷は失敗を恐れずチャレンジできる街。24時間チャンスやきっかけが転がっている2004年、ロッキング・オンを退職し2006年1月、サッカー雑誌「スターサッカー」を創刊して話題を呼んだ鹿野淳さん。中高生時代から音楽に没入していた鹿野さんは、当時から渋谷に特別な感情を持っていたといいます。その鹿野さんに新雑誌を創刊した経緯や、渋谷の街への思い入れを語っていただきました。 新雑誌を創刊しても、想像とは異なることばかり起こるのが面白い。--『ロッキング・オン・ジャパン』の編集長だった鹿野さんが2004年に独立し、『スターサッカー』を創刊した理由を教えてください。 実は7、8年前から、スポーツ雑誌で一人勝ちの状態にある『ナンバー』に対抗する雑誌を創りたいと構想していたんです。ロッキング・オンの社内でも深いところまで話は進んだけど、結局、出版不況で実現できなかった。だからサッカー雑誌のアイデアが唐突に生まれたわけではないのです。それからボクは20歳で出版人、30歳で編集長、40歳で独立という計画をおぼろげに立てていました。実際には25歳で出版人、35歳で編集長と、5年遅れで実現して2003年には39歳を迎えた。45歳での独立は年齢的に難しそうなので、ここらで人生の帳尻を合わせてもいいかなと思って(笑)。自分の中では出版人として生きているので音楽からサッカーへの移行は少しも不思議ではないけど、世の中的には「鹿野は音楽の人間だろ」というイメージがあって、それを興味深く感じてくれる人もいれば、ネガティブに受け取る人もいました。が、ともあれ40歳という年齢で、これだけ新しいことをさせてもらえるチャンスをつかめた自分はホントに幸せだと思っています。

--創刊後は、思い描いていたプラン通りに進んでいますか。
最初は、新雑誌の計画をもとに20センチくらいの厚さの事業計画書を作って、楽天さんに持って行ったんですね。結局、その話が通って合弁の形で創刊が決まりました。でも実際、事業計画書なんて想像と机上の空論なんですよね。もちろん物事を進めるためには想像は必要ですが、現実には想像とは異なることばかり起こる。そもそも自分で想定できることなんて大したものではないんですよ。原稿でも想定していたことを書いたって大して面白くない。活字になって「何でオレはこんなことを書いたんだ」と不思議になるときの方が読者からの評価は高いし、結局、自分としての点数も高まる。そういうものだと思っています。今のところは、おかげさまで雑誌の知名度が上がって独自のポジションを築いていますが、ウェブビジネスを展開したり、フットサルコートをオープンしたり、まだまだやりたいことは山ほどあります。最近は1日3時間くらいしか寝ていませんが、良いスタッフやパートナーに恵まれて幸せな労働人生を歩んでいるなぁと自負していますね。

--話は変わって、そもそも鹿野さんと渋谷との出会いを教えてもらえますか。 ボクは浅草生まれの横浜育ちで中学と高校は鎌倉に通っていました。横浜の人間って東京には出たがらずに何でも横浜で済ませようとするんですよ。東京が輝いているのは分かっているのだけど、それを認めたくない(笑)。だから横浜と東京の間にはミッシングリンクみたいなものがあるのですが、それを埋めるのが東横線で、中高生時代のボクにとっても東京といえば渋谷でした。当時は外国人タレントが来ても電話でチケットは買えないから、終電で渋谷を訪れ文化会館のプレイガイドに徹夜で並び、クィーンやジャムやクラッシュのチケットを買いましたね。それで「渋谷も大したことねえなぁ」とか捨てゼリフを残して東横線に揺られて帰る。いや、ものすごく大したことありましたよ、実際は(笑)。



失敗の数だけ成功がある。そんな光景が更新され続けてほしい。--どのあたりに渋谷のすごさを感じましたか。
昔からサイバーパンクな感じが好きだったんですね。小説で言えばフィリップ・K・ディックとか、それから大友克洋さんのマンガの世界や、バットマンのゴッサム・シティのような近未来的な世界ですね。銀座線が渋谷駅のガードを走る光景を見るたびに、ものすごくサイバーシティに見え、カッコいいなぁと思っていました。渋谷は新宿みたいに圧倒的な何かがあるわけではなく、ミクロなモノが集まってマクロになっているじゃないですか。まるで圧力をかけられたように圧縮された渋谷の街並みに東京を感じ、ちょっとした恐ろしさすら覚えました。それからボクは昔からロック少年だったので、渋谷には普通のマンションの一室にレコード屋があるらしいという情報もキャッチしていました。欲しいレコードはあるのだけど、なかなか入れないんですよ、怖くて。店員さんにカツアゲされるんじゃないか、とか思って(笑)。でも、そういう感じがすごくロックだなぁ、インディーズとかパンクってこういうことなんだなぁ、なんて思っていましたね。

--ロッキング・オンに入社した頃と今とでは、渋谷の街は変わったと思いますか。 視界は変わったけど、中身は何も変わっていないと思う。昔から朝と昼と夜と夜中の人種が全然違って、行き来する人がすごくカオティック(混沌とした感じ)なんですよ。渋谷ってユースカルチャーでは最先端の街だと誰もが思うじゃないですか。でも早朝には、時々カラスに襲われたりして「ここはどこなんだ?」と本気で思うことがありますね。ボクが渋谷の時間帯で好きなのは夜中から朝方にかけて。仕事に煮詰まると夜中にスタバ(スターバックス)にコーヒーを飲みに行って、ツタヤのレコメンドを見てCDを買ったりする。ロッキング・オン時代、それでいいなと思って他の媒体に先がけてインタビューをしたのがエゴ・ラッピンとHYです。ツタヤのおかげですね。渋谷の街は眠らないから、夜中にもきっかけやチャンスが転がっているんですよ。みんな、それぞれ生きているんだなぁ、という感じ。外国人もそれぞれ、カラスもそれぞれ、そして俺はロックンロールをしている、みたいな。

--渋谷に課題があるとしたら何でしょうか。
何に関しても値段が高いことですかね。たとえば大阪のアメリカ村は商売を始めるのにそれほどお金がかからないから単価が抑えられ、そのぶん買える人が増えてコミュニケーションや流通が成立している。逆に渋谷は、一つひとつの単価が高い。場所代が反映されたり、渋谷というブランドを高めようという考えがその要因なのでしょうが、ボクは渋谷にたいそうなモノが売っているとは思いませんし、たいそうではないモノを皆で楽しめるのが渋谷の良いところだと思います。それなのに高い値段を付ければ買う人を選ぶし、ムリをさせてしまう。それがときには非行の原因にもなると思います。最近、事務所の物件を探していますが、家賃の高さにも驚かされますね。会社や商売を始めたいという人が無理なく自由に行動できる環境を作っていけば、渋谷の街にもっと自然な笑顔が生まれるのではないでしょうか。そして、お金がなくて面白いアイデアを形にできない人たちの可能性も解放されることになるでしょう。人間は臆病だから100まで揃えないと何かを始められないという人が多い。でも渋谷には70くらい揃えたら始めてしまおうという空気があると思います。これからも、その空気が守られ続け、失敗の数だけ成功があるという光景が、日々、更新されていく街であってほしいと願っています。

■プロフィール
鹿野淳さん
1964年浅草に生まれ、横浜で育つ。明治大学卒業後、扶桑社勤務を経て、1990年にロッキング・オンに入社。「ロッキング・オン・ジャパン」「バズ」の編集長、「ロッキング・オン」の副編集長を務める。2004年に退社し、有限会社(現在は株式会社)FACTを立ち上げて、2006年1月、サッカーとロックなどのカルチャーを融合する雑誌「スターサッカー」を創刊した。また、スペースシャワーTVのチャート番組「チャート★コバーン」(金曜18時30分〜20時)でVJを務めるなど、他のメディアでも活躍。予選リーグの日本戦(6月12日・18日・22日)では、LIQUIDROOM ebisuのバプリック・ビューイングでナビゲーターを務める。
>>FACT

スターサッカー
スターサッカー 2006年1月、サッカーをバイブルにした新しいライフスタイルを提案することを目指して創刊。ストリートや音楽、映画といった多様なカルチャーとの融合が既存のサッカー誌にはない特徴になっている。ウェブサイトとの連動も重視されている。
定価:690円
出版社:楽天
2006FIFA WORLDCUP PUBLIC VIEWING in LIQUIDROOM ebisu
昨年、新宿歌舞伎町から移転してリニューアルオープンしたLIQUIDROOM ebisuにて開催。予選リーグの日本戦3試合の全てをライブで放映。鹿野さんのナビゲートに加え、映像やDJによる演出が観戦のテンションを盛り上げる。 チケット/前売り:2,000円(1ドリンク付き)、当日:2,500円(1ドリンク付き)

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