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「17歳の地図」の歌碑を訪ねて

1992年の今日(4月25日)、尾崎豊は26歳の生涯に幕を閉じた。
尾崎豊の6歳下である私は、中学、高校時代に彼と出会う。が、正直なところ当時の私にとって、彼のストレートなまでの叫びに気恥ずかしさを覚え、無関心を装い、そして見て見ぬふりをしてきた。

彼の死から17年を迎えた今年、テレビからは中村あゆみがカバーする「僕が僕であるために」(キリンビール/ストロングセブンCM)、携帯電話auの音楽配信サービス「LISMO」の新CMで「I LOVE YOU」が流れ、尾崎の楽曲で構成する青春群像劇「MISSING BOYS」が赤坂ACTシアターで公開(4月18日〜5月5日)されるなど、徐々に尾崎ブームが再燃しつつある。
当時は素直に受け入れられなかった私も、テレビやラジオで流れてくる彼の音楽を耳にする度に懐かしさとともに、つい口ずさんでいる自分に気が付き、ハっとさせられる。そう、熱いものに居心地の悪さを感じ、避けてきたはずが、多感な思春期の私の中に彼の歌がいつの間にか染みついていたことに驚かされるからだ。

10代の代弁者としてカリスマとなった彼は、もし今生きていたなら、一体どんな歌をうたっていただろう。きっと100年に一度の不況といわれ、悩み苦しむ30代、40代に向けて叫んでいたかもしれない。

尾崎豊と渋谷との関係は、高校時代にまでさかのぼり。
青山学院高等部に通っていた彼は、渋谷駅から渋谷クロスタワー(当時は東邦生命ビル)を渡って通学していた。「17歳の地図」の歌詞の中で出てくる、「ちっぽけな俺の心に 空っ風が吹いている 歩道橋の上 振り帰り 焼けつくような夕日が・・・」の「歩道橋の上」とは、クロスタワーに向かう歩道橋だと言われる。
彼の死後、渋谷クロスタワー3Fテラスには尾崎豊の歌碑が建てられ、いまなおファンの足が絶えない聖地となりつつある。
尾崎豊の命日で、GWがスタートした今日からしばらくは、ここを訪れる人びとがきっと増えることだろう。
彼が亡くなった年に生まれた子供たちが、今年17歳を迎える。
現在の高校生たちは、この歩道橋を渡って空を眺めながら、一体何を考えるのだろうか。

尾崎豊の歌碑
渋谷クロスタワー3Fテラス
東京都渋谷区渋谷2-15-1
JR・渋谷駅東口から徒歩3分

編集部・フジイタカシ

渋谷の記録係。渋谷のカルチャー情報のほか、旬のニュースや話題、日々感じる事を書き綴っていきます。

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