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★ダニエル・シュミット
レトロスペクティヴ★第一期

http://a-shibuya.jp/archives/9939
『ダニエル・シュミット 思考する猫』の公開記念のレトロスペクティヴです。 これだけまとめてシュミットを見られる東京は改めてスゴい街です!!!

『季節のはざまで』(1992)
「他人を描くということは、自分を描くことだ」というシュミット。しかしこの物語は他人ではなく、完全に自分の幼少時代の記憶をたよりに、想起された記憶 の断片によって物語が紡がれていくという構造。実際のシュミットの少年時代の記憶をもとに、スイスの老朽化した解体寸前のホテルを現在の「私」がひとり彷 徨し、たくさんの時間が織り畳められたホテルの廊下や部屋、鍵穴などから少年時代「私」が現われてくる。。。 「自分自身の想起された物語ほど虚構的なものはない」と語るシュミット。自分の幼少の体験を語ることで逆に客観化し、ときには捏造し、物語る。。。映像に映りこむ自分と他人との鏡像的な関係が垣間見ることができます。。。

(Ingrid Caven Die Peruanerin)




『書かれた顔』(1995)
公開当時劇場で鑑賞以来二度目。この湿気のある日本の夏の季節でこの作品をどうしても見たかった。。。 坂東玉三郎(当時45歳)の舞台、インタビュー、寸劇、次第に虚実が曖昧になっていく。。。武原はん(当時101歳)や杉村晴子(当時88歳)、大野一雄(当時88歳)が語り、演奏し、踊る。彼らのインタビューだけでも大変貴重な映像。 「女形」についての言及。男の作家が女を描くようなもの。自分が不可能だから客観視出来ると。玉三郎においては足が悪いから動きに敏感になり、自分が大きいからそれを逆手に取る。欠点を長所にすると言う。 95年当時のお台場の黄昏時に大野一雄が会場で踊るシーンは圧巻。お台場フジテレビが建設中というのが印象的。飛び回るカモメや遠景の船やループの道を渡る自動車、、、それらが大野一雄の踊りと呼応し、共演している様に見えてくるから不思議。
「ごっこ」が出来るかどうか。どんなところでもそこに宇宙観を表現出来る人間かどうか、、、いわゆる「見立て」の話になり、それはいわゆる模倣(ミメーシス)の話になっていきます。 シュミットの一貫したテーマである「客体化」と「同一化」。 日本の作法や作法のなかにその秘密が隠されている様です。

私がちょうど女装を初めて間もない頃公開されてみた映画。とても感慨深かった。。。笑 第二期は8/2−8/8。

ヴィヴィアン佐藤(非建築家)

非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。

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