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今昔写真から振り返る「あの日の渋谷」vol.1
テーマ:「代々木競技場」

「あの日の渋谷」は、「昔」と「今」の渋谷の写真から渋谷のまちの歴史や変遷を振り返るフォトギャラリー。昔の写真を改めて見直してみると、当時の渋谷の街並みや、人びとの暮らし、ファッションの流行などが見えてくる。そして、様々な変遷を経て、今日の渋谷に繋がっていることがよく分かる。この企画では今後、「昔」と「今」の渋谷の写真を見比べながら、懐かしい渋谷のまちの歩みを振り返ると共に、昔の写真の中から「新しい発見」や「気づき」を見つけていきたいと思う。今回は、1964年(昭和39年)の東京五輪が残したレガシーの一つである「代々木競技場」に注目してみたい。
撮影=佐藤豊
代々木競技場は「代々木第一体育館」「代々木第ニ体育館」のほか、フットサルコートなどで構成されるスポーツ施設だ。バレーボールやバスケットボール、フィギュアスケートの公式戦などのほか、最近ではコンサートやイベントの会場として使われることが増えている。

代々木競技場の歴史を紐解けば、1964(昭和39)年の東京五輪まで遡ることになる。「第一体育館」は競泳、飛び込み用、「第2体育館」のバスケットボール競技の会場として建設された。そもそも五輪誘致以前まで、代々木公園を含む92ha(27万坪)の敷地には、戦後占領の面影を残す在米軍の将校向け家族住宅「ワシントン・ハイツ」があった。戦後復興が進み、首都のど真ん中にある基地の返還を求める声が高まる中で、五輪招致が決定。選手村・競技場の建設地を確保するため、日米間で返還交渉が行われたが、移転費などの条件面が折り合わず、なかなか交渉が進まなかったという。その影響から工事着工は1963(昭和38)年2月1日と、五輪開幕まで僅か約1年半前。現在、2020年の五輪開催に向けて「新国立競技場」の建設が進んでいるが、デザイン問題等で短縮されたとはいえ、約3年の工期を見込んでいる。そう考えると、丹下健三氏の名建築として名高い「代々木競技場」が、いかに突貫工事で進められたかということが容易に想像できる。
写真提供=渋谷区郷土写真保存会
上記の写真は、おそらく1964年3月ごろの撮影。写真奥にある梯子(はしご)を横にしたような構造物が「第一体育館」だ。「柱のない巨大空間を造りたい」と丹下氏が探求した結果、「吊り橋」の技術を活用し、2本の支柱をワイヤーケーブルで結ぶ「吊り屋根」方式が採用された。全長280メートルのケーブルのみで第一体育館の大きな屋根を支えていることが、この写真からも分かるだろう。中央の最も高い塔が「第二体育館」建設現場。一番手前にある砂山やブルドーザー、プレハブ小屋などがある敷地は「東京オリンピックの放送センター」の建設予定地だ。右下の白看板に「NHK放送センター 第一期建築工事」と記載された文字が僅かに見える。五輪開催まで7カ月前、よく晴れた天気とは裏腹に急ピッチで建設工事が進む様子がうかがえる。
写真提供=渋谷区郷土写真保存会
次の写真は、おそらく1964年7、8月ごろの撮影。右側には原宿方面から新しい道路が舗装されている。また第一、第二体育館の建物はほぼ完成に近づいているものの、建物の周囲にはまだ土砂の山や足場が残っている。1枚目の晴天の写真とは一転して、空には暗雲が漂っている。開幕までに工期が間に合うのか否か、やや焦りを感じなくもない。
写真提供=渋谷区郷土写真保存会
3枚目の写真は、おそらく1964年9月1日の竣工日ごろ。2枚目の写真では、土砂だらけだった敷地内に道路が舗装・整備され、芝生や植栽が加わり、第一、第二体育館と一体となる代々木競技場が完成している。開幕1カ月前、ギリギリ間に合った。競技場の周囲には、万国の旗が掲揚されるポールが立ち並び、いよいよ五輪が始まる――。
撮影=佐藤豊
最後の写真は、2年前の2015年10月9日に渋谷区役所から撮影したもの。日付を見てピンと来た人がいたら、かなりの渋谷ツウだ。この日は渋谷区役所の庁舎建て直しに伴い、旧庁舎での業務の終了日である。撮影したカメラマンの佐藤氏によれば、記念撮影を兼ねて旧庁舎の上階トイレ脇の小窓から、この眺めを記録したそうだ。1964年10月10日の東京五輪開幕から丸51年目、第一、第二体育館の姿は変わらないものの、その周囲の風景は大きく様変わりした。体育館の手前には「劇場(アイア2.5シアタートーキョー」が建ち、街路樹が大きく成長して第一、第二体育館の建物を覆い隠し、見えるのは体育館の大きな屋根のみ。写真後方の代々木公園の森も明らかにボリューム感が増し、さらにその後方に見える新宿の高層ビル群もニュキニュキと数を増している。建設当時を知る佐藤氏は「時が経ち建設時の写真を見るたびに、同じ建物なのに時代を超えた空気を強く感じる」という。

建築から半世紀以上の月日を経て、今年(2017年)7月より代々木競技場は、最新の耐震基準を満たす改修工事のため休館している。3年後の東京オリンピックでは、ハンドボール競技、パラリンピックではウェルチェアラグビーと車いすバドミントンの会場として使用されることが決まり、それに間に合わせるためだ。前回大会の会場が、2020年にもう一度輝くことになる。もともと突貫工事で造られた同競技場であるが、今回の改修工事では約2年間の歳月をかける。ぜひじっくり直してもらい、いつまでも現役選手として活躍してもらいたい。


渋谷文化の姉妹サイト「渋谷フォトミュージアム」で、特集企画「渋谷が変貌 東京五輪1964」を掲載中。ぜひそちらも併せてご覧ください。

編集部・フジイタカシ

渋谷の記録係。渋谷のカルチャー情報のほか、旬のニュースや話題、日々感じる事を書き綴っていきます。

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