#シブラバ?渋谷で働く、遊ぶ、暮らす魅力を探る

KEYPERSON

都会的でリラックスした新しいライフスタイルを、「ログロード代官山」を通して発信したい。

ブランディングプロデューサー柴田陽子さん

プロフィール

神奈川県生まれ。大学卒業後、外食企業に入社し、新規業態開発を担当。その後、化粧品会社での商品開発、サロン業態開発などを経験し、2004年「柴田陽子事務所」を設立。コーポレートブランディング • 店舗プロデュース • 商品開発などコンサルティング業務に携わる。2012年に「渋谷ヒカリエ レストランフロア」、2014年に「グランツリー武蔵小杉」、2015年4月に「LOG ROAD DAIKANYAMA」などのプロデュースを手がける。さらに2015年5月から開幕する「ミラノ国際博覧会」では日本館レストランのプロデュースを担当するなど、国外内を問わずに精力的に活動を続ける。私生活では2児の母。

女性の感性を生かして、20プロジェクト近くを同時進行

_柴田さんの現在のお仕事についてお話ください。

商品や業態の開発から、企業コンサルティングまで幅広いお仕事をさせていただいています。BtoBよりは、一般のお客さま向けのBtoCのお仕事が多いですね。事務所には10人ちょっとのスタッフがいて、だいたい20プロジェクトくらいを同時進行させています。女性の視点や感性を求められる仕事が多いことから、スタッフは自然と女性が集まっています。日々、多くのプロジェクトに追われていますが、2人の子どもの育児もありますので、まず子どものためにやらなくてはいけないこと、やってあげたいことをスケジュールに落とし込み、それ以外の時間で仕事をするのが私のスタンスです。意識のうえでは、仕事と家庭の垣根はありません。子どもはよく事務所に連れてきますし、逆にスタッフが家に来ますし、仕事上で気になるレストランに家族で行ったり。時間をやりくりして、幼稚園のイベントなどにも欠かさず参加しています。確かに毎日大忙しですが、そこに子どもがいる限り、そこに社員がいる限り、特に意識せずとも頑張る力が湧いてくるという、そんな毎日です(笑)。

_5月から10月まで開催される「ミラノ万博」では、日本館のレストランのプロデュースを手がけられていますが、概要をお聞かせください。

実際に日本の食を体感していただくためにレストランを設置しています。私はそのレストランのプロデューサーを担当しており、カウンター割烹で高級な食事を提供して日本の食の奥行きを表す一方で、いわゆるB級グルメ的なバラエティ溢れるフードコートによって横幅を表現しています。お仕事では他に、コレド日本橋にカフェを直営するほか、「BORDERS at BALCONY」というアパレルブランドを展開し、デザイナーとしても活動しています。

渋谷ヒカリエには「空間」に集える場所を創りたかった

_渋谷に関わるお仕事として、2012年にオープンした「渋谷ヒカリエ」のレストランフロアもプロデュースしています。コンセプトをお聞かせください。

7階レストランフロア「table7」

渋谷ヒカリエは、渋谷再開発の足がかりというか、エポックメイキング的な施設です。その中で私は、6階と7階のレストランフロアを担当させていただきました。下の階には、東急百貨店(ShinQs)が入りますので、情報を行き来させながら、施設全体のコンセプトを踏まえて協働して創り上げていった感じです。6階と7階では役割が異なり、6階は「あの店に食べに行こう」と目的を持つお客さんを対象としているのに対し、7階は「とりあえず、あそこに集まろう」という空間をイメージしています。かつて渋谷を遊び場としていて、今は青山に勤めていたり、六本木に住んでいたり……といった方たちが、金曜の夜、この場所に集まって「今日は何を食べようか」と気分でお店を選べるようなフロアを目指しました。

_この5月でヒカリエは開業3年を経ましたが、レストランフロアは平日もかなりの盛況ぶりです。柴田さんご自身、どのようにご覧になっていますか?

開業から変わらぬ人気ぶりは想定以上ですね。渋谷に強い思いのある方々にとって、思い入れのある場所になれていると思うと、本当に嬉しいです。

日本人の品格やセンスがよく表れた空間であってほしい

_柴田さんと渋谷との付き合いについて教えてください。

神奈川県出身ですが、学生の頃から遊びに来ていましたね。その後、西麻布や恵比寿といった渋谷周辺に住むようになってからは、買い物などでよく使っていました。一時期は、賑やか過ぎて足が遠のいたこともありましたが…。今は代官山に住んでいますので、渋谷ヒカリエやBunkamura、また松涛あたりのレストランなどによく出かけます。

_学生時代は何を求めて渋谷に訪れていたのでしょうか。

目的がなくても過ごせるところが魅力。ぶらぶらと買い物したり、ファーストフードを食べたり、カラオケをしたり。友達と一緒に過ごすときは、「とりあえず渋谷で」という感じでした。他の大きな街と比べると、周囲を落ち着いた住宅街が囲んでいるからか、「客層」が良く、どこか安心感がある街だと思います。

_今後、渋谷にはどのように変化してほしいと考えていますか。

再開発への期待は大きいです。街はどんどん変わるものだと思っていますが、今後の方向として、世界の人々から見て「ワン・オブ・アジア」のごちゃごちゃした街ではなく、日本ならではの安全性や清潔感があって、日本人の品格やセンスがよく表れている空間であってほしいと思います。今は、渋谷駅前のスクランブル交差点は、アメリカで言えばニューヨークのタイムズスクエアのように、国際的に日本を象徴する場所となっています。ただ、外国人がスクランブル交差点を訪れた後に何をして楽しめるかというと、あまり具体的に思い浮かびません。ですので、大きな美術館でもいいし、クールジャパンの本拠地でもいいので、いろいろな日本のコンテンツがきちんと分かりやすくプレゼンテーションされている街を目指すといいのではないでしょうか。世界から見たときに少しまじめすぎる日本をカジュアルに編集することが、渋谷にはきっとできるでしょう。アカデミックなものからB級なものまでミックスする、肩の力を抜いて楽しく過ごせる街になるのではと思っています。

LOG ROAD DAIKANYAMA(ログロード代官山)

柴田陽子事務所

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