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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

スケールよりもスタイルの街、それが渋谷。「渋谷らしさ」こそがグロバール化を育む。2001年10月、渋谷駅にほど近い東急東横線高架下に「SUS(シブヤ・アンダーパス・ソサエティ)」を開設した、カフェ・カンパニーの楠本修二郎さん。一躍、カフェ経営の伝説を作り、現在もなお「WIRED CAFE」や「Planet 3rd」など、話題性の高い飲食業態を計17店舗展開している。その楠本さんに、渋谷との関わりや、この地に対する思いを聞いた。 キャットストリートでは生きた街づくりが出来るんじゃないかと考えたんです。―渋谷の街との出会いは?
僕は九州で生まれた博多の人間なので、東京へ出てきたのは大学生の時です。早稲田の学生だった当時から、店舗企画や出版、プロモーション事業に携わり、将来は何か新しい価値を生み出すビジネスをしたいと思っていました。普通、早稲田の学生は新宿沿線に住むんですよ。でも、僕はミーハーだったものですから、情報発信力のある所に住みたかったんです。そこには、大した根拠はないんですけれども「やっぱり東横線沿線だろう!」と(笑)、碑文谷に住み、学芸大学の駅を利用していました。上京した当時は「ヒブンダニ」とか読んでいましたけど(笑)。そうしたこともあり、仕事も遊びも、渋谷から六本木あたりは僕らのメインの活動拠点でしたね。

―キャットストリートの開発に関わった経緯は? 社会人になってから8年ほどは、渋谷とは縁遠い生活をしていました。最初は、不動産会社に就職しました。不動産をやりたかったのは、リアルな場所で人を呼び込んで、新しい価値や文化を生み出すことに興味があったからです。プロモーションや企画をする側ではなく、まずデベロッパー側に回って、「場所が持つ力」が何なのかを知りたかった。ところが、実務を積もうと考え、大学4年生の時に宅建を取得したにもかかわらず、広報室・社長室に配属されてしまいました。5年程して、そろそろ自分で何かをやりたいなと思い始めたわけです。次の会社勤めでは、地域の活性化に取り組み、全国を飛び回りましたが、どこかで「言葉の限界」を感じて、独立しました。当初は、自分で小さな店を開いたり、地域開発や店舗開発のコンサルティングをしたりしていました。

その頃、現在のキャットストリートがある場所をどうしようか、というプランに出会ったわけです。そもそも、キャットストリートのキーマンのひとりが昔からの知り合いだったこともあり、「修ちゃん手伝ってよ」なんてノリから始まりました。河川が道路になったのはオリンピックが開催された1964年頃のことで、それまでの住居は玄関が道路側にありませんでした。それが、キャットストリートができたことで、店は道路側に顔出しができるようになった。裏が表になったことによって、キャットストリートに背を向けたままの住居と、顔出しした店舗が共存共栄している、生きた街づくりが出来るんじゃないかと考えたんです。そこで、知り合いが持っていたアパートを改装して商業のコンテンツを入れたり、自分たちでカフェを始めたのが、32、33歳の頃でしたね。それが縁で、その後、弊社共同創業者の入川や他のメンバーと共に「WIRED CAFE」の開業につながっていったのです。

―その後、「SUS(シブヤ・アンダーパス・ソサエティ)」をオープンしましたね。

キャットストリートの「WIRED CAFE」に興味を持って頂いた東急電鉄の方から高架下の開発を考えてみないか、と声を掛けていただいたのがきっかけでした。勉強会のようなものを開いて、あの場所のあるべき姿や、どう活用していくかということを考えたんです。「暗く寂しい高架下には、人のあたたかみを感じるような明かりを灯したらいいのではないか。渋谷の246から南側は、どうしても場外馬券場しかないというイメージが強いけれども、じつは代官山や恵比寿に抜けるルートでもある。そうした方向への、回遊導線の拠点となる場所ではないか…」などと議論した結果、やはりコンビニじゃなくて、地域コミュニティを育む場所としてのカフェだよね、という結論に至ったわけです。最初は、高架下活用法に関するプランニングをさせて頂く予定だったのですが、「君たち自身でやってみないか」というお話をいただいて。当時は創業メンバー5人という脆弱なチームだったんですけど、「いっちょやってみるか!」ということで、「SUS」を立ち上げたんですね。コンセプトとしては、渋谷はアングラな奴らがうごめくことでカルチャーの生まれる街だ、という意識もあったものですから、店は持っていても事務所を構えられないアーリーステージの商業主にとって、ビジネスの打ち合わせにも使えるような店づくりを行いました。「渋谷はデザイン関係の起業家も多いですから、テーブルはA3の紙が広げられないとダメだよね」とか話し合っていたことのを記憶しています。また「SUS」のあった渋谷区東エリアにおけるコミュニティ形成の場にしたいと思い、「地域コミュニティ」「センスコミュニティ」「ビジネスコミュニティ」といった3つのコミュニティをミックスさせるような場づくりを考えました。


WIRED CAFE 渋谷QFRONT店


何かを生み出そうともがき続けているのが渋谷のスタイル―渋谷のポテンシャルは何だと思いますか。
渋谷には特徴が2つあって、一つは情報発信力。「発信力」というよりも、情報が「たまる」街だということです。渋谷の地形は中央が谷になっているから、そこに「たまり」がある。例えば、富士山のてっぺん付近では限られた生態系しか生息できませんが、その麓には豊かな樹海が広がっているように、ローな所にはすごく豊かで雑多な生態系が生まれるんです。それと同じように、渋谷の情報は谷にたまって、新しいカルチャーとして熟成・発酵されている。だからこそ、街自体に独特の内なるパワーが育まれ、結果的に情報発信力が増幅されている。もう一つの特徴は、原宿や渋谷はアーリーステージの商業主が育った街だということ。例えば、現在のカリスマショップのオーナーたちも、最初は自分で身を起こして始めている人が多いですよね。アパレルに限らず、新進気鋭の人々が何かを始める場所、という歴史観が渋谷にはある。それが元々、渋谷の持つ「土地の力」だと思うんです。

―今の渋谷が抱える問題は何だと思いますか。 「渋谷らしさ」をどう残していくか、というのが課題の一つではないでしょうか。例えば、新宿というのは大量消費の街で、バイイング・パワーがあるのが特徴だと思うんですが、対して渋谷は、ヒューマンスケールで、たくさんの路地を探索できる街だから街の艶っぽさが生まれる、また情報の「たまり」があるので、集まる人が何かを求めている街だと思うんです。何かを求めている若者の歩行スピードは遅いですよね。ただし、ビジネスマンの歩行スピードは速い。だから、現在の駅のターミナル化や、利便性を高めてスピード感をアップさせることも重要なわけです。「シンク・グローバル、アクト・ローカル」という言葉の通り、グローバルスタンダードが全てのソリューションなのかというとむしろ逆で、発信する情報自体をグローバルスタンダードに「均一化」すると、情報発信力が弱まってしまう。渋谷のローカリズムみたいなものをどれだけ継承して育むかということと、渋谷ならではの利便性やスピード感とを、どのように調和させていくかが大事だと思います。つまり、「渋谷らしさ」こそがグローバル化を育むと思うんです。

―未来の渋谷にメッセージをお願いします。
当社の事務所も現在は青山にありますが、将来は渋谷に戻りたいと考えています。渋谷は、スケールよりもスタイルの街。育みがあって、コミュニティがあって、何かを生み出そうともがき続けているのが渋谷のスタイルだと思っています。時には失敗することもあるけれど、次は大当たり!みたいな面白いヤツもいる。失敗することを街が受け入れるといったキャパシティは、他の街にはないですからね。丸の内では、失敗したら「お前はクビ!」と言われそうなことでも、渋谷では失敗も皆が面白がってくれる。だからこそ、新しいヤツがポコポコ出てくるわけですよ。ただ、今の渋谷は情報が雑多になってしまっている。例えばセンター街などは、情報があふれちゃっているでしょう。情報をウワーッと見せるのではなくて、たとえば、店のオーナー一人ひとりの顔が見えるとか、店がどのようにできていったかとか、そうしたストーリーテリングの育みを渋谷の街が持ち続けることはとても大事な課題だと思います。
SUS〈Shibuya Underpass Society) SUS〈Shibuya Underpass Society) 2001年10月19日、東急東横線渋谷駅から代官山駅の中程に位置する高架下に「街の食堂」をコンセプトにオープンした複合飲食店舗。カフェ「Planet3rd」、テイクアウトデリ「Lunch to go」、バーラウンジ「Secobar」の3業態で構成され、渋谷の地域通貨プロジェクト「アースデーマネー」の拠点にもなった。2005年4月30日、定期借地期間満了に伴い閉店。経営はカフェ・カンパニー。
キャットストリート 宮下公園前から表参道を結ぶ約700メートルの遊歩道。1964頃、もともと渋谷川だったところに蓋がかけられた。道の両脇にカフェやブティック、雑貨店などが程良い間隔で建ち並び、渋谷界隈でも人気のストリート。「野良猫が多かった」「入り口付近の『ピンクドラゴン』店員が結成したロックバンド『ブラックキャッツ』に因んで」など、名前の由来には諸説ある。

■プロフィール
代表取締役社長 楠本 修二郎さん
1964年福岡県福岡市生まれ。1988年、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、リクルートコスモスに入社、社長室、広報室等勤務。1993年、大前研一(マッキンゼージャパン会長)事務所勤務。1994年、平成維新の会事務局長に就任、1995年、マーシーズ取締役副社長就任。1999年、スタイルディベロップ(株)代表取締役、2001年、コミュニティ・アンド・ストアーズ(株)(現カフェ・カンパニー)代表取締役社長に就任、現在に至る。

カフェ・カンパニー
住所:東京都港区南青山1-2-6 Lattice aoyamaB1F

TEL:03-5771-6888 FAX:03-5771-6889

設立:2001年6月

17店舗の飲食店・物販店の経営や、空間プロデュースや設計企画などを手掛ける。2001年オープンの「Shibuya Underpass Society」を皮切りに、QFRONTなどで展開する「WIRED CAFE」、東京都民銀行とコラボレーションした「TOKYO PEOPLE'S CAFE」、丸の内・東京ビル「TOKIA」に同時オープンした「PLANET 3rd TOKYO」「食堂居酒屋 どいちゃん」など、「食」を切り口にした新たな業態開発に取り組んでいる。
CAFE246 & BOOK246

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Planet3rdTOKYO

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食堂居酒屋 どいちゃん丸の内

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