#シブラバ?渋谷で働く、遊ぶ、暮らす魅力を探る

KEYPERSON

渋谷は居心地がいい場所。固定観念がなく間口が広い街
カルチャーが融合・編集され、世界に発信できる場所に

株式会社リノベーションプランニング代表取締役菊池克郎さん

プロフィール

1972年、大阪生まれ。十代の終わり頃から渋谷に出入りし、22、23歳の頃に東京移住。務めていた会社の倒産を機に、29歳で桜丘の10坪の空間に「コンシールカフェ」を開き、株式会社リノベーションプランニングを設立。渋谷のストリップ劇場や恵比寿の麻雀店などをリノベーションしたカフェを次々と開く。現在は、東京、名古屋、大阪などで30店舗を展開している。

桜丘に10坪足らずのカフェを開いたのを皮切りに、「居心地のいい空間」づくりを手掛けるリノベーションプランニング代表の菊池さん。道玄坂のストリップ劇場後に開いたコンシールカフェは、今や若者に人気の場所に。独自の視点で渋谷の街を語っていただきました。

「居心地のいい空間をつくったら、こうなった」という空間がカフェのイメージ

--最初に渋谷の街と出会ったのはいつ頃ですか。

私は関西出身で、10代の終わりにちょこちょこ東京に遊びに来るようになりました。その時に遊ぶ拠点が渋谷でした。音楽もファッションも大阪にないものが渋谷にはあって、東京の中でも特に渋谷の情報は一番入ってきていました。そうやって遊びに来ているうちに知り合いが増えて、たまたま東京で店を出したいという方に招かれました。場所は六本木だったのですが、クラブとラウンジがくっついた感じの店で、まさに自分たちが遊ぶような空間でした。ですから、最初は「遊びがてらにいいかな?」という気持ちで、東京に移り住んできたわけです。22、23歳ぐらいの時ですね。

--リノベーションプランニングを始めたきっかけは?

その後、知人の会社で店舗の企画やデザインの手伝いをしていましたが、ある時、その会社が倒産しました。そのタイミングで、いろいろ仕掛けていた仕事が結構あったので、それらをまとめて自分で会社をつくりました。そこで事務所をつくろうとしましたが、たまたまその事務所物件が「軽飲食にいいですよ」というお話をいただいて…(笑)。もともと出入りの多い会社だったので、バーなのか、カフェなのか、たまり場をつくってしまおうとなり、それがきっかけで29歳の時に作ったのが、桜丘にあった最初の「コンシールカフェ」です。10坪足らずの施設面積に20席ほどの店だったので、「カフェと呼べるのか?」という感じでしたが、思った以上にお客さんがいらっしゃいました。そうした始まりでしたから、それ以後の流れも、ありがたいことに、お客さんがあふれ出したので増やしていった…という感じです。

--どういうカフェをイメージして、空間づくりを進めたのでしょうか?

自分の居場所をつくりたかっただけなので、「居心地のいい空間をつくったら、こうなった」という空間です。我々もそうでしたが、やはり東京ではたくさんの人がワンルームの狭い部屋に住んでいます。ですから、友だちを呼んで集まるとか、そういうことをできる部屋がありません。若い子というか、自分を含めてそういう人のための「自分の部屋」みたいなたまり場があればいいなと思っていました。

--リノベーションというコンセプトはいつから?

1店舗目のときはリノベーションという意識はありませんでした。その後、恵比寿に「ロジェカフェ」ができて、同じぐらいの時期に原宿に「コンシールカフェ原宿」と「シネマピエス」ができました。原宿の物件は、半年後に解体が決まっている民家の一軒家でした。キャットストリートを仕掛けていらっしゃる方々から、半年間その民家を何かに使えないかというお話しをいただき、単にカフェでは面白くないと思い、あの形(シネマカフェ)を提案しました。ロジェカフェも元々雀荘でしたから、「再生した空間で面白いことを」ということを意識し始めたのは、ちょうどその辺りからです。結局、どちらも新築物件がなかなか建たない立地ですし、我々にも予算はないですから。自分が使いたい店をつくりたいけど、金銭的にお客さんにプレッシャーを与えたくないという気持ちで、その結果、「自分たちで改装する」という形に行き着きました。

ギャラリーコンシールは、アートの入り口になるような場を作りたくて始めた

--「お客さんに金銭的なプレッシャーを与えない」とはどういうことでしょう?

なるべく低価格で、居心地よく使っていただきたい――ということです。その前にいた会社では、すごく大きなお金を使って、大きな物件にきれいな店をつくっていました。そうすると、お客さんは入っているように見えて、実は償却してやっととか、そうした店がたくさんありました。ですから、せっかく自分でやるのなら、ちょっと違うことをやりたいなと。あの頃は、まだリノベーションでのカフェ物件は少なかったので、お客が入るという勝算までは考えていませんでしたが、商売というより、まあチャラでいい、という気持ちでしたね。

--自分たちでリノベーションした空間をイメージ通りのものに仕上げるのは大変では?

もっと手を掛けたいのに掛けられなかったり、諦めなければならなかったりすることはもちろんあります。ただ自分たちでやるからこそ出会える「人」や「モノ」といったものもありますし、あとは経験です。1軒ずつ勉強させてもらっています。

--2004年、道玄坂のストリップ劇場をリノベーションしてカフェにしましたね?

ストリップ劇場の後に入った「コンシール」と「ダブ」は、訳あってなかなかテナントが入らない物件でした。ある企業の不動産事業部に知人がいて、「テナントを集めているけど大手じゃもう入り込めない」という話を聞き、「何てもったいない物件」だと思い、そこに入れていただいた、という感じです。もちろんそういう物件には、確かにリスクがつきものです。ただ、人と同じことをしていたら同じことしかできません。スタートにお金があるわけではありませんし、高学歴や高収入なわけでもありませんから、すべて仕方なくというか(笑)、それしか選択肢がありませんでした。その結果、新鮮さのほうが強くて、面白がっていただけているみたいです。最初のコンシールは、家にあった家具を放り込んで、同じく家にあった食器と鍋でスタートしたようなものでした(笑)。オープン日まで名前が決まらないのは当然ですし、「何が足りない」ということは当たり前でした。現在かかわっている物件も、表向きは普通に見えても事情があるものは多いです。どれも大手飲食業には持っていきにくいような案件ですね。

--ギャラリーコンシールは、飲食店なのにアートが中心になっていますね。

ギャラリーコンシールのスタイルを最初につくったのは銀座のギャラリーですが、銀座は、あれだけアトリエがあるのに、若い子はなかなか入れません。ですから、若い人たちにとってアートの入り口になるような場を作りたくて始めました。今の渋谷にあるギャラリーコンシールも、自分でキュレーションしているわけではなく、全て現場に任せ、「入り口は広く、自由な空間」を心掛けています。入り口が広ければ広い程、作り手側、特に若い人たちは入ってきやすいですし、新しいものも生まれやすいと思っています。アートや音楽やファッションといった分野は、やはり生きていく上でのプラスアルファだと思います。例えば家に絵が1枚あるだけで、朝ちょっと気持ちが良かったりすることってありますから…。同じ生きていくなら、そういうプラスアルファを大切に生きた方が幸せじゃいないかと思います。一方、若手の作家さんたちの育つ場にもなれればいいと思います。エマラウンジにも、銀座のギャラリーや、渋谷のギャラリーコンシールから預かった作品もたくさん置いてあります。

渋谷・道玄坂の「エマラウンジ」店内

オススメ記事

最新記事

カテゴリーから選ぶ