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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

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毛内定夫さん
(東急東横線渋谷駅・駅長)

東横線渋谷駅の閉幕は終わりではなく、
新たなステージの始まり

プロフィール

1957(昭和32年)9月9日、東京都江戸川区生まれ。幼少期から都電、トロリーバスなどに興味を持ち、岩倉高等学校を卒業後、1976(昭和51)年に東急電鉄に入社。大井町駅係員、東横線の車掌を経て、1985年から池上線の運転士を13年間担当。その後、駅係員向けの教育施設「育成センター」の立ちあげ、同センター指導員、横浜高速鉄道・みなとみらい駅の開業準備や駅長などを経て、2011年から東横線渋谷駅の駅長を務める。

3月16日、いよいよ東急東横線と東京メトロ副都心線が相互直通運転を開始する。それに伴い、1927年(昭和2年)に開業した地上駅舎の東横線渋谷駅は、85年の長い歴史に幕を閉じる。地上駅舎の最後の駅長を務めるのは、勤続37年目の毛内定夫さん。今までに数々の新規事業の立ち上げや、駅の開業などに携わってきた毛内さんは、カウントダウンが始まった東横線渋谷駅幕引きの大役をどのように受け止めているのでしょうか。鉄道運転士を夢見た幼少期から、最後の日を迎える今の心境に至るまで、毛内さんにその熱い想いを語っていただきました。

東急線で働く駅係員の多くは、私の教え子

_幼い頃から電車がお好きだったのでしょうか?

渋谷駅東口にあった東急文化会館(写真=1940年代)

私の子どもの頃は、都電や都営トロリーバスがまだまだたくさん走っていた時代で、都電の運転士さんを見ていて自分も電車を運転したいなぁって。東京オリンピックが開催された1964年には東海道新幹線が開通して、当時は「夢の超特急こだま号」って言われていたのですが、それを親と一緒に東京駅に見に行ったのを覚えています。ただ入場券を買っただけで、乗せてはもらえなかったのですけどね(笑)。渋谷には中学生くらいの時に、東急文化会館にあった「五島プラネタリウム」に毎月通い詰めていた時期がありました。星が好きで、「どこかに宇宙人がいるのだろうか」と空を見上げていた時代ですね。東急文化会館の屋上から駅を見下ろした記憶もあります。当時は江戸川区に住んでいたので東横線は使っていませんでしたが、駅はその頃と姿がほぼ変わっていません。

_そこから運転士になるまでの道のりを聞かせてください。

上野にある岩倉高等学校という鉄道学校に入って、1976(昭和51)年に東急電鉄に入社しました。最初は大井町駅で駅係員を6年6カ月務めて、東横線の車掌区に2年2カ月。それから池上線の運転士を13年間務めました。当時運転していた車両は、吊り掛け式の3000型です。一日の乗務距離は約160キロ前後と決められていて、池上線の路線距離が10.9キロなので一日で7.5往復くらいです。

_運転士を務められた後は?

東横線渋谷駅務主任、中目黒駅助役を経て、駅係員向けの教習施設を作るために本社部門に異動。3人体制で半年かけて準備して、元住吉にある運転士向け教習施設「東急教習所」に「育成センター」を立ち上げた後、1年半くらいはそこで教師として指導にあたりました。はじめは新入社員育成のための施設でしたが、会社の制度変更で助役になるために試験が必要になり、「君は自分で苦労したこと、難しかったこと、悩んだことがいっぱいあるのだからその経験を生かして、そこで君が養成しなさい」と。それ以降は、契約社員、復職された社員の養成など、いわゆる乗務員以外の教習はなんでもやりました。たとえば、みなとみらい線の開通の時は駅係員経験のない50歳以上の男性40人を採用しました。それまでラーメン屋を経営していたり、古本屋に勤めていたり、さらに一部上場企業を早期退職された方まで、幅広い方々がいらっしゃいました。その人生の先輩方を短期間で駅係員に育てる担当を務めましたが、初めての取り組みで苦労もありました(笑)。今でも3分の1ぐらいの方が勤務されていて、みなさん60代になっていますが、今も意欲をもって働いていらっしゃいますよ。時々会う機会があると「なんだ、おやじ、まだ生きてたか?」と冗談を言ってお互い笑うこともあります。今の東急電鉄で働く駅係員の多くは私の教え子と言っても過言ではありません。

_2004年に開業した「みなとみらい線」の準備にも関わられていたのですね。

駅長室の壁には歴代駅長の名前が掲出。一番左が毛内駅長。

東横線の横浜駅−桜木町駅が廃線となり、横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転が開始されるのに向けて開業チームを立ち上げました。私はみなとみらい駅の助役として新駅開業を担当。無事に開業させた後は、みなとみらい駅の2代目駅長に就任。駅長を務めて10カ月経た頃に本社から突然「戻って来い」と(笑)。こんどは駅の各種業務サポートする「サービス課」という部門に異動。その後は育成センターのセンター長を経て、東横線の渋谷駅が工事に入るというので、2011年11月1日に駅長に赴任したというわけです。東急電鉄に勤めて37年、まぁ、いろいろ経験しました(笑)。

吊り掛け式の3000型。運転しているのは、池上線運転士時代の毛内さん。

「乗っていただく」から「選んでいただく」時代に

_就職された当時と今で、駅における仕事の内容で変わったなと感じることはありますか?

就職した頃は、私も切符切りをやりました。チャカチャカ、チャカチャカと手動で。まず、それが自動改札機に替わりましたよね。機械化が進んだことは大きいです。また他の鉄道会社とのネットワークが拡充されたこと。あと交通機関全体に言えるのですが、バリアフリー化が進みました。例えば、車いすをご利用のお客さまや、目のご不自由なお客さまなどへのご案内にも力を入れるため、サービス介助士という資格を私たち駅係員は全員取得することになっています。

_その背景にはどのような理由がありますか?

昔は、鉄道は「乗っていただく」というイメージだったんです。今は路線間競争が激しくなり、速いか、接客が良いか、安いか、ネットワークがいいかなど、お客さまの選択肢が増えてきたわけです。そうすると会社的には、お客さまに一人でも多く乗っていただきたいので、利便性を考えて乗り換えを便利にしたり、特急を走らせたりとサービスレベルの向上を考えていくわけです。「乗っていただく」から「選んでいただく」時代になりましたね。

_副都心線の開通も、大きな出来事ですね。

東京メトロ副都心線と相互直通運転が開始すると、横浜方面のお客さまが池袋方面に、東武線、西武線のお客さまも、横浜、元町・中華街まで乗り換えなしでお越しいただける。ただし、私たちの仕事は忙しくなります。路線が伸びるわけですから、相互直通運転先の駅名も覚えていかなくちゃいけない(笑)。

_逆に変わらない部分はありますか?

「右よし、左よし、足元よし」という指差喚呼、指差呼称。安全に関することは、きっと半永久的に変わらないでしょうね。例えば勤務上、路線を横断するときがありますが、そのときに、ボケッとしたりおしゃべりしたりして電車が来たのに気付かなかったら、大変なことになります。危ない箇所を上がったり降りたり横断するときには、私語厳禁の指差呼称。これを反復してやっています。

かまぼこ屋根の丸みが特徴的な東横線渋谷駅構内。多くの人々でにぎわう巨大なターミナル駅として親しまれてきた。

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