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“因縁”の2つのハチ公像が80年の時を経て出会う

ハチ公が伏せをしている「伏臥(ふくが)像」。左右反対を向く2つの像は、サイズや構図はほぼ同じながら実は作者が異なる。なぜ、似て非なるこの2つの像が生まれてきたのでしょうか。その謎に迫ってみたいと思う。

2015年はハチ公没後80年、飼い主である上野博士の没後90年を迎える節目の年。白根記念渋谷区郷土博物館・文学館(渋谷区東4)では現在、2014年度中に収集された新資料を紹介する「新収蔵資料展」が開催されており、2つの「ハチ公伏臥像」を含め、ハチ公や上野博士に関連する貴重な資料約200点が展示されている。
会場の様子

さて、下写真の「ハチ公伏臥(ふくが)像」の銅像は、渋谷の初代ハチ公像を手がけた彫刻家・安藤照さん(1892-1945)が制作したもの。旧島津藩士の家に生まれた照さんは、もともと美大進学を目指したが、親の反対にあい東京専門学校(現在の早稲田大学)に進学。それでも夢を諦めきれず、東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科に入り直した努力家だった。照さんがハチ公像の制作を考えたのは、渋谷駅でハチ公を偶然見かけたとか、「ハチ公の悲しい物語」を新聞に投稿し、ハチ公を一躍有名にした犬研究家・斉藤弘吉さんからの薦められたのがきっかけとも言われている。
ハチ公伏臥像(銅製/昭和9年/安藤照)

伏臥像は、新聞報道で「ハチ公」を知った当時の皇太后(大正天皇の后で、昭和天皇の母である貞明皇后)のために作られた。ハチ公に興味を持ち、実物に会いたかったが叶わず、代わりとして銅像を献上する話に。渋谷駅の銅像制作には、既に彫刻家として活躍する照さんに白羽の矢が立っていた。1934(昭和9)年、銅像は10体程度作られて、そのうち出来映えが優れた3体を天皇(昭和天皇)、皇后、皇太后に献上。残りは知人らに贈られている。展示品はそのうちの1体で、昨年新たに目黒区内で発見されたもの。そのほか、二代目忠犬ハチ公像(現在、渋谷駅に設置されている銅像)の作者で、照さんの長男・士(たけし)さんや、出身地である鹿児島市の美術館など、計6体の存在が確認されている。

さて一方、照さんが手がけた「伏臥像」の隣に展示されているのは、銅像ではなく鉄像バージョンだ。作者は照さんと東京美術学校の同窓である彫刻家・大内青圃(おおうち・せいほ)さんだと考えられている。照さんらが渋谷駅のハチ公像の制作を考えていた時期よりも早く、木製のハチ公像の制作を担当する予定だった人物だ。建立資金を集めるためのハチ公の版画絵葉書の原画も作ったが、様々な問題から建立を断念せざる得ない状況になったという。
ハチ公伏臥像(鉄製/昭和10年/伝・大内青圃)

青圃さんの伏臥像は、照さんが皇室に献上した翌年(昭和10年)、銅より扱いの難しく腐食しやすい鉄であえて制作される。さらに構図は、銅像の伏臥像と酷似し、大きな違いは向きが左右反対だという点。皇室献上のニュースは、当時の新聞でも大きく報道されており、これはあくまでも想像であるが、青圃さんが同じ学校の同窓であり、かつ自分が成し得なかった「ハチ公像」制作で脚光を浴びた照さんに、対抗心を抱いていたとしても不思議ではない。左右向きの異なる伏臥像は、「秘めたライバル心」を燃やした青圃さんの強いメッセージが込められているのではないかなど、この作品からいろいろな想像をかき立てられる。真実は誰にも分からない。
伝・大内青圃作「ハチ公伏臥像」(左)と安藤照作「ハチ公伏臥像」(右)の2つの像が、80年間の時を経て出会う。 

そのほか、同展では上野博士愛用の違い棚や、映画「ハチ公物語」の俳優陣と実物の比較図、ハチ公の鳴き声を収録したレコード、陶器製のハチ公像など、ハチ公と上野博士にまつわる品々が展示されている。会期は5月31日(日)まで。

新収蔵資料展
〇開催: 4月18日(土)〜5月31日(日)
〇場所: 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館(渋谷区東 4-9-1)
〇料金: 一般100円、小中学生50円
〇公式:http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kyodo/

重野マコト

社会部記者として新聞社に入社後、イベントプランナー、コンテンツディレクター、飲食店経営を経て、現在はフリーライター。インタビューやイベントレポートなどの現場取材をメインに活動する。

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