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没84年目を迎えた「忠犬ハチ公」の慰霊祭、ハチ公像の制作者・安藤士さんのお別れ会も

渋谷のシンボルである「忠犬ハチ公像」で4月8日、忠犬ハチ公銅像維持会主催による没84年目の慰霊祭が行われた。

「渋谷駅前で亡き主人の帰りを毎日待ち続けた」というハチのエピソードは、誰もが知る美談だ。昨今では日本人のみならず、外国人観光客の姿も非常に多い。2009年にリチャードギア主演で「HACHI 約束の犬」としてハリウッドで映画化され、「HACHI」の名が一気に世界に広がるきっかけとなった。世界で最も有名な犬と言っても過言ではないだろう。

ハチ公の生涯は、1923年(大正12年)11月10日〜1935年(昭和10年)3月8日までの11年間。毎年慰霊祭は桜が咲く時期に合わせて、渋谷では命日から1カ月経た4月8日に実施。また、ハチ公の生まれ故郷である秋田・大館市では、 さらに1カ月後の5月8日に 大館駅前で実施され、桜前線の北上を追いかけるようにハチ公の慰霊祭が2度行われるそうだ。

▲今年は花冷えが長かったため、桜の花がまだ残る中で慰霊祭を迎えた。朝から降っていた雨も祭典が行われる昼前にはすっかり上がっていた。

祭典では忠犬ハチ公銅像維持会の上條清文会長のほか、長谷部健渋谷区長、福原淳嗣大館市長、「忠犬ハチ公銅像」を制作した彫刻家・安藤士(たけし)さんの長女・順子さんらも参席。冒頭の挨拶で上条会長は「安藤先生が本年1月13日にお亡くなりになりました。多くの人びとに敬愛されるハチ公像を制作された安藤先生に対しまして、心から敬意と感謝の誠を捧げ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と深く頭を下げた。今年の慰霊祭は、在りし日のハチ公を偲ぶと共に、95歳で死去された安藤さんとのお別れを兼ねた特別な会となった。

ハチ公と同じ1923年生まれの安藤さんは、まさにハチ公と共に生きた人生だったと言えるだろう。そもそも「忠犬ハチ公像」は、「西郷隆盛像」(鹿児島市)などの作品で知られる安藤さんの父・照さんが1934年(昭和9)年に手掛けて渋谷駅前に建立したが、太平洋戦争時に金属回収運動が高まり供出。その後、渋谷からハチ公像不在の時期がしばらく続いたが、終戦から丸3年を迎えた1948年8月15日、亡き父の意識を引き継ぐ士さんの手により「忠犬ハチ公像(2代目)」が復活を果たす。現在、私たちが目にしているハチ公像には、そんな親子2代にわたる、「平和」に対する強い想いが込められたもの。ハチ公の感動エピソードと共に、多くの人びとに愛される銅像を手掛けた安藤親子の名もぜひ記憶しておいてもらいたい。

<関連記事>
・平和の象徴「忠犬ハチ公像」建立から70年目(2018/08/20)
・「忠犬ハチ公銅像」彫刻家・安藤士さんインタニュー(2014/11/6)

渋谷の氏神である金王八幡宮の神主さんがまずお祓いを行い、次に祝詞奏上を受け、玉串奉奠(ほうてん)を行った。

長谷部区長は「ハチ公像は渋谷のシビックプライドの象徴。大きなビルが出来たり、この先、もっともっと渋谷の風景は変わっていきますが、このまちに長くあるものも大切にしていきたい」と力を込めた。

最後の締め括りには、忠犬ハチ公像に大きな花輪が掛けられた。「オレは男だぜ、花なんか…」と心なしかハチが照れ臭そうに微笑んでいるように見えた。

きっと天の上から、そんな呟きを漏らしながら、安藤親子と一緒に慰霊祭の様子をきっと眺めていたことだろう。

編集部・フジイタカシ

渋谷の記録係。渋谷のカルチャー情報のほか、旬のニュースや話題、日々感じる事を書き綴っていきます。

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