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KEY PERSON キーパーソンが語る渋谷の未来

渋谷を中心に活躍する【キーパーソン】のロングインタビュー。彼らの言葉を通じて「渋谷の魅力」を発信します。

理想的なライフスタイルが実現する渋谷−地域の魅力を生かして差別化を5年前に渋谷を「ビットバレー」と名付け、この地で多くのベンチャー起業家を支援してきたネットエイジの西川潔さん。自身も、幼少の頃から渋谷に慣れ親しみ、今でも渋谷で働き続ける“渋谷の人”である。その西川さんに、渋谷との関わりや、この地におけるベンチャー企業の動向、さらに今後の渋谷が歩むべき道を聞いた。
――そもそも、西川社長と渋谷との出会いは、いつ頃だったのでしょうか。 実家が吉祥寺だったので渋谷へは電車一本で行けたんですね。しかも親しくしていた親戚が池尻に住んでいて、その親戚と一緒に子どもの頃から渋谷で遊んでいました。あの頃は、玉電(現・東急田園都市線)が走っていたなぁ。大学は駒場にありましたから、歩いて渋谷まで出ることも多かったですね。当時、「こけし」というお好み焼き屋があって、そこでしょっちゅう飲んでいたんですよ。
どこか歴史を感じられる猥雑な文化が残っている――どのような理由で渋谷にオフィスを開設したのでしょうか。
渋谷が好きだったことに加え、「職住接近」のライフスタイルを実現したかったんです。自分はもちろん、従業員にも、です。下北沢や池尻といった周辺の街に住めば、うまくいけば自転車での通勤も可能です。あの辺には若者でも住める安いアパートもありますから、従業員も住む場所に困らない。虎ノ門あたりのオフィス街なら、そういうわけにはいきませんからね。最初に松濤にオフィスを構えたのは、当時は家賃が比較的安かったことと、渋谷という街の“へり”だったからです。あまりにも商業街のど真ん中というのは、ちょっと抵抗感があったんです。これまでに事務所は、二回、引っ越しましたが、結局、近辺をうろうろしていますね。

――今では松濤の辺りも変化してきていますが。 どんどん街が押し寄せてきて、今では“奥渋谷”なんて言われて注目されていますよね。でも円山街の界隈は、大きなオフィスビルはなく、いまだに雑然とした雰囲気が漂っていて小さな八百屋なんかも残っていますよ。もともと花街だったからか、どこか歴史を感じられる猥雑な文化が残っているし、今でも三味線を抱えた人が歩いていてびっくりすることもあります。この地域は面白いですよ。ライブハウスが集まっていて夜ごとにライブが繰り広げられるという顔もあれば、ラブホテル街でもある。さらに日本一の高級住宅地も隣接している。本当に不思議な街です。オフィス周辺でのお気に入りの場所は鍋島松濤公園。ブラリと歩いて思索にふけったりしています。松濤美術館も建物自体が面白くて、たまに行きますね。食の面では隠れ家的な店が多く、ランチタイムはまったく不自由しません。十年以上もいるのに、いまだに入ったことのない店がたくさんありますしね。

――「猥雑さ」というのは、渋谷の魅力の一つなのでしょうか。 文化というものは、きれいなことだけでは面白くないと思うんです。個人的にも、ごちゃごちゃした街は好きですね。どれだけきれいで設備が整った建物があっても、人間の匂いのしない街にはオフィスを構えたいとは思いませんね。渋谷は他の街とは異なり、「人間の住む街」という感じがします。 最近は渋谷にもオフィスの需要が高まって街に大人が増え、若者と混在している点は面白いですね。いわゆる“ガングロギャル”なんかは色々と言われていますが、昔から渋谷には若者たちのエネルギーがギリギリで保たれていて、爆発寸前みたいな緊張感がある。それが渋谷の特徴であり、個人的にはあれも渋谷らしさだと思っています。たしかにセンター街のど真ん中では、大人の居心地の悪さは多少感じますが、それは場所的に上手く棲み分ければいいことなんじゃないかと思います。

消費エリアの周りを、クリエイト(生産)する場が取り囲むような形が理想じゃないかと――5年前には、いわゆるビットバレーのブームによって渋谷に多くの起業家が集まりましたよね。当時と今では、どのように状況は変化しましたか。 若い人の起業熱はまだまだ高いですよ。あと、IT関連の企業を立ち上げる場所としては、相変わらず、渋谷は人気ですね。土地の風というか、聖地といった意識が醸成されているように思います。5年前には自然発生的にITベンチャーが集まっていたため、ボクが最初に「ビターバレー」と名付けたんですね。それがいろいろ議論され、結局、ビットバレーと呼ばれるようになりました。現状を見ると、5年前のブームは少し下火になりましたが、近い将来、また盛り上がるのではないかと予感しています。ただし、需要の割には、渋谷はネット環境が充実したオフィスが少なく、以前に比べて家賃も上がっている。旧山手通り沿いの辺りにインフラが整っていて家賃もほどほどのオフィスを建ててもらえると嬉しいんですけどね(笑)。

――長い間インキュベーション(起業支援)に携わっていて、以前に比べ、渋谷に集まる起業家は変化していると感じますか。 5年前には資本市場も分からず、株式公開(IPO)って何? という人も少なくありませんでした。ところが最近の若い起業家はしたたかというか、最初から上場を想定してしまうから恐れ入りますね。サイバーエージェントの藤田さんとか、GMOの熊谷さんとか、楽天の三木谷さんなどの、いわゆる勝利の方程式を見て、オレもやってやるぜ!と意気込んでいる若者は増えています。それは喜ばしいことだとは思いますが、たまにはカチンと来ることもありますよ(笑)。おいおい、上場を口にするのは、ちょっと早いんじゃないのか、なんて。

――渋谷で起業が活性化することで、地域にとってどのような影響があると考えていますか。
消費されるだけでなく、街中で生産活動が行われることは、地域にとってプラスだと思います。まず税金の面でプラスですし、それ以外には人の出入りというという側面もあります。消費する人はたまにしか訪れませんが、働く人は毎日、街を訪れる。半分、住んでいるようなものです。生産活動があるのとないのとでは、街は大きく変わると思いますね。街としては、消費エリアの周りを、クリエイト(生産)する場が取り囲むような形が理想じゃないかと思うんです。あと、同業種が集積するメリットも、物理的に見ても意外と大きいと思うんです。ちょっとしたことでもすぐ会えますしね。

――10年後、20年後というスパンで見たときに、渋谷という街には何が必要だと考えますか。 まず、ここにしかないもの、という差別化が必要でしょう。他の街と同じものを作っても仕方がない。銀座は銀座、渋谷は渋谷です。そう考えたときに、どのような方向に差別化を進めていくべきか。個人的には「セレンディピティ(偶然の発見)」がキーワードだと思います。歩いていると思わぬ発見ができる街、ということです。やはり巨大資本ばかりで街が構成されると、どこに行っても同じ店になってしまいます。それでは街としてつまらない。渋谷には、それぞれが異なる個性を持つ一軒家のような店が集積していてほしいですね。あるいは、例えばですが、スウェーデンのストックホルムにあるガムラスタンのようにアンティークショップを100軒集めるなど、同一のテーマの店舗を誘致するのもいいかもしれません。それだけで人が集まりますし、思わぬものを発見できるチャンスも高まります。しかし、現状の渋谷は、資本の原理に巻き込まれつつあるように感じます。それを防ぐには行政による規制も必要かもしれません。街の文化を守るために、こういうジャンルの店しか出店できない、といった規制です。お金はないけど創意工夫はある、そんな若者が店を出せる地域であってほしいですね。

■プロフィール
代表取締役社長 西川 潔さん
KDD (現KDDI) 勤務を経て、アーサー・D・リトルの米国本社勤務時に起業を志す。
帰国後、世界最大のインターネット企業、アメリカ・オンラインの日本法人の創立に参加。
その経験・人脈を生かし、1998年2月、ネットビジネスインキュベータ−という、日本初の業態をもってネットエイジを創業。NETAGE GROUPポートフォリオ企業4社の社外取締役を務める。「渋谷ビットバレー構想」などに代表される起業家経済の活性化のための提唱をおこない、講演・執筆多数。東京大学教養学部卒。

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