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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

プロフィール

1955年大阪生まれ。大阪府立池田高校卒業後上京。1974年演劇実験室天井桟敷に入団し舞台監督を務める。1987年アップリンクを設立。デレク・ジャーマン監督作品を日本に紹介。「アカルイミライ」「I.K.U.」「ストロベリーショートケイクス」などの映画をプロデュース。現在、宇田川町で映画館、イベントスペース、ギャラリー、カフェレストランが集まったスペースを運営。「webDICE」の編集長も務める。

宇田川町でマイクロカフェシアター「アップリンクファクトリー」やギャラリー、多目的空間「X」などを通じて多様なカルチャーを発信するアップリンク。6月には、カルチャー情報サイトも立ち上げ、独自のカルチャー発信力を高めている。代表の浅井隆さんに、渋谷と文化の関係をうかがいました。

○	東京に出てきたときは、当時、並木橋にあった劇団「天井桟敷」にいた。

--最初に渋谷の街と出会ったのは、いつごろですか。

僕は1974年に寺山修司が主宰していた「天井桟敷」に入団し、当時劇団がが並木橋の場外馬券場の近くの明治通り沿いにあったので毎日渋谷に通ってました。寺山さん個人が住んでいたアパート「松風荘」は、今はマンションが建っていますが、このアップリンクからすぐの場所(宇田川町)にありました。

--当時の並木橋周辺は、どのような感じだったんですか。

明治通りを挟んで劇団の目の前、今のギャラリー・ルデコの1階にアマンドがありました。駅前には東急文化会館がありましたよね。あと、映画館は平屋だった渋谷パレス座、今の渋谷シネパレスですね。天井桟敷が桜丘のエピキュラスで「疫病流行記」という公演をやりました。エピキュラスの下あたりに、小さいイベントスペースがあって、当時はそこで、森田芳光さんとかの自主映画なんかをやっていましたね。あと、渋谷にはジァン・ジァンとか西武劇場(今のパルコ劇場)があったっていうころかな。コンビニがない時代でしたから青山のユアーズが24時間あいているスーパーだったので深夜にビールをよく買いにいきましたね。

--渋谷の面白い一時代だったかもしれませんね。

73年にパルコパート1ができて、通りを公園通りと命名した頃ですね。まだ渋谷がカルチャーの匂いがする直前じゃないかな。それから天井桟敷のメンバーだった萩原朔美さんや榎本了壱さんたちがパルコで「ビックリハウス」を発行したりしましたね。西武劇場やパルコやシードホールを拠点として西武文化の興隆がありました。76年には並木橋の天井桟敷は建物の建て替えの問題で麻布十番に引っ越したので、渋谷を離れました。83年に劇団が解散して、アップリンクを1987年に目黒で設立しました。それから92年ごろに渋谷の神南に引っ越してきました。

--目黒から渋谷に引っ越した理由は何だったのですか。

目黒の事務所が狭くなったのと、ちょうどバブルが崩壊した後だったから、家賃が下がって僕らの経済力でも渋谷に事務所を借りられる時代になったからかな。恵比寿、代官山、中目黒といろんな場所を探しましたが望んでいた広さと、家賃も予算内だったので渋谷に引っ越しました。それがファイヤーストリートのハローワークの前の、横山ビルというところでした。今の宇田川町の場所に移ったのは2004年からです。

--最初から新宿とかは、念頭に置いていなかった訳ですね。

やはり渋谷は、新宿とはちょっと何か空気が違いますね。当時は既にミニシアターの先駆けとなったユーロスペースやシネマライズが渋谷にはありましたから。

--実際、渋谷の街と浅井さんの領域はどのようなかたちでつながってくるのですか。

今、ミニシアターが渋谷に集中してますよね。だから、僕らも映画館を運営する上でメリットはあると思います。よく映画館同士が競争しているっていう風に思われますけど、実は、まったくそんなことはないんです。渋谷と銀座、渋谷と新宿っていう地域の競争はあるかもしれないけれど、渋谷の中の映画館同士って、競争する必然性がない。「ダークナイト」だって、渋谷では1スクリーンだけの上映だから渋谷の映画館同士の競争にはならない。渋谷自体が映画館とか、イベントスペースとかアトラクションがある一つのアミューズメント・パークなので、お客さんはそこに遊びに来るっていう感じだと思います。

歩いて面白い街は、やっぱり渋谷が一番。ほかの街に比べると危険度は低いと思う。

--ミニシアターは、どうして渋谷にこんなに集積したと考えますか。

街をきちっと見て分析していけば、新宿歌舞伎町は、どっちかっていうと、居酒屋とかサラリーマンとかが飲む街だったりするし、風俗も多い。新宿の西口は高層ビルが建っていて、歩く街じゃないですよね。南口も、高島屋とかあるだけで、あまり楽しくはない。銀座は、老舗やブランドの店が建っていて家賃が高い。池袋は、巨大な西武と東武のデパートがあって、サンシャイン・ビルもあまりカルチャーの匂いを感じない。下北沢は楽しいんだけれども、通過点でターミナル駅ではない。で、いろんなことをきちっと考えていくと、渋谷は歩いて回れて、個人でやっている小さい店もあるし、ファッションビルも建っている。消去法でも、積極的に考えても渋谷に集積した理由はあると思いますね。

--浅井さん自身も、渋谷の街はよく歩きますか。

だってここに事務所があるからしょっちゅう歩いています。自転車にも乗っているので、いつもぐるぐる回っていますね。今自宅が神泉なので渋谷から出ない日もあります。月の3分の1は、渋谷から出てない感じかもしれない。東急本店から代々木八幡迄のアップリンクがある通称「本店通り」を、裏原宿ならぬ、裏渋谷と言う人がいますが、このストリートをもっと盛り上げていきたいですね。近くに深夜まで開いている本屋さんシブヤパブリッシングができたり、アップリンクの真横は今工事をしていてワインバーができるそうです。近所だけでも物件が結構入れ替わって変わってきているのですから、面白くなればいいなと思っています。

--アップリンクの活動は非常に多岐に渡っていますね。

コンセプトは「裏Bunkamura」かな。アンダーグラウンドBunkamura。Bunkamuraには、オーチャードホールがあり、映画館があり、ギャラリーがあり、カフェ、ナディッフとかも入っていたりとうらやましい。文化施設の一つのスタンダードとしてのスタイルがBunkamuraなら、ニューヨークにブロードウェイがあって、オフオフ・ブロード・ウェイがあるように、アップリンクはオフオフの存在ですね。でも、やっぱり、もっと自由にできる空間が欲しいなぁ。

--それは、ギャラリーとか、シアターとか…複合でいろんな表現をしていく?

僕は、そういうミックスする、複合ということに興味があります。この間、アップリンク・ファクトリーでエクアドルの環境運動家のカルロスさんのレクチャーがあってアマゾンの話をしてくれました。アマゾンのような多様な生物が生息している状態、生物的多様性は、英語で言えば「Biological Diversity」って言うそうです。その中でも多様な植物とか動物が生息している場所を「Biological Hot Spot」と言っている。その言葉を聞いて、あ、僕がやりたいのは文化的多様性だなと思いました。言ってみれば、アップリンクを「Cultural Hot Spot」にしたい。そこではさまざまな文化イベントがいつも行われている、そこに来たら何か面白いことが毎日ある。多分Bunkamuraを最初に作ったコンセプトも同じだと思うんですよ。ただ高級フレンチカフェじゃなくて、僕は、もうちょっとカジュアルで学生でも食べられるカフェ・レストランがあり、オルタナティブ・アートのギャラリーや、パフォーマンスができるスペースがあったり、イベントスペースがあったりという施設を作りたい。ただそれは、アップリンクという中小企業の力じゃ無理。だから、僕らには、ソフト面でのノウハウなり、熱意はあるから、今後は、行政やデベロッパーと一緒に組んでやれる時代がくればいいなと思っています。アップリンクで借金してできることは、本当に限界があるから。

映画上映のほかトークショーやワークショップも行う「UPLINK X」

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