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映画『見栄を張る』トークショー、ヴィヴィアン佐藤登壇

27歳の新鋭、藤村明世監督長編デビュー作『見栄を張る』が現在、渋谷ユーロスペースで上映中。本日3/29(木)19:30の回上映後、本作監督の藤村明世さんと主演女優賞の久保陽香さんのお二人と、ヴィヴィアン佐藤さんが鼎談します。まだ間に合いますので、ぜひお出かけを!

渋谷ユーロスペース http://eurospace.co.jp/

<下記、ヴィヴィアン佐藤さんからのお誘いです。>

急に春になりました。
「春」の語源は「張る」。「芽や胸が張る」という意味から派生したと言われております。春は暖かくなり、草木の芽や身体の胸も張ってくる。
猫も発情を迎え、夜な夜な鳴き出します。。笑

本作は、いまだ韓国や中国に残るお葬式の風習である「泣き女」という職業。日本ではほとんど残って居ないと言われておりますが、本作の売れない崖っぷちの女優は故郷和歌山に戻り、その泣き女を始めます。
「胸が張る」のではなく「見栄を張る」。
この作品は、現代社会において表面上はすべての人々に平等に職業の自由が与えられた権利とともに、それと引き換えに過酷な競争社会、もしくは競争というより運社会が描かれます。。
しかし、「成功」とは「幸福」とはいったいなんなのでしょう?
主人公の故郷の和歌山の美しい風景や街角が映りこみます。
もうひとりの主人公は紛れもなくこの「和歌山の街や自然」であることが分かります。
土地にとって「成功」とは?「幸福」とは? と言った問題も同じように語られます。。
現代の日本において中央と地方、主人公と脇役、採用と不採用、家族と非家族、しきたりと自由、職業と趣味、大人と子供、実力と運、、、、など。
多くのことが語られる作品となっております!
桜は自然の生命力を感じざるを得ませんが、どことなく日本人の死生観も同時に感じてしまいます。古来からの日本人の美意識や死や生の哲学など、昔の人々がこの時期に感じた想いも同時になぞる経験をします。。
生と死は隣り合わせでもあり、おなじ事なのかもしれません。桜を見るとそれを強く感じます。
お葬式という儀式も「死」についての空間や時間ではあるのですが、同時にそこのいる生きている人間にとっては、とても「生」を意識せざるを得ない経験です。「死者」と「生者」との関係を明らかにし、これからの人生の過ごし方を宣言する様な瞬間でもあります。

今宵、夜桜散策とともに、奥渋谷のユーロスペースまでお出掛けするのはいかがでしょうか?
渋谷桜ヶ丘の桜は見事です🌸

『見栄を張る』コメント案(160W)

★案1:
東京で女優稼業や実家の家族問題の連絡で、窮地に立たせられた主人公・江梨子はまさに〈‪in the soup‬〉状態。葬式で故人が生前親交のあった人々の〈代行〉業をしていた姉の〈代行〉業を受け継ぐことに。そして女優業そのものが〈代行〉業であることに気付きだす。〈代行〉のほんとうの意味。〈代行〉でなくては決してできないこと。。これは、江梨子の壊れそうな心の再生と同じように、和歌山の小さな町の超ミラクル町おこし的な変化ではなく、人々の生き方や見方を緩やかに変えていく癒しの映画であった!!!

★案1−2:
急遽、葬式で故人が生前親交のあった人々の〈代行〉業をしていた姉の〈代行〉業を受け継ぐことになった江梨子。そして女優業そのものが〈代行〉業であることに気付きだす。〈代行〉のほんとうの意味とは?〈代行〉でなくては決してできないこととは?これは、江梨子の壊れそうな心の再生と同じように、和歌山の小さな町の超ミラクル町おこし的な変化ではなく、人々の生き方や見方を緩やかに変えていく癒しの映画であった!!!

★案2:
葬式で故人が生前親交のあった人々の〈代行〉業をしていた姉の〈代行〉業を受け継ぐことになった江梨子。そして女優業そのものが〈代行〉業であることに気付きだす。〈代行〉のほんとうの意味とは?〈代行〉でなくては決してできないこととは?しかし、ほんとうの〈代行〉業を教えてくれた亡き姉は、江梨子にとって〈代行〉の効かない唯一無二の姉であることを気付かせてくれる!

★案2−2:
葬式で故人が生前親交のあった人々の〈代行〉業をしていた姉の〈代行〉業を受け継ぐことになった江梨子。そして女優業そのものが〈代行〉業であることに気付きだす。〈代行〉のほんとうの意味とは?〈代行〉でなくては決してできないこととは?しかし、ほんとうの〈代行〉業を教えてくれた亡き姉は、江梨子にとって〈代行〉の効かない唯一無二の姉であること、それよりも自分自身がだれの〈代行〉でもないことを気付かせてくれる作品!!!

★案3:
言葉を発しず、視線は泳ぎ定まらず、不安と焦燥とほんの少しの怒りが混ざり合う。。周囲や社会に対してというより、江梨子自分自身に対してだ。
これは、江梨子の壊れそうな心の再生と同じように、和歌山の小さな町の超ミラクル町おこし的な変化ではなく、人々の生き方や見方を緩やかに変えていく〈癒しの映画〉であった。

★案4:
いわゆる〈泣き屋〉は、泣く振りをするのでは決してない。故人のその存在をその葬儀(=劇場)に出席した人に知らせるのである。物語しなおすこと。それを通して、現在生きる人が自分自身のこれからの物語を〈語り直す〉機会を得る。登場するすべての人々も背景の和歌山の小さな町も〈語り直し〉という魔法にかかっていく映画。

ヴィヴィアン佐藤(美術家・ドラァグクイーン)

[見栄を張る公式HP] http://miewoharu.com/
[予告編(動画)]

ヴィヴィアン佐藤(非建築家)

非建築家、アーティスト、ドラァククイーン、イラストレーター、文筆家、パーティイスト、、、と様々な顔を持つ。独自の哲学と美意識で東京を乗りこなす。その分裂的・断片的言動は東京では整合性を獲得している。。。なんちゃって。

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